16歳で意に沿わぬ結婚…フィリピンに残された残留2世の現実 いまだ無国籍状態も…背景に“戦後の激しい反日感情” 終わらない戦後を追う

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2026年08月23日 10:05  TBS NEWS DIG

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「日本は私の国です」

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フィリピンで暮らす95歳の田中愛子さんは日本語を忘れたことはない。

日本人移民の父とフィリピン人の母の間に生まれたが、太平洋戦争末期の壮絶な逃避行の末、父と4歳の弟を失い、戦後はフィリピンに取り残された。その後は貧困や迫害に苦しみ、学校にも通えなくなり、生きるために16歳で結婚した。日本人と認められたのは終戦から半世紀が経ってからだった。

フィリピンには戦後81年が過ぎた今も、無国籍状態に置かれたままの2世たちがいる。

(JNNバンコク支局 村橋佑一郎)

16歳で結婚…戦後も続いた苦難「外に出れば石を…」

日米の激戦地となったフィリピンでは、日本人約51万8000人(うち兵士約49万8600人)、フィリピン人111万人以上が犠牲になったとされている。

終戦後、多くの日本人移民が日本へ送還されたが、フィリピン人の母をもつ愛子さんは現地に取り残された。愛子さんのようないわゆる「残留日本人」は、戦争が終わっても厳しい生活を強いられた。

日本軍に占領されたフィリピンでは反日感情が高まり、日本人の家族は憎悪の対象となって迫害を受けた。

田中愛子さん(95)
「日本人の暮らしからフィリピン人の生活に変わることは、子どもとしては苦しかった。学校にまた通うようになったけど、現地の言葉も遊び方も分からない。日本人の子だからという理由で教室にも入れてくれない。外に出れば石を投げつけられることもありました」

学校に通えなくなった愛子さんは、地域の有力者だった山岳民族の村長のもとに身を寄せ、16歳で村長の息子と結婚した。

田中愛子さん(95)
「親同士が決めた愛を知らない結婚でした。つらいですよ。つらくて涙をたくさん流した。でもそうしないと母やきょうだいの生活の面倒を見てもらえない。困った生活でしたから助けてもらうために犠牲になりました」

家族を支えるため、愛子さんは必死にこらえ、9人の子どもを育てた。

存在を忘れられた“日本人” 「日本は私の国です」

戦前の法律では、日本もフィリピンも、子どもの国籍は父親によって決まる「父系血統主義」だった。

日本人の父をもつ残留2世は、法律上は日本人であるにもかかわらず、戦争の混乱で多くの人が日本で戸籍が作れないまま、事実上の無国籍状態に置かれた。

愛子さんもそのひとりだった。

田中愛子さん(95)
「日本から私たちは忘れられたと思った時もあった。戦争があって残された私たちは、もう二度と、日本とのつながりをもつことはできないんだと…」

1970年代以降、反日感情は徐々に和らぎ、フィリピン各地に日系人会がつくられた。終戦から30年近くが経ってようやく、「日本人の子」だと名乗れるようになった。

愛子さんは子どもたちに日本語を教えたり、地域のボランティア活動に携わったりした。

そして、1995年、愛子さんは日本の弁護士の支援を受け、父の戸籍などを手がかりに日本国籍を回復することができた。

父の出身地である熊本県や日本で働くようになった子や孫たちのもとを何度も訪問した。

田中愛子さん(95)
「それはもう嬉しかったですよ。言葉にできない喜び。あのときの寂しさや悲しさは忘れない、元のような暮らしに戻ることもできない。でも、日本人と認めてもらえて、いつでもこうして日本の人たちに会うことができる。子どもたちも三度のご飯が食べられる」

「日本は私の国です」

日本国籍の回復に司法の壁 背景に“激しい反日感情”

これまでに把握されているフィリピンの残留2世は約3800人。そのうち2000人近くが日本国籍を回復できないまま亡くなった。 

20年以上にわたり残留2世を支援し、332人の日本国籍の回復を実現させたNPO法人「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(PNLSC・東京)によると、日本国籍を希望する生存者は34人(26年3月時点)にまで減った。

国籍回復のためには、日本の家庭裁判所に戸籍を新たにつくる「就籍」を申し立てる必要があるが、司法の壁は高く、申し立てが却下されるケースが相次いでいる。

フィリピン日系人リーガルサポートセンター・猪俣典弘代表理事
「戦中、戦後の激しい反日感情のなかで、自分が日本人である証拠を隠さなければいけなかった。父親との写真や手紙、自身の出生証明書、両親の婚姻証明書などを隠してきた。国籍を回復するためにはそれらの書類が必要だが、散逸または滅失してしまって、公的資料を探すのは非常に困難」

残された時間はわずか…終わらない残留2世の戦後

また、残留2世の平均年齢は84歳。

記憶の風化も国籍回復をさらに困難にしていて、フィリピン日系人会(ダバオ)のアントニーナ・エスコビリャ氏によると、「認知症を患い、家族の顔さえも認識できない2世もいる」という。

日本の外務省は1995年以降、残留2世の国籍取得のための調査などを支援してきた。
2015年に安倍晋三総理(当時)が残留2世の訪日代表団と面会したほか、2025年にはフィリピンを訪問した石破茂総理(当時)が残留2世と面会。外務省は残留2世の訪日費用を国費で負担する事業も始めている。

ただ、残された時間は少ない。

フィリピン日系人リーガルサポートセンター・猪俣典弘代表理事
「フィリピン残留日本人を支援する法整備はなされてない。もう調査ではなく、彼らに国籍を与えて、救済できるように立法府の力を借りるしか、解決できる方法はないと思う」

今年、日本とフィリピンは国交正常化70周年を迎えた。

5月に来日したマルコス大統領と高市早苗総理の首脳会談後に発表された共同声明には、残留2世の国籍取得などに関する日本政府の取り組みをフィリピン側が認識し、手続きの円滑化に協力することが明記された。

戦争に翻弄され、過酷な人生を歩んできた残留2世たち。

終戦から81年。彼らの戦後はまだ終わっていない。

このニュースに関するつぶやき

  • キリノ大統領が「憎しみの連鎖を断つ」と恩赦を行った事から友好が進み、フィリピンは今では世界有数の親日国になっている。 これが中国と違う所(笑)
    • イイネ!4
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