「生理があるから理性的に働けない」衝撃の差別…“朝ドラ”『風、薫る』で描かれる明治女性の過酷すぎる現実

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2026年04月13日 06:10  週刊女性PRIME

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桜井女学校附属看護婦養成所の第一期生の修了式の日の写真。前列右から2人目が大関和。前列左から2人目がもう1人の主人公モチーフ鈴木雅 写真/医療法人知命堂病院提供

 明治時代の日本は、女性の社会進出がまだ限られていた時代。家庭内での役割が重視され、女性が職業を持ち、男性と肩を並べて働くことは一般的ではなかった。そうした時代にあって、「選択肢が少ない中で道を切り開いた人物」として語られるのが、看護の礎を築いた 大関和(おおぜきちか)。その生き方から、今を生きる私たちが受け取れるものとは―。

99%が生まれた時点でほぼ人生が決まっていた時代

 3月30日にスタートしたNHK連続テレビ小説『風、薫る』(以下、『風、薫る』)明治という激動の時代に、当時はまだ日本になかった看護師という仕事の誕生に生涯をかけた女性たちを描いた物語だ。

 主人公のモチーフとなっているのが“明治のナイチンゲール”として知られる大関和。日本初の近代教育を受けた看護師として、その分野を開拓した先駆者だ。

和の功績は看護師を専門的な仕事として確立しただけにとどまりません。女性の社会進出など考えられなかった時代に、女性たちが手に職を持ち、自らの力で生きられる選択肢をつくった人だと思っています

 そう話すのは、『風、薫る』の原案『明治のナイチンゲール 大関和物語』の著者、田中ひかるさん。

 明治という時代は、文明開化が起こり、新しい時代の幕開けのように思われがちだが、まだまだ女性に人生の選択肢はなく、“99%が生まれた時点でほぼ人生が決まっていた時代”だったと表現する。

 そんな時世に、女性を社会へ解放すべく道なき道を進んだ大関和。その生涯をたどりながら、同じ時代を生きた女性たちの苦闘と現代の私たちにつながるメッセージを紐解いていく。

当時、女性の生き方は非常に限定的でした。どの階級に生まれても女性は10代で親の決めた家へ嫁ぐのが当たり前。特に貧しい農家の嫁たちは労働力として扱われていましたから、20歳前後で妊娠、出産、授乳をしながらでも田んぼに出続けることを求められました。“田んぼのあぜ道で子どもを産んだ”という話も珍しくありません」(田中さん、以下同)

 さらに貧しい家の娘は遊郭に売られることも。

女性は“家の所有物”であり、自分で進む道を選ぶことなど考えられない時代だったといえます

 大関和もそんな女性の1人だった。栃木県・黒羽藩の家老の次女として生まれたものの、明治維新後に父を亡くし、“没落士族の娘”として18歳で結婚する。お相手の士族・渡辺福之進は40歳。22歳の年の差婚だった。

親の決めた縁談ですから、当時はどんなことがあっても我慢をして婚家を守っていくのが一般的な在り方でした。でも、和は違いました。1男1女をもうけた後、離婚を決めるんです。

 諸説ありますが、夫に“お妾さん”がいたことが大きな理由だといわれています。ただし、当時は夫に妾がいるのはそれほど珍しくなく、むしろ“女性から離婚を言い出すなど非常識だ”と捉えられたはず。離婚はとても勇気ある決断でした

 20代前半で2人の幼子を抱えての離婚。周囲が猛反対したことは想像に難くない。

現代のように女性が社会に出て就ける仕事などほとんどありません。離婚して自活できるか不透明ななか、彼女は“嫌なものは嫌だ”と自分の気持ちを大事にして飛び出しました。婚家で何があっても耐え忍ぶしかできなかった女性たちに、彼女は“離婚してシングルマザーとして生きる”という道を示したのです

“女性は生理で感情的になるから、職業に就くのには向かない”

