ゲーム好きなドイツの少年が、日本でゲーム開発者になった必然

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2025年10月02日 07:10  @IT

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小さなコックさん

 グローバルに活躍するエンジニアを紹介するインタビュー連載「Go Global」。今回ご登場いただくのは、日本のゲーム会社 コロプラで開発効率化グループの一員として活躍するドイツ出身のゲーム開発者、Kai Eschmann(カイ・エシュマン、以下カイさん)だ。


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 前編では、ドイツの古都で過ごした幼少期から、ゲームとプログラミングに目覚め、日本のゲーム業界を目指すに至った彼のルーツと学びの過程をひもとく。異国の地でゲーム開発に挑む彼の原点には、どのような情熱と探求心があったのだろうか。


 聞き手は、AppleやDisneyなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。


●母もゲーマー、息子もゲーマー


 カイさんは1999年、ドイツのトリール市に生まれた。トリールは「多分ドイツで一番古い都市です」とカイさんが語るように、世界遺産でもあるローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂、聖母聖堂、ドイツ最古の大聖堂 トリーア大聖堂教会、西暦2世紀に作られた黒い門ことポルタニグラなど、歴史ある建物が立ち並ぶ、昔の欧州の雰囲気が漂う街並みが特徴の街だ。


 幼少期の自分を、カイさんは「全般的に内向的な子だったと思う」と振り返る。外で遊ぶよりも「家で本を読んだりゲームしたりする方が好き」で、「新しい人に会うときには結構緊張していた」という。サッカーに代表されるスポーツは、学校の授業で経験したものの、学外で進んで楽しむことはなかった。読書とゲームが彼の世界の中心であった。


 『ロックマン エグゼ』でゲームにはまったカイさんは、「ゲームボーイアドバンス」から始まり、「Wii」「PlayStation 3」「PlayStation 4」、デスクトップPCと、さまざまなゲーム機を所有した。


 特に好きだったゲームは、『プロフェッサーレイトン(レイトン教授)』シリーズや『ポケモン(ポケットモンスター)』のゲームボーイ、ニンテンドーDSシリーズである。特筆すべきは、PlayStation 3の時代からは「母とゲームをやり始めて」おり、母親も自分用のPlayStation 4やWiiを購入するほどのゲーム好きであったことだ。


 一人っ子であるカイさんは、現在、母親に少し罪悪感を覚えているようだ。親子として、またゲーム仲間として20年以上も共に暮らしてきたのに、1人で日本に行く決断をし、現在離れ離れであることが母親を寂しがらせていると感じているのだ。


 「とても長い間母と一緒に暮らしてきたのに、別の国に行こうとすることを少し申し訳なく思いました」と、日本に引っ越すことを決断したときのことを思い出す。現在は住む場所こそ離れているが、オンラインでのコミュニケーションを欠かさないという。


●ゲーム、言語、生物、そしてコンピュータサイエンスへ


 中学校や高校時代は、興味の対象が多岐にわたっていった。


 特に好きだったのは、言語。ドイツ語で短い物語や小説を書くことを楽しんだという。また、高校の後半からはコンピュータサイエンスにも興味を持ち、「Pythonでプログラムを書くこととか、コンピュータの動き方などを勉強するのも結構好きでした」という。


 ゲームやコンピュータの動き方を「いつも不思議だと思っていた」ことが、この分野への探求心につながった。さらに生物学も好きで、「体とか花とか木の動き方とか」を勉強することに面白さを感じていた。言葉を操る能力、論理的に物事を構築するプログラミング、そして生命の仕組みへの探求心。これらが彼の知的好奇心の源であった。


 高校時代の学習成績は、生物学やドイツ語を含めた言語科目が得意であったが、スポーツ関連など苦手な科目もあった。放課後は、「大体ゲームをしたり勉強したりしていました」と語るように、引き続きインドア派ライフを楽しんでいたようだ。


 大学進学に当たり、カイさんは「強い決断をして」コンピュータサイエンス専攻を選んだ。さまざまな選択肢を検討したが、コンピュータサイエンスのコースが高い評価を受けており、規模も大きいことが決め手となって、地元のトリール応用科学大学(Hochschule Trier / Trier University of Applied Science)に進学することにした。「ゲームプログラムやゲームグラフィックスの授業がたくさんあった」ことも、ゲーム好きのカイさんにとっては大きな魅力であった。


 彼は3年半で学士号を取得し、ドイツの一般的な4年制よりも早く卒業した。大学での学びは、最初の1年でアルゴリズム、Javaでのオブジェクト指向プログラミング、Pythonでのスクリプト作成といった基本的なコンピュータサイエンスの授業が多く行われた。


 その後2年間で、ゲームプログラミング、C++、リアルタイムレンダリングなど、より専門的なゲーム関連の授業で深く学んだ。C++を用いてレンダリングを作成したり、Unityを操作したり、仲間と一緒にゲームを制作する経験も積んだ。


 卒業論文では、C++とOpenGLを用いてグローバルイルミネーションのアルゴリズムを実装し、その検証を行った。イルミネーションという分野に興味を持ち、「チャレンジしてみたいなと思いました」と語るように、大学での学習は彼の技術的好奇心を深く刺激するものであった。


 ドイツの歴史ある街で、ゲームと本に囲まれて育ったカイさん。考えることが好きな性格は、コンピュータサイエンスや生物学といった学問への深い探求心へとつながり、ゲーム開発への情熱は、幼少期から一貫して彼を導いてきた。


 大学での専門的な学びを経て、彼は次なる大きな決断を下す。それは、異国の地「日本」でのゲーム開発への挑戦であった。後編では、彼がなぜ日本を選び、いかにして日本のゲーム業界で活躍の場を広げていったのか、その軌跡を追う。



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