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カレーハウスCoCo壱番屋(以下、CoCo壱)の値上げは、大きな話題を呼んだ。多くのメディアが「値上げ失敗」「客足遠のく」といった見出しで報じており、価格改定が大きな反発を招いていることがうかがえる。
実際に数字でも変化は明確だ。2024年9月以降、既存店の客数は5カ月連続で前年同月を下回り、累計では約5%の減少。これは明らかに異常な事態である。
2024年8月に実施された平均10.5%の値上げ(ベースカレーやトッピング類)を境に、顧客離れが加速したと見られている。壱番屋の開示資料によれば、2024年3〜8月時点のCoCo壱の客単価は平均1161円。値上げ以降はさらに上昇していると考えられ、客側の「割高感」は強まる一方だ。
さすがにやりすぎだったのでは──そう思うのが自然だろう。
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しかし、値上げは本当に失敗だったのだろうか。ここで見落としてはならないのは、CoCo壱は売上高、営業利益共に過去最高をたたき出していること、そして同社はこれまで値上げがうまい企業だったという事実だ。「値上げ巧者」CoCo壱の巧妙な価格戦略とは。今回の値上げから得られる教訓は?
●巧みな価格戦略だったはずが……CoCo壱の値上げ史
今回の値上げで物議を醸しているCoCo壱だが、実はこれまでの値上げ戦略は非常に巧妙だった。同じ外食チェーンの中でも、トップクラスの「プライシング巧者」だと言っても過言ではないだろう。
その特徴は、なんといっても「小刻みな値上げ」だ。例えば、看板メニューの「ポークカレー」は2014年以降、
2014年 → 2016年 → 2019年(2回)→ 2022年(2回)→ 2024年
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というように、約2年に1度のペースで、少しずつ値上げされている。「ロースカツカレー」など、2015年にも個別の価格改定が入ったメニューもある。
このように、全ての商品が一律に値上げされたわけではなく、同じタイミングでも、一部のトッピングやメニューだけが改定されたり、据え置かれたりしている。これは、顧客が価格の変化に過剰に反応しないよう配慮された設計と言える。
●なぜ小刻みな値上げが効果的なのか?
背景にあるのは「内的参照価格」という心理学的な概念だ。顧客は無意識に「これくらいが妥当だろう」という価格基準を持っており、それを超えた値上げは、「高くなった」という印象を一気に強めてしまう。
だからこそ、値上げは一度にまとめて実行するのではなく、少しずつ価格を上げ、顧客に新しい価格に慣れてもらうことが重要なのだ。
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その結果として、この値上げ戦略はCoCo壱の業績にも大きく寄与してきた。既存店ベースでの売り上げは長年安定して推移し、利益率も堅調に推移。特に大きな客離れを起こすことなく、値上げしても選ばれ続ける店を実現してきたのである。
これはCoCo壱に限った話ではない。スターバックス、マクドナルドといった多くのグローバルチェーンでも、年1〜2回ペースの小幅な値上げを定期的に実施する戦略が定着している。
うまくいっている企業ほど、値上げを先延ばしにする傾向がある。しかし、原材料高騰などの外部要因が急に顕在化したとき、それまで値上げを先延ばしにしていた企業が慌てて価格改定に踏み切ると、顧客の許容範囲を一気に超えてしまい、離反を招きやすい。
CoCo壱は、まさにその落とし穴を避けるべく、10年にわたり地ならしをしながら値上げを成功させてきた企業だったのである。
●価格改定で客離れが加速した2つの理由
では、なぜ今回に限ってCoCo壱の値上げで、顧客離れが加速する結果になったのか。
一言で言えば、「価格の閾値を超えてしまった」からだろう。ある一点の価格(閾値)までは、値上げをしても客離れがほとんど起きない、または緩やかにしか進まない。しかし、その閾値を超えた瞬間に、顧客の離脱が急激に加速する。
今回の2024年8月の値上げは、まさにその境界線を超えた可能性が高い。ベースカレーは10.5%、トッピングも含めれば一食100円前後を値上げした。
もう一つ見逃せないのが、地域別価格の廃止だ。
従来のCoCo壱は、都市部と地方で価格差を設けていたが、今回の価格改定では全国一律価格へと転換された。一見するとシンプルで公平な施策に思えるが、実は価格戦略としては非常に難度が高い。価格の閾値や支払い意欲は、地域や顧客層ごとに全く異なるためだ。
支払い意欲が比較的低い層(地方・学生・ファミリー層など)を基準に価格を統一すると、当然ながら客単価は下がる。反対に、支払い意欲の高い層(都市部・ビジネスマン・外食頻度の高い層など)を基準に統一価格を設定すると、支払い意欲が低い層の離脱を招く。