 離婚後、上京した和は内職などで食いつなぎながら、28歳で開設されたばかりの看護婦養成所に入学。

 そして、日本で初めて専門的に看護を学んだ“トレインドナース”として、30歳で帝国大学医科大学附属第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)の看護師長に抜擢される。しかし、そこからが本当の闘いだった。

当時の病院は完全な男社会。和は、最先端の看護学を学んだプロフェッショナルとして誇りを持って現場に立ちましたが、男性医師たちは彼女たちを一人前の職業人とは見てくれませんでした。

 看護師長として、部下たちの労働環境の改善のために“交代制を導入してほしい”“人数を増やしてほしい”といった、今でいう働き方改革を申し出た際も、女が意見すること自体に猛烈な反発が生まれたようです。はっきりと和を否定する言葉が記された当時の当直日誌も残っているほどです

 男女が平等の立場で意見を言い合って働く環境はなく、驚くようなパワハラが横行していたにちがいない。その根底には、教育の場でも“女性は働く能力に欠けている”という教えがなされてきた影響も大きいと田中さんは指摘する。

信じられないかもしれませんが、当時は学校で“女性は生理で感情的になるから、職業に就くのには向かない”と教えていました。戦後になっても同様の考え方は残り、女性は生理があるから社会で理性的に働けない存在だという科学的根拠のない差別が続いたのです

 結局、高い志を持って挑戦した和だったが、わずか2年で看護師長の職を解かれ、新潟へと向かう。そこで医療現場に携わりながら、多くの看護師を養成する役割を果たしていく。

安定した職場を辞めて新天地へ移るのは大きな決断。シングルマザーとして一家の大黒柱でもあったわけですから、後悔と不安はあったはずです。それに、仕事に邁進すればするほど、子どもたちと過ごす時間が少なくなることへの悩みもあったのではと

 子育てと仕事のバランスなど、現代の女性たちと同じような苦悩を抱えながら働いていたと想像できる。

和の功績を知れば、女性の新たな生き方を切り開いた“賢婦”のように感じるかもしれません。でも、時に泣き、怒り、もがきながら仕事と家庭を天秤にかけて苦しむ姿は今の私たちにも通じますし、共感する部分が大きいのではないかと感じます

 また、和が30歳を過ぎて新たな仕事に就いたことにも背中を押される女性は多いはずだと田中さんは語る。

年齢関係なく挑戦することに必ず意味がある

明治時代の年齢観に照らし合わせると、今の50代からのスタートといった感覚でしょうか。和の行動力を見ていると、やりたいと思ったら、年齢関係なく挑戦することに必ず意味があるのだと思わされます

 現代においても、さまざまな役割を担う女性の労働環境は十分に整えられているとは言い難い部分もある。

でも、和の生きた時代に比べると選択の幅が広がり、より自由に生きられる時代。ですから、次は私たちが勇気をもって道を切り開いていく番ではないかなと思うのです。和たちの奮闘を描く朝ドラが、現代の女性たちが自分らしく一歩を踏み出すきっかけになればと願っています

明治時代、女性社会進出の時代背景

 1860年代の江戸時代、女性の仕事は農作業・家事・育児が中心だった。しかし1868年、明治維新を機に武士社会から、「四民平等」へと社会変化を遂げ、女性の働き方も多様化していく。

 製糸工場で働く女性を皮切りに、教師・医師・看護婦といった専門職に女性が就きはじめるようになったが、職場での男尊女卑の傾向は非常に色濃く、賃金格差はもちろん、労働環境も劣悪なものもあった。

取材・文/河端直子

田中ひかるさん 女性史、女性学を専攻。女性に関するテーマを中心に執筆、講演活動を行う。著書に『明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語』(中央公論新社)、『生理用品の社会史』(角川ソフィア文庫)など。

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  • 月経周期による変化は、たとえば生理痛が全くない人もいるように個人差が大きい。「女は生理のとき感情的になる」と全部いっしょに扱うのが変。
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