限定公開( 4 )
「また、高層ビルができるの……?」
そう思う人も多いかもしれない。
六本木ヒルズの隣、「六本木五丁目西地区」と呼ばれる場所に、いわゆる「第2六本木ヒルズ」が誕生する。「ヒルズ」と名の付いていることからも分かるように、ディベロッパーは森ビルで、住友不動産も開発に加わっている。
開発される土地の面積は約8万平方メートルで東京ドーム1.7個分。建設されるビルの延べ床面積を合わせると約108万平方メートル、つまり東京ドーム23個分ほどになる。明らかに、超大型開発といえるプロジェクトだ。2025年度に着工し、2030年度の開業を予定している。
|
|
しかし、世間の森ビルに対する風当たりは、あまり良くない。
2023年に誕生した「麻布台ヒルズ」は、「ガラガラだ」「廃虚化している」という声が多く寄せられており、メディアでは散々な書かれ方がされている。そんな中で出てきたのが、「第2六本木ヒルズ」計画なのだ。
ただ、筆者が実際に麻布台ヒルズを訪れてみて気付いたのは、「そこを訪れる人は着実に増えているのではないか」ということだ。それと同時に、メディアでの報じられ方と現実の姿に、どこか乖離(かいり)があるような気がした。
つまり、森ビルは必要以上に「嫌われている」気がするのだ。
それはなぜなのか。今回はその理由について考察したい。
|
|
●麻布台ヒルズは、本当に「ガラガラ」なのか?
久々に麻布台ヒルズを訪れた。
南北線の六本木一丁目駅からも行けるが、それだと少し遠いため、直結している日比谷線の神谷町駅から行くのが一番早い。麻布台ヒルズが誕生した当初は、その認知はまだ低く、「場所が微妙だ」という評価もあった。確かにその評価は間違いないと感じるが、開発側は「地下鉄から直結しているので行きやすく、問題ない」と考えたのだろう。
麻布台ヒルズの中に入ると、多くの人がいる。そのほとんどが外国籍の人だ。私が訪れたのが平日だったことも関係しているのだろう。
特に人が多いのが、「チームラボ」の展示だ。チームラボは外国人観光客に大人気で、豊洲にある「チームラボプラネッツ」は、インバウンド需要に関するニュースサイトである訪日ラボの「インバウンド人気観光スポットランキング」で1位を取ったほどである。麻布台ヒルズの開業当初から、「チームラボの展示だけは人が多い」と言われていたが、その人気ぶりは今も健在だ。
|
|
その影響もあって、他のエリアにもかなりの外国人観光客がいた。アート作品も至る所で展示されており、それを撮影する人も多い。特に目立っていたのが、飲食店の行列だ。特に和牛料理やとんかつなどの日本食店は、昼時ともなると長蛇の列ができていた。
以前、私が麻布台ヒルズを訪れた時は、館内全体にインバウンドの波が来ているとは言い難かった。ただ、開業から1年以上が経過し、徐々にその存在が外国人観光客のコミュニティーにも知られてきたのだろう。
麻布台ヒルズのみを対象にしているわけではないため参考程度ではあるが、森ビルの決算を見てみると、その賃貸収益は昨年から増加しており、苦戦している様子はうかがえない。
●緑を増やしている森ビル
実際足を運んだ時の様子や森ビルの決算を踏まえると、「麻布台ヒルズがガラガラで廃虚だ」という表現は誇張されすぎていると感じる。確かに、中のテナントが明らかに一般庶民向けではないのは確かだ。しかし、それ相応の客の入りはあるため、それをねちねちと批判するのは的外れだろう。
こうした森ビル批判は、他の観点からもされている。その1つが、「緑が少ない」というものだ。森ビルは高層ビルの開発を多く手がけており、東京が急速にアスファルト地獄になっているという批判もよく聞く。
言いたいことは分かるが、データを見てみると、六本木ヒルズや虎ノ門ヒルズ、麻布台ヒルズなど、森ビルがこれまで開発してきた場所では、少しずつ緑の総量が増えている。実際、六本木ヒルズの緑化面積が約1万9000平方メートルに対し、麻布台ヒルズの緑化面積は2万4000平方メートルで、六本木ヒルズと麻布台ヒルズを訪れると、緑の量の違いは明らかである。
また、麻布台ヒルズの中には広場がある。その芝生に座ることもでき、周囲にはベンチやイスもある。「東京は座る場所がない」と言われるが、ここには座る場所も比較的多いのだ。
そもそも、行政による大規模な都市計画がほとんど存在しなかった日本において、ここまで大規模な再開発を、長い年月をかけて調整し、地元との話し合いを続け、実現したことは賞賛されるべきだ。
六本木ヒルズができる前のこの場所は木造の低層住宅が密集しており、防災面での不安が指摘されていた。ただ、土地所有者が多岐にわたっていたため、国も開発ができていなかった。そこを、長い時間をかけて開発したのが森ビルなのだ。森ビルは、東京のど真ん中の、首都の心臓部ともいえる場所の安全性を高めたといっても過言ではない。
●森ビルが参考にする、ある都市計画
それでも、さまざまなメディアが麻布台ヒルズを批判したくなるのは理解できる。なぜなら、このまま森ビルがその周辺を再開発していったとしても、明るい未来が待っているように感じられないからだ。
森ビルはどことなく嫌われている印象がある。そして、私自身もどことなく嫌っている。その理由はなぜなのか。
