山内晶大はなぜ部員6〜7人の弱小バレー部に? 夏休みも練習2時間だけ、バイトで休みもOKな「ゆるさ」に惹かれた

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2026年08月29日 07:00  webスポルティーバ

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【トップアスリートの夏合宿】
山内晶大(名古屋市立工芸高)インタビュー@前編

 夏の体育館に響くシューズの音、まとわりつく熱気、練習後に仲間と過ごしたひととき──。「部活」や「夏合宿」という言葉は、時が経っても色あせない記憶を呼び起こす。男子バレーボール日本代表として活躍してきた山内晶大(大阪ブルテオン)にも、原点となった学生時代の夏がある。

 ただし、その歩みはトップアスリートという肩書から想像されるものとは、少し違っていた。中学まで続けた競技を離れ、高校から始めたバレーボール。何げなく選んだ一本の道は、どのように現在へとつながったのか。懐かしい夏の風景とともに振り返る。

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 身長204cmの高さを武器に、バレーボール男子日本代表として2度の五輪出場を果たしている山内晶大(大阪ブルテオン)。そのキャリアを紐解くと、バレーボールを始めたのは高校に進学してからという、トッププレーヤーとしては遅咲きの部類に入る。

 そもそも幼少期からサイズに恵まれ、小・中学生の頃はバスケットボールに励んでいた。その当時の山内は、いわゆる「部活漬け」の夏を送っていたという。

「夏休みは毎日、部活でした。休みは一日あるかどうか。朝から夕方まで練習していました」

 記憶を呼び起こしてもらうと、山内は苦笑いを浮かべた。

 「バスケットボール自体は前向きに取り組んでいました。ただ、顧問の先生がとにかく怖くて(笑)。どちらかといえば、『やらされていた』感覚のほうが強かったかもしれません」

 夏休みの期間も部活のため、学校に足を運ぶ。中学の体育館にはコートが一面しかとれず、バスケットボール部は男女両方あったため、練習時間も分けられていた。かといって、ボールを触っていない時間には走り込みが待っており、さらには体育館のとなりの部屋で夏休みの宿題を命じられることもしばしば......。

「女子が体育館で練習していて、僕たちが宿題をする時間が始まったばかりの時には、『まだ先生も見に来ないでしょ〜』なんておしゃべりしていました。でも、そこに顧問の先生がやって来るわけです。

 ある日、ひとりが勉強しながらガムを噛んでいると、それがバレて......もう、めちゃくちゃ怒られる、なんてこともありました」

 ちなみに、山内自身は「勉強が嫌いだった」とのことで、その時間がどのようなものだったかは想像がつくだろう。

【水泳部の部員を誘ったことも】

 やがて中学生活を終えると、将来の人生設計を考えて、資格が取得できることから、名古屋市立工芸高校へ進学する。バスケットボールを続ける考えもあったというが、いざ部活を見学すると、中学との競技レベルの違いに面くらった。

「高校にもなると、バスケットボールのコンタクト(接触プレー)もかなり激しくなるわけです。このなかでやっていけるかわからないな......と、悩むうちにバスケットボールを続ける気持ちも薄くなりました」

 その折に、誘いを受けたのがバレーボール部だった。高校のバレーボール部は決して強豪のたぐいではなく、むしろ勧誘される際にも顧問の口からは、「そんなに練習もきつくないから」という言葉が出るほど。

 実際に入部すると、そのとおりだった。

「そもそも、自分が入部した時点で、部員数も6人か7人くらい。当然、チーム内練習で6対6なんて、できないんです。大会に出場する時に1学年上の水泳部の部員を誘ったことや、自分も同級生に『立っているだけでいいから』と声をかけて試合をしたこともありました」

 部員の数も少なく、部活はまさに「ゆるさ」そのものだった。

 夏休みの期間も活動があるとはいえ、一日の練習時間は2時間あるかどうかで、半日もあれば終わる。また、部員が「親戚の家に行くので、部活に参加できません」「今日はアルバイトがあるので休みます」と言えば、そんな都合もすんなりと通った。もっとも、3年生になれば就職活動や資格取得の関係で部活から遠ざかることも多くなるのが普通......という学校の特性もそこにはあった。

 そうした環境において、山内自身は「そんな感じでも全然、大丈夫なんだ......」と中学時代とのギャップを覚えながらも、少しずつバレーボールの面白さをつかんでいった。

「0(ゼロ)からのスタートだったので、パスができて、スパイクが打てて、0が1や2になっていく感覚は楽しかったです。自分が成長していると実感しながらやれていました」

【夏休みも練習後にゲームセンター】

 さらに同級生のひとりはバレーボール経験者であり、山内へ親身になってアドバイスを送るような存在だった。

「クラスは違いましたが、仲もよくて、いろいろと教えてもらっていました。今でも連絡を取り合っていますよ。

 振り返れば、今もバレーボールを続けられている要因のひとつとして、彼の存在は大きかったと思います。『同級生がいなくて、自分も完全に素人』の状況だったら、おそらく続けることは難しかったと思いますから。おかげで高校3年間、バレーボールを続けられました」

 仲間にも恵まれ、楽しく「ゆるく」過ごした高校生活。夏休み期間の部活といえば、練習が終わればコンビニやファミレス、ショッピングモールに足を運び、涼みながら食事をして、ゲームセンターで遊ぶ......というのがもっぱらだった。

 バレーボール部に限らず、おそらくはいわゆる「一般的」な高校生たちが送るスクールライフを、当時の山内も送っていたのである。

 しかし、高校3年生に差しかかるころ、その生活は一変する。

(つづく/文中敬称略)

◆山内晶大・後編>>練習がきつくて「お茶でおにぎりを流し込んだ」


【profile】
山内晶大(やまうち・あきひろ)
1993年11月30日生まれ、愛知県名古屋市出身。身長204cm、体重85kg。ポジション=ミドルブロッカー。名古屋市立工芸高でバレーボールを始め、愛知学院大3年時の2014年に日本代表デビュー。2016年にパナソニック パンサーズ(現・大阪ブルテオン)へ加入し、2021-22シーズンから4シーズン主将を務める。Vリーグのベスト6を3シーズン連続で受賞。オリンピックは東京大会、パリ大会に出場し、ネーションズリーグでは2023年に銅、2024年に銀メダルを獲得している。

坂口功将●取材・文 text by Kosuke Sakaguchi

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  • 指導者が厳しくって嫌になることってよくある事だと思う。厳しくすることしかできない指導者なら指導者失格。裾野を狭くしていることを自覚すべき。足を引っ張ってる。
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