5球団競合の155キロ右腕・由規が見せた"怪物らしからぬ素顔" 「もともと左利きなんです」「メンタルも強くないんです」

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2026年08月21日 07:01  webスポルティーバ

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流しのブルペンキャッチャー回顧録
第13回 佐藤由規(元ヤクルトなど)

「成田(千葉)の唐川侑己、大阪桐蔭の中田翔、仙台育英(宮城)の佐藤由規(以下、由規)。この3人を比べて、『さあ、誰にすんねん?』と。今年はそういうドラフトですよ」

 2007年の高校生ドラフトを簡潔にこう言いきったのは、中日の中田宗男スカウト部長(当時)だった。

 高校生と大学・社会人に分かれて行なわれた2007年のドラフト。高校生では唐川に2球団(広島、ロッテ)、中田に4球団(オリックス、阪神、ソフトバンク、日本ハム)、そして由規には最多の5球団(ヤクルト、楽天、横浜、中日、巨人)が競合した。

 西武は不正スカウト問題による制裁で高校生ドラフトの上位2選手の指名権を剥奪されていたため、1巡目の指名権を持つ11球団すべての指名が、この「高校ビッグ3」に集中したことになる。

 そして、由規のクジを引き当てたのはヤクルトだった。

 ちなみに、この年に指名された高校生39人は全員がプロ入りした。そのなかで、2026年現在もNPBで現役を続けているのは、唐川(ロッテ)、中村晃(ソフトバンク)、丸佳浩(広島−巨人)、岩嵜翔(ソフトバンク−中日−オリックス)、伊藤光(オリックス−DeNA−楽天)の5人だけ。それだけでも、プロの世界で生き残ることがいかに厳しいかがうかがえる。

【「ガツーン!」と来る硬いストレート】

 仙台育英のブルペンは、夕方になると西日がものすごくまぶしい。

 最初に受けたのが菊田信之(駒沢大)で、その後も渡辺郁也(青山学院大)、佐藤世那(オリックス)......。もう何度もこのブルペンに入ったが、いつも晴天の放課後で、ちょうどその時間になると、投手が投げる方向の屋根の向こうへ太陽が沈んでいく。

 それも、不思議と「右のオーバーハンド」ばかりだったから、ボールを持った右手がいちばん高く上がるあたりで、夕陽ともろにダブる。

「いやあ、見えない、見えない」

 しゃがむ位置を微妙に左右へずらしたり、目の位置を思いきり低くしたり、いろいろ工夫するのだが、太陽光線のなかから140キロがぶっ飛んでくる感じは、いつまで経っても変わらなかった。ただ、その日は140キロどころか、150キロがぶっ飛んできた。

 由規、高校3年生の秋。

 すでに夏の甲子園で155キロ、日米親善試合では157キロをマークしているのだから、別に驚くこともないのだが、やっぱりスタンドから見る150キロと、この左手で受ける150キロは、まるで「別物」なんだ。

 由規のストレートは硬かった。「何を投げてきたんだ」と思うほど"硬い"ストレートだった。そんなわけがあるはずもないのに、ボールが違うんじゃないかと思って、最初の1球を手の中でぐるりと回し、確かめてしまったほどだ。

 硬いから、痛い。今まで、「パシーン」「ズバーン」「ドッスーン」と、いろんな捕球感のストレートを受けてきたが、「ガツーン!」と来るのは初めてだった。あとで由規の右手を見せてもらったのだが、「この手で150キロを放るのか!」と思うほどコンパクトだった。

「自分なんか、指も長くないし、体だってたいして大きくないし、身体能力なんかチームでも真ん中らへんか、下のほうかもしれない。足だって速いほうじゃないですから......」

 自虐的な言葉が並ぶ。150キロを超える剛腕なのだから、もっと肩をいからせて自慢話でもするのかと思っていたから、意外だった。

「野球の素質だったら、絶対に弟のほうです。あいつはスゴい! 足も抜群に速いし、今、中3ですけど、もう140キロぐらい軽く投げるし、バッティングも飛ばす能力がスゴくて! 小さい頃から、カブトムシを捕るのも、木登りでも、何ひとつかなわなかったですから」

 自分のことを語る時はなんだか憂鬱そうなのに、弟の話になると、かわいい息子を語るお父さんみたいな顔になる。その弟は翌春、由規の卒業と入れ違いで仙台育英に入学。おもに俊足強打の外野手として活躍し、やがて兄の後を追って育成選手としてヤクルトに入団する佐藤貴規である。

【左で投げて遠投70メートルの衝撃】

「自分、もともと左利きなんですよ」

 由規が突然、そんな予期せぬことを切り出した。

「今でも50メートルぐらい投げられますよ」と言われて、それじゃあ、と投げてもらったら、軽く70メートルを投げた。そして、「ウソじゃないでしょっ!」という顔をされた。

 驚いたものだ。兄も十分にスゴかった。それでも、何かというと、「自分なんて、全然なんで......」と口にする。そのネガティブさが、かえって興味をそそった。

「自分、メンタルも強くないんですよ」

 コンスタントに140キロ後半から150キロ台をマークする快速球を前面に押し出し、力勝負で真っ向から戦いを挑む威勢のいい投げっぷり。メディアもプロ側も、そんな「外見」の印象にとらわれ、強靱な勝負度胸を持った投手のように見ていた。

