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JR東海道本線の小田原駅。改札口の頭上につり下げられた「小田原駅大提灯(ちょうちん)」をくぐり、相模湾に向かって歩くと「小田原城」が見えてくる。箱根の玄関口ということもあり、街の大通りは観光客で活況を呈している。
にぎわう小田原駅前に、梅干し専門店「ちん里う本店」(ちんりう本店)がある。創業は1871年(明治4年)。歴史ある同社だが、一時は経営不振に陥っていた。お中元やお歳暮の市場が縮小し、主要な販路であった百貨店での販売も低迷。2000年代初頭から売り上げが約55%も落ち込んでいたのだ。
厳しい経営状況を立て直したのが、ドイツ出身のゾェルゲル・ニコラさん(常務取締役)だ。日本の食文化は海外でニーズがある――こう読んだ同氏は「ネット通販」「海外販路の拡大」に打って出た。当初は社内から「あり得ない」という声が上がったというが、ゾェルゲルさんの狙いは大当たり。ECサイトの売り上げが伸び続け、取り扱う商品数は8000点にまで拡大した。
しかし、新たな問題が起こる。従業員が手作業で対応していた「商品データの管理」「出荷作業」などが、商品数が2000点を超えたあたりで限界に達したのだ。ゾェルゲルさんは、この“酸っぱい課題”をどのように解決したのか。155年の歴史を持つ梅干し専門店の、ビジネス変革とIT活用の内幕を取材した。
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●「私は梅干し職人ではないから」――経営ピンチの老舗、どう救った?
ゾェルゲルさんは、ソニーやDysonのドイツ法人で財務分野のキャリアを積み、来日後にはドイツのIT大手T-Systemsの日本法人で副社長兼CFO(最高財務責任者)を務めた人物だ。2009年、妻がちん里う本店を継いだことをきっかけに、同社の経営に参画した。
「外資系企業を辞めてちん里う本店に入ったが、私は『梅干し職人』のタイプではないので、何をすればいいのかすごく悩みました」――ゾェルゲルさんは、こう振り返る。
その頃、ちん里う本店の経営が大きく傾いていた。漬物市場には陰りが見え、贈答品文化が薄れ始めており、主要な取引先の百貨店は縮小の一途(いっと)をたどっていた。「当社の顧客は高齢者が多いこともあり、このままいくと駄目になると思いました。会社のリニューアルが必要です。しかし、老舗であるが故に何を守り、何を変えればよいのかとても悩みました」(ゾェルゲルさん)
まず着手したのが商品ラインアップの整理だった。製造する商品を「漬物」「菓子」に絞り、ブランディングを強化。梅、紫蘇(しそ)、桜の花びらを使った商品に特化した。商品を若者にも届けるため「梅ブラウニー」などの新商品も開発。梅ブラウニーは、同社の看板商品に成長した。
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●「あり得ない」という空気を払って海外展開→商品数8000点まで拡大
さらなるビジネス改革の道を模索していたゾェルゲルさんは、他の老舗店オーナーと話す中で「海外展開したいが方法が分からない」という声を聞いた。これだ――。すぐに海外への販路拡大を視野に入れた。
そもそも、日本食のニーズが海外にあるのだろうか。ゾェルゲルさんがブログや「Facebook」「Twitter」(現X)などで日本文化を発信してみると、SNSのフォロワーが数カ月で10万人を超えた。市場があると実感したゾェルゲルさんは、越境ECサイト「NIHON ICHIBAN」(日本一番)を2012年にオープンした。
「(越境ECサイトについて)社内では『反対』の声はなかった、というよりも『あり得ない』という空気でした。海外で売れると信じていない人が多かったのです。『今度から海外に売ります』と言ったとき『この外国人は何を言っているんだ』と思った従業員もいたでしょう」(ゾェルゲルさん)
NIHON ICHIBANに初めて入った注文は、米国からの日本酒の注文だった。喜々として日本酒を梱包(こんぽう)して郵便局に持っていったところ「アルコールは米国に送れません」と言われ、返金したという。ゾェルゲルさんは「最初は本当に何も分からず始めた」と笑う。
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NIHON ICHIBANで販売する品は、ちん里う本店の自社商品から始め、小田原周辺の老舗店の商品も取り扱うようにした。「海外展開したいが方法が分からない」という老舗店オーナーを仲間に入れたり、ECサイトの「リクエストフォーム」に届いた商品を販売したりするなど規模を拡大。今では、雑貨や家具なども含めて約8000点の商品を取り扱っているという。
数ある商品の中でも、特に売れたのが「桜の塩漬け」だ。桜の花びらを塩漬けにしたもので、国産品の約7割が小田原産だという。「米国のレシピブロガーが取り上げたことをきっかけに、注文が急増しました。食品メーカーからの注文も入り、最初は30グラム分の小袋で販売していましたが、500グラム、1キロ、10キロの箱まで用意しました」(ゾェルゲルさん)
