プロ野球界のレジェンドであり、日本国民に長年愛され続けた「ミスター」こと長嶋茂雄氏が2025年6月3日にご逝去された。89歳だった。
参考:【画像】『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』河合じゅんじの長嶋茂雄追悼イラスト
本記事では強烈な輝きを持つスター、長嶋茂雄の半生にも触れながら、その功績を振り返っていきたい。
◼︎漫画のヒーローのような輝きを放つ巨人の星
長嶋は立教大学野球部で大学野球のスターとして活躍後、1958年に読売ジャイアンツに入団しプロ野球界入りを果たすと、プロ1年目から本塁打王と打点王の二冠に輝き、新人王を獲得。現役生活通算では2471安打・444本塁打を誇り、4歳年下の王貞治と共に形成された3番4番のコンビは「ON砲」の異名を持ち、巨人の日本シリーズ9連覇を含む黄金期を支えた。まさに記憶にも記録にも残るプレーヤーだった。
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引退翌年から読売ジャイアンツの監督として指揮をとり、初年度は屈辱の最下位に終わるもその翌年に復活のリーグ優勝を果たし、1980年に一度退任。1993年に再び巨人軍の指揮を執ると、1994年には悲願の監督日本一に。2000年には現役時代共に一時代を築いた王貞治監督率いる福岡ダイエーホークスと日本シリーズで激突し、見事20世紀を締めくくる2度目の日本一に輝くなど監督としても多くの野球ファンの記憶に残る、そのまま漫画の主要キャラクターとして登場しても何の違和感もない強烈なスター性を備えた存在としてお茶の間の人気を博した。
実際に、1966年に週刊少年マガジンで連載された『巨人の星』(原作:梶原一騎・作画:川崎のぼる)を始め、『ドカベン』で知られる水島新司の出世作『男どアホウ甲子園』でも主人公に大きな影響を与えた存在として実名で登場している。
◼︎長嶋茂雄のユーモラスな一面が刺さるあの作品も
また、1994年から月刊コロコロコミックで連載された『ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん』では長嶋茂雄のパロディで描かれていた「ナガシマ監督」も登場し、その印象も色濃く残っている。筆者自身も幼い頃に楽しませて貰った内の一人だ。
作者である河合じゅんじも自身の公式Xで追悼のコメントと懐かしのナガシマ監督のイラストを挙げている。
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気さくでユーモアに溢れた長嶋監督の印象が、本作品によって当時コロコロを愛読していた子供達の中でよりその存在感が大きくなっていたことは想像に難くない。
また『名探偵コナン』の作者、青山剛昌が描いた長嶋茂雄と同姓同名の長島茂雄(ながしましげお)が主人公の物語『4番サード』も隠れた名作だ。
名前が同じという理由だけで4番でサード、レギュラーに祭り上げられるも、50打席連続ノーヒットという散々な結果しか出せない高校2年生の野球部員、長島。ある日偶然訪れたスポーツ用品展でどんなボールでも打つことのできる神様のバットの存在を聞かされることから物語が始まる。
偶然手にすることとなった神様のバットのお陰で試合で活躍することができるようになった長島は、果たしてチームを甲子園優勝に導けるのか。青山剛昌先生の長嶋茂雄愛を感じることのできる作品だ。
まさに日本国民のヒーローとしてその生涯を駆け抜けた長嶋茂雄。多くの漫画家にも影響を与え、数多の作品にも登場していることからも、その影響力の大きさを物語っている。
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思い起こせば、1959年に創刊された少年サンデー創刊号の表紙は長嶋茂雄だった。憧れの存在として追いかけたくなる存在こそが、長嶋茂雄。漫画の主人公に追い求めたくなる要素の全てが備わっていたといっても過言ではないだろう。野球を通して、夢と感動と笑顔を届けてくれたことに、改めて感謝の意を表したい。
(文=もり氏)
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