性差別、年齢差別、国籍差別が許されない現代社会の「謎ルール」。学歴差別が許されるのはなぜ?

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2025年09月27日 21:50  All About

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あらゆる差別が許されなくなる現代社会において、なぜ「学力差別」だけは許され続ける? なぜ結婚という「個人的な事柄」を国に届け出る必要がある? 世の中の「謎ルール」はいったいなぜ誕生したのでしょうか。(サムネイル画像出典:PIXTA)
性差別、年齢差別、国籍差別……。あらゆる差別が許されなくなる現代社会において、なぜ「学力差別」だけは許され続けるのでしょう。

教育思想家の高部大問氏は著書『謎ルール: 10代から考える 「こんな社会」を生き抜く解放論』(内田樹監修)は、現代社会に氾濫する不思議なルールを「なぜ?」と問い直す一冊です。

本書より一部抜粋し、現代人が当たり前に受け入れている制度や学習に関する“謎だらけ”のルールを掘り下げます。

身近な生活に潜むルール

皆さんがこれから親元を離れ、一人暮らしをする場合を想定してみましょう。まずは、住まいを決めねばなりませんね。住まいにはルールがあるでしょうか。

「衣食住」のうち、「衣」と「食」は制約が少なく比較的自由に物を着たり食べたりすることができます。しかし、「住」だけはちょっぴり事情が異なります。

私たちはお金がないと住むことすらできません。家賃を支払ったり、家を買ったりしなければ住む場所が得られません。ところが、お金だけあっても自由には住めないのです。どういうことでしょう?

民主主義は基本的に人を差別しないシステムのはずですが、「衣食住」のうち「住」だけは、所属企業や収入見込みに関する情報を住宅会社などに事前に提出しなければ住むことの許可がおりず、実質的な身元調査が行われています。

これは妥当な世の中でしょうか? 言ってしまえば、全員が、常にホームレスと隣合わせの状況で生きるこの状況が。人類が誕生したとき、先人たちは住むために誰かに許可を取ったでしょうか?

結婚という個人的なことも届出制

次に、一人暮らしを経た皆さんは、誰かと恋に落ち、結婚するかもしれませんね。結婚にもルールがあります。

1960年代に登場したとされる紋切り型の式場で執り行われる結婚式ももちろん謎ルールのひとつですが、それよりもまず、婚姻という個人的事柄になぜ届出が必要なのでしょう? 西欧では自由結婚に教会という公権力が介入したのは最近の出来事とされています。

結婚後のライフ・イベントのひとつは出産ですが、子宝の誕生についても謎な習慣があります。妊娠は病気でもないのに、なぜ子どもを出産する場所は病院なのでしょうか?

なぜ産まれたあとに他人の手に抱かれて連れて行かれ、大勢の赤ちゃんと一緒の部屋に入れられねばならないのでしょうか?

なぜ生後2週間以内に名前を決めねばならないのでしょう? まだその子の個性も特徴も何も分からないのに。それでいて、「高」と書いて「ヒクシ」と読ませるネーミングなどは禁止されていて、完全なる命名権の自由があるわけでもありません。なんだかヘンテコリンな世の中ですね。

無論、名前を決めないという権利もないわけです。私は名無しの権兵衛です、というわけにはいかないのです。

出産時だけではありません。亡くなったら今度は死亡届を提出しなくてはいけません。「ゆりかごから墓場まで」というキャッチフレーズは良心的な国家サービスを想起させるでしょうか。

良くいえばそうした一面があるかもしれませんが、悪くいえば公私混同。私たちの人生は、私的人生と公的人生の合挽き状態です。

学習についてのルールは謎だらけ

さて、赤ん坊だった子どもは、やがて就学年齢に差し掛かります。学習についてのルールはどうなっているでしょうか。

なぜ私たちは、ある年齢になると一斉に学校に通い、同じ教室で、誰かが決めた教科書に基づいて同じような学びを同じような人々から受けねばならないのでしょう?

学校で何を教えるべきかや、学校が人生の時間の何%までを使用していいかや、誰から学び誰と一緒に学ぶべきかについて、私たちは意見したことがあるでしょうか?

そもそも、他者への強要を嫌がる私たちが、なぜ、教育の強要には反発しないのでしょうか?

どうして教育熱心な保護者たちの悩みの種は、我が子を「学校へ行かせるか否か」ではなく「どの学校へ行かせるか」なのでしょう。

性差別や年齢差別や国籍差別などあらゆる差別が許されなくなるなかで、なぜ「学力差別」だけは白昼堂々と許され、勝ち馬に乗ることを公然と重要視できるのでしょうか?

皆さんは、学校に行くのは当たり前だと感じるでしょうか。「不登校」などというネーミングからは、どうやら今の社会は学校に行くこと・行かせることがデフォルトのようです。

ところが、実は、私たちが当たり前だと思っている「教育」に対して、人々が反発した時代が日本にはあったのです。学制が施行された明治時代のことです。

全国民に学校で学ぶことが義務づけられたことに対して、義務教育を個人の自由の侵害だと受け取る人もいて、「隠れ寺子屋」があったり、全国規模での農民一揆や学校焼き打ち事件まで起きたりしたほどです。

監修:内田樹(うちだ・たつる)
1950年東京生まれ。思想家、武道家、凱風館館長、神戸女学院大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。第六回小林秀雄賞(『私家版・ユダヤ文化論』)、2010年度新書大賞(『日本辺境論』)、第三回伊丹十三賞を受賞。

著者:高部大問(たかべ・だいもん)
1986年淡路島生まれ。教育思想家。全員バラバラの血液型の家族、片目は失明し歯も1本だけの祖父、不登校の近親者、母子家庭の幼馴染、車椅子のクラスメイトなど、いわゆる多様性に囲まれた幼少期・青年期を経て、慶應義塾大学商学部在学中、地球2周分の海外ひとり旅、中国へのインターンシップ・留学を経験。卒業後、リーマン・ショックによる就職氷河期にリクルートに就職。人事・総務・営業を経験した後、大学事務職員にキャリア・チェンジ。入口の学生募集業務から出口の進路支援業務まで10年間従事し、現在はインクルーシブ保育・教育を実践する社会福祉法人どろんこ会に所属。1年間の育休経験も踏まえ、幼児教育から高等教育まで教育現場のリアルを執筆・講演などで幅広く発信。
(文:高部 大問)

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  • 性差別、年齢差別、国籍差別なんて言ってるものの大半は「区別」でしかない。
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