BtoCとして始めたNIHON ICHIBANは、BtoBのニーズも取り込んで好調に成長していた。しかし、その裏側では課題が表面化していた。
●「販管ソフトに外国住所を無理やり入力」「重複して発送」――管理が限界に
NIHON ICHIBANでは、ちん里う本店の既存インフラ――梱包・発送フロー、販売管理ソフト、決済ツールなどをそのまま利用していた。しかし、多種多様な商品を扱うようになったことで、これらにほころびが出始めた。
段ボールなどの梱包用資材は、ちん里う本店の商品に合わせていた。他社の商品を預かることになり「割れ物」「特殊な形状の品」などの扱いに苦労したという。
さらに、商品数が2000点を超えたあたりから、NIHON ICHIBAN拡大の足かせになったのが販売管理ソフトだった。当時の数々の苦労について、ゾェルゲルさんは次のように話す。
「日本の販売管理ソフトを使っていましたが、外貨が入力できませんでした。そのため従業員が電卓をたたき、海外の売り上げ分を日本円へ計算し直してから入力していました。住所欄も海外のフォーマットに対応しておらず、無理やり海外の住所を入れていたのでグチャグチャでした」(ゾェルゲルさん)
在庫管理も限界だった。「同じものを2回発送する」「在庫切れがたびたび起きる」「食品の賞味期限の管理が難しい」などのトラブルが発生。商品情報の管理にも課題があり、発注主から「輸送用パレットに製品を何個積めるか」という問い合わせがあっても「分からない」と返すしかない状況を前に、ゾェルゲルさんは「このままでは駄目だ」と考えた。
●商品情報を手作業で整理 「データの片付けに数年間追われた」
ゾェルゲルさんは、在庫管理ソフトの刷新を決断。これまでは自社内のサーバで運用していたため、その手間を減らすためにクラウドサービスを使うという方向性を決めた。その他に「外国人スタッフも使えるように日本語と英語に対応している」「データがリアルタイムで更新できる」などの要件をまとめた。
ちん里う本店は2019年、米Oracleが提供するクラウド型ERPの「NetSuite」(ネットスイート)を導入した。在庫・生産管理、財務会計、ECサイトなど多数の機能を備えたビジネス管理プラットフォームだ。
「NetSuiteをマスターデータにすると決めました。商品に関わる全てのデータ――原材料、栄養成分、商品ラベルの情報、商品や箱のサイズ、輸送用パレットへの積み込み方が分かる写真、これらの日本語版と英語版のデータなどをNetSuiteに手作業で入力しました。導入から数年間は、データの片付けに追われました」(ゾェルゲルさん)
同社は、NetSuiteの「仕入れ管理」「販売管理」「在庫管理」「製造管理」の機能を利用している。製造管理の機能を追加したことで、ゾェルゲルさんは「本当の意味で原価管理ができるようになった」と話す。
例えば「梅干しの在庫」に関するデータでは「何年漬けの梅干しなのか」などまで分かる。「『どこの国の人が買ったのか』『どこに出荷したのか』『マーケティングコストはいくらだったのか』『利益はいくら出たのか』といった分析が可能になり、透明性が出ました」(ゾェルゲルさん)
実店舗のPOSデータとも連携させており、商品情報や価格が変わった際は、NetSuiteのマスターデータを変更すればPOSデータにも反映される。「以前は、価格が変わったらみんなで夜遅くまで残ってシステムに変更後の価格を入力していました」(ゾェルゲルさん)
同社は、商品に関するドキュメントを「Microsoft SharePoint」にまとめており、これもNetSuiteにひも付けている。注文主に渡す商品規格書のほか、顧客からの「しょうゆの種類と使い方を教えてほしい」といった問い合わせに対応するための資料も整理した。NetSuiteと連携させることで「商品規格書の英語版を簡単にダウンロードできる」「販売パートナーが商品ドキュメントを閲覧できる」といった体制が整ったという。
●業務負荷を増やさずに売り上げアップ 秘訣は?
NIHON ICHIBANの成功によって「取り扱い商品数」「海外販売数」などが増加しているにもかかわらず、業務上の負担を大きく増やすことなくビジネス拡大を成功させた。ビジネスモデルの変革と、ITを活用した「仕組み化」によって、売り上げを増加させたのだ。
ITシステムを導入して、手作業を減らす。データを整理して、参照できるようにする。こうしたちん里う本店の取り組みは、他の企業も参考にできる内容だ。ゾェルゲルさんは「中小企業が一番困っていることは『自動化』ではなく『透明性』です。自社で何が起きているのか知りたいのです」と話して、データを整備する重要性を強調した。
データ基盤が整ったちん里う本店は今、AI活用に力を入れている。同社のAI活用例について、後編の記事で詳しく紹介する。
(アイティメディア:荒岡瑛一郎)
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