バブルの夢が終焉…中止となった「都市博」とは(1991年〜)【TBSアーカイブ秘録】

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2025年06月25日 06:04  TBS NEWS DIG

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1996年(平成8年)に東京・お台場で開催される予定だった「世界都市博覧会『東京フロンティア』」は、東京都が主導し最先端の都市像を世界に発信することを目的とした一大プロジェクトでした。しかしバブル崩壊後の経済情勢の悪化、巨額の税金投入への批判、そして1995年(平成7年)に誕生した青島幸男都知事の中止表明により、開催まで1年を切ったところで正式に中止されました。(アーカイブマネジメント部 森 菜採)

【写真で見る】臨海副都心のイメージ模型と建設予定地のウォーターフロント

東京・臨海副都心開発の起爆剤として計画

東京都の好調な財政状況を背景に1989年(平成元年)に「都市博」の開催が決定しました。しかし1991年(平成3年)頃からのバブル崩壊で目算が狂い、さらに資材高騰などの課題を抱えます。

そんな中、パビリオン出展を呼びかける企業説明会なども開かれました。しかしバブル崩壊に伴う都の財政悪化の影響で、副都心そのものの建設が予定通りに進むかどうかも微妙な事から、参加者の中にはやや不安そうな表情も見られます。

開催への雲行きがどんどん怪しくなっていく…

1993年(平成5年)3月の都議会代表質問で「景気低迷に加えて都の財政も悪化している中で、1000億円もかかるイベントを開くのはいかがなものか」と、計画見直しを求める声が相次ぎました。これに対し、当時の鈴木俊一都知事は「意義深いイベントであり、今後の社会情勢を見ながら適切に進める」などと開催への強い意欲をにじませます。

そのため計画自体は継続されましたが、当初1994年(平成6年)の開催を予定していた都市博は計画全体が大幅に見直され、開催時期が2年延期の1996年(平成8年)となり、都の財政悪化により予算も1000億円から830億円へと圧縮されました。

1994年10月には村山富市首相(当時)らも出席して起工式も行われましたが、不況の影響もありパビリオンの出展企業は12グループと、目標の半分程度に留まっていました。

震災・テロ・不況── 日本の試練の年

開催予定前年の1995年(平成7年)、日本は激動の渦中にありました。
阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件など未曽有の大災害と社会を揺るがすテロ事件に直面し、さらに追い打ちをかけるバブル景気の崩壊というタイミング。

ここから後に『失われた30年』とも言われる、日本経済が長期にわたり低成長・デフレ・停滞に苦しんだ期間に本格的に入っていきます。証券会社は上場会社25社中23社が大幅な経常赤字を発表し、「アメリカ・ニューヨークのシンボルを買った」とまで言われた三菱地所のロックフェラーセンター運営会社が事実上倒産しました。

新都知事誕生で「中止」か?「開催」か? 決定までの約2か月 

そんな中、引退を表明した鈴木都知事に代わって、1995年(平成7年)4月9日「都市博中止」を公約にしていた前参院議員の青島幸男氏が、政党相乗りの官僚出身候補らを大差で破って初当選します。

当選から5日後の4月14日の記者会見では「やめるという方向になれば、金銭的損害、信頼・イメージの問題でご迷惑がかかることは重々承知しています。そこが逡巡するところですけども、このままの計画で進めていって都民に利益になることは一つもない。」と『都市博の中止という公約を変える意思はない』と改めて強調していました。

その数日後、4月20日に「まず現場を見てみたい」と青島氏が東京都側に案内を申し入れて国際展示場や清掃工場などを2時間かけて視察。「この完成度を見て、世界都市博中止の考えを改める必要があるかもしれないと思った」と発言し、一転して『都市博を中止する考えを見直す』ことを示唆しました。

しかしなんと次の日には記者会見を開き「中止見直し発言」を撤回!「できるだけ早く結論を出したい」と語りました。
一方で任期を終える鈴木氏は最後の記者会見に臨み「都市博をやめることはありえない」と述べて、青島氏を強く説得する考えを示しました。

4月24日に新都知事として初登庁した際の会見では「明確な理由がないと中止の決断は下せない」と、これまでより都市博中止に慎重姿勢を示します。
中止するのか、開催するのか…青島氏の発言に注目が集まります。

中止の決断をしたことを正式に発表の後も… 〜揺れる青島氏

そして知事当選から17日目の4月26日。ついに青島新都知事は決断を下します。
「この1週間、悩みに悩んだが、私の信義を貫くということで中止の方向で考えていただきたい」と中止の決断をしたことを初めて明らかにしました。

もはやこれが最終決断かと思われましたが、なんとこの後も多数の都議会や集中審議での促進委員会との議論、推進派議員との論争に加え、5月18日には都議会本会議で100対23の圧倒的多数で都市博開催が可決されるなど…青島都知事は多数の試練に直面し、最終決定を指示することができません。

「都議会の民意」と「都知事選の民意」…どちらを尊重するべきか。苦慮する青島都知事。『民主主義を守りながら、自分の主張を遂げる』ことの難しさを当時の出演番組で語っています。

その後、開催促進派・反対派、双方との意見聴取会などを経てついに最終決定が下されます。

『今、公約を翻すことは民主主義の危機につながる』

5月31日の記者会見で青島都知事は「都議会の決議を尊重すべきか、中止の公約実現に踏み切るか熟慮した結果、『都市博は撤回』という公約を守ることが都民への政治的責任として優先されるべきと結論付けた。公約を翻すことは都民の期待を裏切り、民主主義の危機につながるとの危惧を抱いている。都市博構想がバブル最盛期の所産であり、社会経済状況から成功に危惧があることも中止決断の要素となった。」と話しました。

「都市博」はバブル崩壊の象徴? 臨海副都心のその後

こうして都市博は結果として中止となりました。この後も景気低迷が続く中、進出予定だった企業への補償や事業の後始末など問題は残りました。

しかし臨海副都心の開発計画自体は修正を加えながら継続され、放送局や商業施設、エンターテイメント施設などが次々とオープン。「お台場」と称され、東京を代表する観光スポットになりました。

世界都市博覧会の中止は、バブル経済期における壮大な構想が現実との乖離を示した象徴的な出来事であり、現代の都市開発及び公共事業の在り方に対する重要な教訓ともなりました。

このニュースに関するつぶやき

  • 今の都知事はわざわざ条例まで作って支那製の太陽光パネル買いまくってるけどね。
    • イイネ!7
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