東京大空襲の慰霊の集いに参列し、平和を訴えるちばてつやさん=3月9日、東京都台東区 「あしたのジョー」で知られる漫画家ちばてつやさん(86)は、太平洋戦争の終結に伴い、旧満州(中国東北部)から一家で引き揚げた経験を持つ。恐怖や飢え、厳しい寒さで命の危機にさらされ続けた日々。戦後80年を控え、二度と「戦中」にせず、「戦後が90年、100年と続いてほしい」と力を込める。
1939年、東京で生まれ、間もなく父の仕事で満州の奉天(遼寧省)に渡った。45年8月15日を機に「戦争のど真ん中に放り込まれた」と言う。当時6歳。敗戦の意味は分からなかったが、同日夕、中国人がこん棒や刀を手に、塀を乗り越え日本人居住区に襲いかかってきた。かわいがってくれた市場のおじさんらの姿もあった。
両親と3人の弟と共に、父の友人の中国人宅や廃校、橋の下などを転々とした。日本人居住区での暴動に加え、中国共産党と中国国民党の対立が激化する中、侵攻した旧ソ連軍による略奪も頻発。冬は氷点下20度以下となる厳しい逃避行で、行き倒れる人や、子どもを中国人に売る人もいた。
栄養失調で吹き出物だらけになりながらも、約300キロ離れた葫蘆島に着き、引き揚げ船に乗ることができた。船中でも友人ら大勢が亡くなり、途中で海に葬られた。博多港にたどり着いたのは、46年夏だった。「戦争が始まると人格者でも鬼になってしまう。平気で人を殺すし、人が死んでも何も感じなくなってしまう」。そう述懐する。
17歳の時に漫画家デビュー。「あしたのジョー」などを連載する傍ら、自身の引き揚げ体験や、青年が特攻隊として出撃するまでの苦悩を描いた「紫電改のタカ」といった作品も手掛けた。「一緒に旅をして亡くなった人たちは、言いたかったことがたくさんあったと思う。生き残ってしまった身として漫画で描いてきた」
交流があった「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるさんや「アンパンマン」のやなせたかしさんら、出征経験がある漫画家は既に鬼籍に入った。戦争を体験した世代が少なくなる中、「伝え足りていないことがあるのでは、と焦りがある」といい、今も「ひねもすのたり日記」で満洲での経験などを描き、講演などで平和を訴えている。
「戦争は加害者も被害者もなく、みんな犠牲者になってしまう。戦争はやってはいけない。若い人たちに知ってほしい」。漫画で世界に伝えることが「生かされている意味」と信じている。

取材に応じるちばてつやさん=8日、東京都練馬区

取材に応じるちばてつやさん=8日、東京都練馬区