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参議院議員を3期務めた「ヒゲの隊長」こと佐藤正久氏(65)が、コメンテーターに転身した。陸上自衛官時代はイラク先遣隊長を務め、国会議員になってからもSNSで発信を続けてきた佐藤氏に聞いてみた。
【小谷野俊哉】
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先月21日に高市早苗首相(64)が就任した。
「あの芯の強さに期待します。自民党総裁選で、首相指名でも最後まで諦めない姿勢を貫いた。公明党の連立離脱が決まると、すぐに維新に対して働きかけた。高市さんの強い思いがあったからこそ、維新の吉村洋文代表が動いた」
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維新との“入閣なき連立”は、副都心構想、衆議院の定数削減を受け入れることで実現した。
「やはり政策を実現していかなくてはいけない。この1年ほど福祉とかの政策が進んだ一方で、安全保障とか外交の問題は進まなかった。維新との連立で加速する可能性が出てきましたね。自民党としても、維新との連立は渡りに船でしたね。外国人とかの問題もね」
まずは懸案だったガソリン税の暫定税率の年内廃止にめどを付けた。
「手を付けられる政策からどんどんやっていく。維新との連立で不信任案は防げるようになっている。解散は予算成立、そしてもう少し先になるのでは。野党も自民党を倒すためのタマがない。リーダーとしてまとめられる人がいない」
1983年(昭58)に防衛大を卒業して、陸上自衛隊に入隊。96年(平8)に国連PKOゴラン高原派遣輸送隊初代隊長、04年にイラク先遣隊長を務めて現地、そして日本でも「ヒゲの隊長」として知られるようになった。自身の存在が認知されるようになって、情報を発信することの大切さを実感したという。
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「メディアや一般の方に対してに対して、発信することが大切。陸上自衛隊の広報にもいたこともあって、やっぱり発信することが非常に大事だなと痛感しています。自衛隊っていうのは、元々は“憲法違反”とか“日陰者”とか言われてました。米ソの冷戦時代は“塀の中で訓練をして自分を強くすればいい”という時代だったんです」
90代年になってソ連が崩壊、冷戦体制が終わって大きく変わった。
「自衛隊が外にも出なくてはいけなくなった。海外でのPKO、すなわち国連平和維持活動や、国内では災害派遣とかでね。国民が見ている中で、自衛隊を運用して結果を出すことが大切になりました。そうなると広報っていうのは活動を円滑化するために極めて重要なんです。情報発信もありますが、不祥事もあったりしますから。政治の方に身を置いた時も、やっぱり国民とのコミュニケーションが大切だと痛感しました」
ネットが発達した現在においては、より丁寧に情報を発信することが大切だという。
「特に今みたいにSNSが発達している時代になると、文字だけではなく写真や映像もね。YouTubeなんかもすごいですし、AIもどんどん発達している。以前と違って、今はいろんなところで情報が取れるようになった。日本国民1億3000万人の方が、みんな評論家になれる。そういう時代なので、批判も来れば応援も来る。政治家も単なる調整型だけではダメ、発信と調整の両方できないとダメだと思います」
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(続く)
◆佐藤正久(さとう・まさひさ)1960年(昭35)10月23日、福島市生まれ。83年に防衛大を卒業して陸上自演隊入隊。96年(平8)国連PKOゴラン高原派遣輸送隊長。04年イラク先遣隊長、復興業務支援隊長。07〜25年(令7)に参議院議員。血液型O。
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