つまり、どっちを取っても常にリスクを伴うのだ。このように、地域別やセグメント別の価格戦略を廃止し、支払い意欲の高い層に寄せた価格になったことで、支払い意欲が低い層の離脱を招いてしまったのだろう。
さらにもう一点、今回の価格改定で特に気掛かりなのは、来店頻度の高い顧客への影響である。仮に一食当たりの値上げが100円でも、「たかが100円」と感じる人もいれば、「それが積み重なるとばかにならない」と感じる人もいる。
実際に月間来店頻度で換算すると、
・月4回の利用者:+400円
・月16回の利用者:+1600円
・月25回のヘビーユーザー:+2500円
ほどが増えることになる。
来店頻度が高い人ほど、価格の変化が生活に食い込んでくるため、同じ値上げでも「生活コスト」としての重みが異なるのだ。
●今回の値上げは失敗だったのか
今回の値上げがきっかけで、既存店の客数が5カ月連続で前年同月を下回り、累計では約5%の減少。客離れが起きたのは明らかだ。
しかし、売り上げは「単価×数量」で決まる。数量が多少減っても単価を引き上げて売り上げと利益を底上げすることは、特に成熟フェーズにある企業にとって王道の戦略であり、CoCo壱のように一定のシェアを取った企業には合理的とも言える。実際、足元の売り上げと利益は過去最高を記録しており、これまでの実績を踏まえると、現時点では「戦略的な値上げ」と評価できる。
ただし、値上げを起因としたこれほどの客数減少は前例がなく、今後も減少に歯止めがかからなければ、近い将来、過去最低水準に落ち込むリスクが現実味を帯びてくる。
現時点で成功とも失敗とも断定するのは難しいというのが正直なところだ。しかし、2024年9月の値上げからもうすぐ1年。多くの場合、売り上げや利益へのマイナス影響は1年〜1年半で結果が出る。答えが明らかになる日は、そう遠くないだろう。
●得られる「3つの教訓」
今回のケースからは、他の飲食店にとっても多くの示唆が得られる。価格改定はもはや避けられない経営課題だが、「どう上げるか」の設計次第で、顧客の反応はまったく変わってくる。以下に、今回のケースから得られる教訓を整理した。
(1)一律値上げは避けよ
全国一律価格の導入は、コスト面ではオペレーションが簡易になるが、価格に対する地域差・顧客層の受容差を無視してしまう。価格の閾値が異なるセグメントに同一価格を当てはめれば、いずれかの層が過剰な値上げと感じて離脱する。
今後は地域別価格、時間帯別価格、チャネル別価格など、セグメントごとの価格設計が必須になるだろう。
(2)集客メニューの価格は据え置け
顧客が価格の印象を決めるのは、いつも「頼み慣れた定番メニュー」だ。今回でいえば、ポークカレーの値上げは価格の印象全体を押し上げる要因となった。
このような価格の基準点となる商品は、むしろ据え置くか、値上げ幅を最小限にとどめ、他メニューやトッピングで回収する戦略が有効である。
(3)高単価メニューの開発で逃げ道を作れ
ベースとなるメニュー価格を据え置いたまま、高単価な新メニューを追加するというのも王道の値上げ戦略。消費者心理としては「ベースは変わっていない」という安心感を持ちつつ、10回来たうちの3回はちょっとぜいたくをして、高単価メニューといった消費行動を促せれば客単価は上がる。特別感・期間限定感などを持たせることで、「価格が高くなった」という印象を緩和できる。
(4)来店頻度別に体感負担を想定せよ
値上げのインパクトは「単価」ではなく「頻度」と掛け算で決まる。月に1〜2回の来店なら100円の値上げも大きな問題にならないが、週3〜4回利用するリピーターにとっては死活問題になり得る。
CoCo壱はヘビーユーザー比率が高い店でもある。そのような来店頻度別の影響度を事前に想定せず、一律の値上げをしてしまえば、ロイヤル顧客を失うリスクは極めて高くなる。
●まとめ
物価高、人件費上昇、原材料の高騰──値上げは、いまや飲食店にとって避けて通れない経営課題だ。しかし、「値上げすれば売り上げが落ちる」のではなく、「値上げのやり方がまずいと売り上げが落ちる」というのが、本質的な論点である。
飲食業界の消費者は、これまで以上にシビアだ。「値上げしても仕方ない」と頭で理解していても、体感としての“割高感”が少しでもあれば簡単に離れていく。だからこそ、値上げには緻密な設計と戦略的な仕掛けが必要なのだ。
値上げは単なる価格改定ではない。それは、顧客との信頼を前提としたコミュニケーションの技術である。この技術を磨くことが、今後の飲食業界にとって最大の競争力になるだろう。
著者プロフィール
高橋嘉尋(たかはしよしひろ)
プライシングスタジオ代表取締役社長。
これまでリクルートをはじめとする大手企業から、「money forward」など中小企業まで数十サービスの価格決定を支援。
また、公的機関、学会、雑誌などへのプライシングに関する論文提出や講演会、寄稿などを通じ、プライシングに対するノウハウを積極的に発信。
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