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「え、新入社員研修で一人旅?」――。山陰パナソニック(島根県出雲市)が2022年に導入した新入社員研修の「サンパナジャーニー」は、当時大きな話題を呼んだ。青春18きっぷを使って、5日間の一人旅をさせる取り組みは、SNSを中心に「斬新すぎる」と話題になり、多くのメディアでも取り上げられた。
あれから3年。サンパナジャーニーを継続してきた同社では、どのような変化があったのか。研修を企画した同社の船井亜由美氏に現状を聞いた。
サンパナジャーニーでは、5日間どこに行き、何をするのか新入社員が各自で計画を立てる。予算は1日1万円で、宿泊費や食事代、青春18きっぷ以外の交通費、現地での雑費など、すべてをやりくりする。そのほか、「1日当たり10人と会話する」「地域の課題を聞く」などのミッションも課される。
同研修では、新入社員の主体性や計画力、コミュニケーション力の向上を目的としている。旅を通じて、限られた予算と時間の中で計画を立てて実行するという、いわば仕事の基礎を身に付けさせる狙いだ。
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あえて一人旅にしているのも理由がある。複数人だと内輪だけで完結してしまうが、一人だと知らない人に助けを求める経験も得られる。これは職場で周囲に協力を仰ぐ際の疑似体験にもなるという。
●入社2年目で社内表彰されるメンバーも
2022年度は22人、2023年度は9人、2024年度は7人が参加し、2025年度は7人の参加を予定している。参加者数の変動は新卒採用人数の増減によるもので、研修は基本的に全員が参加する仕組みだ。ルールに大きな変更はなく、物価や宿泊費が高騰する中でも、予算は1日1万円に据え置いている。限られた予算の中でやりくりする経験が仕事に生きると考えている。
一方で、細かな改善を加えており、例えば知人宅への宿泊は1泊のみに制限した。「知らない土地で一人で過ごす」という研修の趣旨を重視している。
3年間の継続で成果も見えてきた。入社2年目で社内表彰を受ける社員が現れたほか、社内プロジェクトへの積極的な参加も目立っている。ある部門では、同期の中で1位の成績を収め、昇格するケースもあった。
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船井氏は「全員が同じ成果を上げているわけではない」と冷静に評価するが、それでも一定の成果がうかがえる。
参加者からのフィードバックも良好だ。一人になることで自分で情報を調べる習慣が身に付き、それを仕事でも実践しているという意見のほか、外に出たことで逆に地元への愛着が深まったという声も多い。
旅に出る前は抵抗感を示す社員もいるが、研修を終えるとポジティブな感想を述べるようになる。この参加者の反応パターンは、過去3回とも変わっていない。これまで、インフルエンザや家族の事情といったやむを得ない理由を除いて、途中リタイアした社員はゼロだ。
●研修が生んだ効果
研修の効果は参加者以外にも広がっており、メディアで取り上げられたことで新卒採用にも良い影響が出ているという。大学訪問時に教員から研修について質問されることや、ニュースで知った学生が会社説明会に参加するケースも増えている。
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実際、研修に挑戦したいと意思表示する学生もいるという。「研修に関心を持つような、チャレンジ精神のある学生に応募してもらえたらうれしい」と船井氏は語る。
社内でも当初は研修に反対意見もあったが、現在は受け入れる雰囲気が広がっている。新入社員が所属する部署によっては、ダーツで旅先を決めるなど、周囲が一緒に盛り上がる場面もあり、研修が組織のコミュニケーション活性化につながっていることがうかがえる。
また、前年の経験者が新入社員をサポートする制度も導入した。計画立案の段階から相談できる環境を用意し、さまざまな意見を聞いた上で自分なりの答えを見つけるための体制を整えた。
●マニュアル化できない難しさ
一方で、3年間の運営を通じて見えてきたのは運営側の難しさだ。「この研修はマニュアル化できない」と船井氏が指摘する通り、参加者によって旅の内容が異なるため、旅行中は個別のハプニングが必ず発生する。
当初は船井氏が一人で昼夜を問わず、すべての参加者に対応していたという。他企業や学校から研修導入の相談を受けることがあるが、実施に踏み切った例はまだないという。マニュアル化できないことがハードルになっているとみられる。
山陰パナソニックでは現在、人事部門に異動したサンパナジャーニー経験者が船井氏から運営ノウハウについてアドバイスを受けながら、研修参加者のサポートを担っている。
また、参加者自身のコンプライアンス面にも当然ながら気を配る必要がある。入社から半年をかけて安全な行動について指導するほか、研修前の夏には街中で一人行動を体験する半日程度の研修も実施している。
●「点」ではなく「線」の研修体制を構築
山陰パナソニックは、サンパナジャーニーを3年間の社員育成プログラムの一部として位置付けている。この研修を単発の「点」として捉えるのではなく、一人の社員が3年かけて成長する計画の一環と考え、継続的につながる「線」の育成体系を目指している。
2年目には「社長のカバン持ち研修」と題して、一日中社長と行動を共にして経営者の視点を学ぶ場を提供。「木ではなく森を見る視点を2年目に入れることで、これまで学んできたことの曇りが晴れていく」と船井氏は狙いを説明する。今年度から3年目の社員向けに、半年から1年かけてチームで取り組む研修の導入を予定しており、会社への帰属意識を高める狙いだ。
船井氏は「研修を体験した社員の中から責任者クラスに昇格する人が増えれば、自然と会社の風土も変わっていく」と展望を語る。
また、東京学芸大学や松下政経塾と協力し、「変人類学プロジェクト」という企画も実施している。「変人」とは、標準の価値観に左右されず、変化に対応できる人材を指す。
現代の若手社員が持つ「プロセスを踏まずに答えを求める傾向」に対応するプログラムを開発し、県内外でさまざまなフィールドワークを行っている。めまぐるしく変化する現代社会の中で既成概念にとらわれず、適応できる人材の育成を目指す。
●失敗を通じた学びを重視
デジタル技術の進化で瞬時に答えが得られる現代だからこそ、予測できない環境下に身を置き、自分で考え、失敗から学ぶ経験が重要になっている。生成AIを使った業務の効率化も重視される中、山陰パナソニックは「リアルな体験を通じた人材育成」で成果を示している。
一般的な研修では即効性を求められがちだが、山陰パナソニックが目指すのは時間をかけた人材育成だ。失敗を通じた学びを重視し、効率化を追求する中で抜け落ちがちな「プロセスを積み上げることの大切さ」を掲げる。
そのためには周囲の理解や協力も不可欠となることから、船井氏は「研修に参加する当事者だけでなく、社内全体で若い社員を育てていくという雰囲気も大切だ」と語る。人手不足に悩む地方企業が多い中、独自の研修で若手の定着と成長を実現した同社の取り組みは、人材育成のモデルケースとして注目を集め続けそうだ。
(カワブチカズキ)
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