画像:株式会社飛鳥新社 プレスリリースより 私たちが日々着ている服は、他人にどんな印象やメッセージを与えているのでしょうか。そして、そもそも服を着る目的とは何なのか——。
◆「マウント取れる服」と首相発言の背景
「外交交渉でマウント取れる服、無理をしてでも買わなくてはいかんかもなぁ」という高市早苗首相の発言から考えます。
事の発端は11月14日参議院予算委員会で質問を行った参政党の安藤裕参院議員による「できれば日本最高の生地を使って、日本最高の職人さんが作った服でしっかりと外交交渉してもらいたいんですよ。安物の服で対応していたらなめられます」という発言でした。
こうした文脈から、「マウント取れる服」発言に繋がったのです。
ネット上では賛否が分かれました。「マウントを取る」との表現が「ヤンキーだ」など、「他国への敬意を欠いている」「首相として言葉が軽すぎる」と批判的な意見が上がる一方で、支持する声もあり、「日本のトップなんだから何十着でも買って」「ファッションアドバイザーを付けてもいい」といった高市首相の発言を後押しする意見もありました。
石破茂前首相及び石破内閣の面々の身だしなみが批判されたことも記憶に新しいですが、日本のトップが服装や外見にこだわること自体は悪いことではありません。
◆ブランド信仰と服の「モノ」としての価値
しかし、今回の高市首相と、そのきっかけとなった安藤裕議員の発言をよく見ると、少し引っかかる点もあります。
それは、服をモノとしてしか見ていないのではないか、ということです。「最高の生地」「安物はなめられる」、「マウント取れる服」発言から透けて見えるのは、あからさまなブランド主義です。わかりやすく言えば、“SupremeやMoncler”をステータスとして崇める庶民と何ら変わらない、貧相な見識なのではないでしょうか。
そこには、高価格な服を着れば人間もそのまま上等になれるという不思議な思い込みがあります。安藤議員が高市首相に託したのも、“最高の服を身にまとった最高の総理として外交に臨んでほしい”、そんな思いだったのでしょう。
しかし、残念ながらそう単純なものでもありません。
◆海外政治家に学ぶ「服はメッセージ」
政治家とファッションについては、日本よりも海外のほうが厳しくチェックされます。ファッション誌はもちろん、イギリスの「テレグラフ」やアメリカの「ニューヨーク・タイムズ」といった高級紙でも、しばしば関連記事が掲載されています。しかも、日本のメディアとは比較にならないほど細かな点を厳しく批評します。
彼らの身にまとう服のブランドに触れることはありますが、重要なのは、政治家自身がその服をどのように着こなし、どのような意図やメッセージを込めて選んでいるかです。最高級の生地や一流の職人による仕立てだから素晴らしい、あるいは尊敬に値すると考える人はいません。
あくまで服を通して人物の思想やセンスを評価しているのです。
たとえば、来年1月に来日予定のイタリアのジョルジャ・メローニ首相の場合です。イタリア経済の危機に直面するリーダーとして、彼女が選んだのは高級腕時計ではなくApple Watchでした。また、極右やファシストと懸念される自身のイメージを払拭するため、ファッションを戦略的に活用しています。
<ジョルジャ・メローニの新しいスタイルは、ワイドレッグパンツ、スニーカー、ゆったりとしたブラウス、そして鮮やかな色彩を特徴としている。ファシズムへの拒絶は黒という色の否定にもつながるからである。>(『Vogue Italia』 2022年9月27日 Googleによる翻訳)
この分析からわかるのは、メローニ首相の手法が、「なめられたらいけない」「マウントを取る」といった発想とは真逆であるということです。まず彼女は、自分が他者からどのような人物として理解されたいかという目標を設定し、そこから逆算して素材やシルエットを選んでいるのです。
モノの価値の優劣で他者との関係を掌握しようとする、貧しい発想ではありません。
◆言動と服装の「空虚さ」を考える
もっとも、メローニ首相も重要な場面では“Giorgio Armani”のスーツを着用します。しかし、このスーツはブランド力で威圧するためのものではなく、首相就任以来培ってきた言動や表情、仕草の一部として存在していることが分かります。
そう考えると、高市首相がどれだけ高級で上質な服を着たとしても、現状ではその価値が十分に伝わりにくいのではないかと感じられます。表面的にはわかりやすい愛国心や保守思想を訴えているように聞こえますが、その言動が具体的に高市早苗という人物の何を象徴しているのかは、まだ見えてきません。
一見、主張しているようで、実は何も主張していない。言葉だけの強さが独り歩きしているのです。それは服についても起こり得るのではないでしょうか。
もしそんな空虚さが、今の日本を象徴しているとすれば、皮肉な話と言えます。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4