 でも、人間なんて、会って、話をしてみなきゃわからない。

 そういえば......と、思い浮かんだことがあった。この取材の2カ月ほど前、夏の甲子園でのことだ。初戦の智辯和歌山戦で154キロをマークするなど17三振を奪い、2失点完投勝利。由規への注目度は、さらに一段上がっていた。

 続く2回戦の相手は、智辯和歌山と兄弟校の智辯学園(奈良)。4回、先頭打者へ5球目を投じた直後、スコアボードにはスピードガン導入以降、当時の甲子園最速となる「155キロ」が表示され、スタンドがどよめいた。

 ところが5回、突如として乱れ、この回だけで5失点。なかでも印象に残ったのが、2番を打つ1年生・稲森翔大(関西大−カナフレックス)に152キロをセンター前へ弾き返された一打だった。きゃしゃな体つきの1年生に、完全に捉えられた。

 その兆しは、前の4回からあった。由規はセンター後方のスコアボードを盛んに振り返るようになった。投げるたびに振り返り、球速表示に目をやる。自分の体感と、表示される「数字」に微妙な誤差を感じていたのだろう。ちょっと「数字」に頼ってるかな......そんなふうに見えた。

 自分の球威に確信を持っている投手は、投げたボールがどれだけ打者を圧倒しているかをバロメーターにしているから、スコアボードを何度も振り返ることはめったにない。高校時代、マウンドに立つ大阪桐蔭の中田翔が、まさにそうだった。

 由規は、あれだけの快速球とスライダーを持ちながら、その時は目の前の打者だけに集中しきれていなかったように見えた。ブルペンで本人の口から聞いた「メンタルも強くない」という言葉と、あの甲子園での光景が、初めて私のなかでつながった。

【ヤクルトで「由規2世」を育成中】

 由規のボールを受けた際、もうひとり印象に残った選手がいた。私がものすごいボールをヒーヒー言いながら受けている間、ずっと脇で付き添ってくれた捕手の松本淳平くんだ。由規と同じ3年生で、「流しのブルペンキャッチャー」のファンだという。

 明朗、快活で元気いっぱい。その後、横でほかの投手の球を受けている彼に、「なんだ、元気ねえな、淳平!」と突っ込むと、「(捕球の)音、ショボいっすねえ!」なんて返してくる。

 そんな感じでワアワア言いながらやっていた。彼のおかげで、150キロを受ける勇気をたくさんもらったものだ。そして、よく見ると、この松本捕手のキャッチングがすばらしい。

 捕球点がすごく体に近いのだ。怖いものだから、早く捕ってしまおうとミットを前へ突き出していた私のヘボいキャッチングとは、まるで正反対の「技術」だった。いいものを見せてもらった。これを真似させてもらおう。

 左腕を伸ばし気味にミットを前で構え、投手のモーションに合わせて、ミットを下へ落とさず手前へ引きながらタイミングをとる。そして、プロテクターの前でポンと捕球する。すると、それまでより腕の長さの分だけボールを長く見ることができ、快速球も変化球もいくらか怖くなくなった。

 彼の技術のおかげで、私のブルペンキャッチャー寿命は10年ぐらい伸びたと思っている。

 由規はヤクルトでの11年間で通算32勝を挙げ、2019年には地元・仙台を本拠地とする楽天へ移籍。その後はBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズ、台湾プロ野球の楽天モンキーズでもプレーし、2024年限りで現役を引退した。

 2010年には当時の日本人投手最速となる161キロを叩き出した。一方で、現役時代は何度も故障に苦しみ、長いリハビリの日々も経験した。

 そして現在は、古巣ヤクルトの二軍投手コーチとして、後進の指導に汗を流している。

 高校3年の秋、あれほどの剛速球を投げながら、「自分なんて、まだまだなんで......」と繰り返していた由規。あの頃は、自分のすごさよりも、自分に足りないものばかりが見えていたのかもしれない。

 剛速球で打者をねじ伏せた喜びも、思うように投げられない苦しさも知っている。161キロを叩き出した栄光も、マウンドから遠ざかるリハビリの日々も経験した。そんな由規だからこそ、伝えられるものがあるはずだ。いつの日か神宮のマウンドに、由規が育てた「由規2世」が立つ。そんな日が来ることを、楽しみに待ちたい。

佐藤由規(さとう・よしのり/登録名:由規)/1989年12月5日生まれ、宮城県出身。仙台育英高で3度甲子園出場。3年夏は甲子園のスピードガンで最速の155キロをマークし(当時)、2007年高校生ドラフトで5球団競合の末、ヤクルトに入団。2010年に日本投手最速(当時)となる161キロを記録し、キャリアハイの12勝を挙げる。しかし翌2011年に右肩を故障すると2015年まで1軍登板なし。2019年に地元の楽天や、台湾球団の楽天モンキーズ、BCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズを経て、2024年限りで現役を引退。今季は古巣ヤクルトの2軍投手コーチを務める

安倍昌彦●文 text by Masahiko Abe

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  • 球が速いだけではあかんてことよ。
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