実は、現在の森ビルの開発フォーマットを築いたとされる森稔氏の著書『ヒルズ 挑戦する都市』(朝日新聞出版刊)を読んでいて、1つ気付いたことがある。著書の中で森氏は、建築家ル・コルビュジェの『輝く都市』という都市計画に大きな影響を受け、それを現代において成し遂げようとしたのが、一連のヒルズ開発であると述べていた。
コルビュジェの『輝く都市』は、工業化が進んだ近代において、いかに効率よく、かつ合理的に、多くの人が都市に住めるかを考えて作られたものだ。言い換えるなら、できる限り多くの人が1か所に住み、少ない移動距離でさまざまなことが行えるように高層ビルを建て、人口を集中させるというものだ。
麻布台ヒルズの「森タワー」は330メートルで、日本で一番高いビルであり、それが売りの1つだ。「第2六本木ヒルズ」計画でも、それに近い300メートルを超えるビルが建てられるという。森ビルの計画は、確実にコルビュジェの理想として掲げた都市計画を踏襲している。
近代以降、コルビュジェの都市計画のように、合理的であることや効率的であることが好まれるようになった。その都市計画では、配置するもの全てが、「意味」や「機能」を持っている。ビルを高く建てるのは、それが人を集めるのに最も効率が良いからだ。そして、全ての都市は、未来に向けて成長し、発展していくという、究極の「意味」を与えられていた。
●全てのものに「意味」を持たせた開発
森ビルの「どことなく嫌われている感じ」は、こうした「全てのものに意味を持たせる」という、都市の作り方に原因があると私は考えている。これが、何となく息苦しさを感じさせるものになっているのだ。
コルビュジェが活躍した20世紀前半は、まだまだ都市は「成長」していく余地があり、それは喜ばしいものだと思われていた。工業も伸びており、科学技術も万能だと信じられていた。しかし、現在はどうだろうか。むしろ過度な「成長」に対する反省が求められているような気がしてならない。
森ビルの資料を見ると、頻繁に出てくるのが「国際競争力の強化」という言葉だ。日本の都市が世界と肩を並べるようになるためには、ビジネスや人口を集約し、国力を伸ばしていくしかないと考えられている。森ビルの都市計画は、グローバル標準に合わせられているのだ。もちろん、都市の成長は必要である。ただ、あまりにも「成長」だけに目が向きすぎていることが、その開発に対するどことない反発を生み出しているのではないだろうか。
また、コルビュジェの都市計画では、人々の憩いの場となるような「公開空地」を作り、そこに「自然」の機能を持たせている。つまり、コルビュジェ流の都市では「自然」もまた、憩いの場所という「意味」を持たされているのである。
しかし、本当の意味での「自然」は、むしろ明確に定義された「意味」などないはずだ。森ビルの緑化には、「意味がありすぎる」のである。緑地はあるのに「緑がない」と批判されるのも、こうしたことが理由だと考えられる。
これは、日本の都市計画制度にもあてはまる。都市開発の制度では、公開空地を作ることで、ビルの高さ制限である「容積率」が緩和される。つまり、公開空地さえ作れば、それだけ高いビルを建てても良いということだ。都心の再開発で作られる公開空地は、それ自体が目的というよりも、むしろ「容積率緩和のための手段」という意味合いも強い。ここにも、「緑があるのに、緑がない」と感じられる原因があるのではないだろうか。
●人のための開発はできるのか
コルビュジェが『輝く都市』を発表して以降、都市論の分野では、彼のような機能主義に対する批判があらゆる角度からなされてきた。シャノン・マターンは『スマートシティはなぜ失敗するのか』(早川書房刊)という書籍の中で、「都市はコンピュータではない」と述べた。コンピュータは各パーツが意味を持っており、まさにコルビュジェ式の都市を具現化したような存在だ。
最近、都市開発の分野で耳にすることが多くなった「スマートシティ」も、まさにコンピュータのような都市だ。IoTなどを実装し、スマートで合理的で、全てのものが「意味」を持った都市を作る。ただ、シャノン・マターンが同書の中で批判するように、スマートシティとして成功しているところはまだ少ない。
なぜなら、現実の都市は「意味」だけでは成立しないからだ。不確実で雑多なものを含んだ都市こそが、人間にとってなじみやすいのだと、シャノン・マターンは指摘している。
一連のヒルズには、こうした不確実なものとの出会いがない。確かに、通路は複雑で、散歩していたら思わぬものに出会うかもしれない。しかし、そうした通路でさえも、「迷うための機能」になってしまっている。
ヒルズはどこか「人間のため」ではなく、人間以外の「成長」や「意味」といったもののための街になっているのかもしれない。こうした、「人間になじみやすい都市から乖離している」という印象が、森ビル批判につながっているのではないか。
(谷頭和希、都市ジャーナリスト・チェーンストア研究家)
|
|
|
|
Copyright(C) 2025 ITmedia Inc. All rights reserved. 記事・写真の無断転載を禁じます。
掲載情報の著作権は提供元企業に帰属します。