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「上皇さまの葬儀についてのご意向が突如、報じられたことに驚いていた関係者も多いです」
そう語るのは皇室担当記者。9月2日夜、上皇さまの将来のご葬儀にまつわるニュースが、NHKを皮切りに各メディアにより次々と報じられた。
皇室担当記者が続ける。
「各社の報道の骨子は、“国民生活への影響を極力少なくしたい”という上皇さまのご意向を受け、宮内庁が将来のご葬儀を大幅に縮小する方向で検討しているというものでした。
具体的には、皇室の葬祭行事である『葬場殿の儀』を、昭和天皇の葬儀で使用した新宿御苑ではなく、皇居・宮殿で行う方向で協議しているとのことでした」
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昭和天皇は’89年1月7日に崩御。それから約50日後の2月24日に、「葬場殿の儀」と、国事行為であり国の儀式でもある「大喪の礼」が執り行われた。
「さまざまな行事やテレビ番組なども中止された“自粛ムード”を覚えている人もいるのではないでしょうか。
会場となった新宿御苑は準備段階を含めて2カ月以上閉鎖され、付近を中心に大規模な交通規制が行われました。葬場殿の儀と大喪の礼には国内外から約1万人が参列。そのなかには米国のブッシュ大統領やフランスのミッテラン大統領など、164カ国の元首や代表も含まれます。
一連の葬儀と武蔵野陵造営の費用は100億円に上りました。ただ上皇さまご自身は、行きすぎた自粛や大がかりな儀式に疑問を感じられていました。周囲の人々には“自分のときは、これほど費用をかけなくてもよい”と語られていたのです」(前出・皇室担当記者)
上皇さまは葬儀縮小について美智子さまとも話し合い、そのお考えを在位中から表明されてきた。
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’12年には、そのご意向を受け、羽毛田信吾宮内庁長官が定例会見で、上皇ご夫妻の埋葬方法などについて1年かけて検討していくことを発表している。
■願いとはかけ離れた葬儀にされるご不安
「その検討の結果、翌’13年11月に、【1】葬法を土葬から火葬へ変更すること、【2】陵は天皇陵と少し小さめの皇后陵を寄り添う形で造営すること、といった方針が示されたのです。しかし告別式『葬場殿の儀』をどこで執り行うかは、この時点では決められませんでした。
その理由の1つは国の儀式である『大喪の礼』の規模などの見直しに対して当時の安倍政権が消極的だったことです。政府が方針を決めないことには、宮内庁としても話を進めようがなかったわけです」(前出・皇室担当記者)
’16年8月には、上皇さまがビデオメッセージにより退位の意向を強くにじませたお気持ちを表明されたことが国民を驚かせた。
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「記者会見などではなく、ビデオメッセージで国民に直接伝えるという、異例のご決断でした。水面下で政府に退位の意向を打診し続けてきたにもかかわらず、一向に進展がみられない状況に、自ら動かれたのです」(前出・皇室担当記者)
このメッセージには、次のようなお言葉も含まれていた。
《天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2カ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません》
「殯」とは、死者をすぐに埋葬せず、長期間安置して別れを惜しむ風習。上皇さまは昭和天皇の殯にも違和感を覚えていらしたのだ。
「メッセージにより、ご退位は実現しましたが、ご葬儀縮小については、安倍政権以降も俎上に載せられることはありませんでした。
保守系の政権与党・自民党としては、上皇さまがご健在のうちから葬儀に関する事項を検討することにより、支持層からの猛反発を受けることを懸念したからではないでしょうか。いわば“票にならないことは後回しにする”という政治の論理が働いていたのだと思います」(前出・皇室担当記者)
上皇ご夫妻はなぜ、このタイミングでお気持ちを表明されたのだろうか。宮内庁関係者は次のように話す。
「NHKによる第一報は、上皇ご夫妻のご意向を受けた動きの1つとみることができます。
この時期に報じられた理由の1つは、’16年8月にビデオメッセージが公表されてから10年が経過したという節目だったこともあると思います。“喪儀に関連する行事”にまつわる負担の軽減について、現政権がどう捉えているのかを、再度呼びかけられたのでしょう。
もう1つは高市政権の皇室に対する姿勢に危機感を募らせていらっしゃるからだと考えています。高市政権は男系男子による皇統維持に固執し、皇室典範改正を進めました。その過程で“象徴天皇はどうあるべきか”という議論はまったくなされませんでした。“国民と共にある皇室”を目指してきた上皇ご夫妻にとって、それは看過できない事態です。
国民の負担を軽減するための葬儀規模縮小を自ら訴えることで、あらためて象徴天皇について国民に考えてほしいという思いを抱かれているのでしょう」
名古屋大学大学院教授の河西秀哉さんも、高市政権への不満が、今回のメディアを通じたお気持ち表明につながったとみているという。
「改正皇室典範は、天皇の権威強化を志向しています。このままであれば、ご自身の葬儀も大々的にされ、権威強化のツールとして利用されてしまうと考えられたのではないでしょうか。
国民に寄り添う天皇を理想としてきた上皇さまは、戦前のような権威を打ち出す形で送り出されることを憂慮されているのだと思います」
また静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。
「沈黙を保ったままであれば、伝統や慣習を盾に、“国民に負担をかけない”というご自身の願いとかけはなれた葬儀にされてしまうのではないかという懸念を感じられたのでしょう。
昭和天皇の際には、164カ国の元首や代表が参列する史上最大規模の葬礼となり、実際に弔問外交も活発に行われています。高市政権は皇室の方々の意思を尊重しようとはせず、まるで“物”のように扱う傾向を強めています。上皇さまのご葬儀を、国威発揚や政権の威信を高める絶好の機会だと考えるような政治家が現れないとも限りません」
■安倍政権時代にも“苦い記憶”が……
上皇ご夫妻は自民党政権について“苦い記憶”をお持ちだという。前出の宮内庁関係者によれば、
「’13年4月、サンフランシスコ講和条約の発効から61年を機に、政府主催の『主権回復・国際社会復帰を記念する式典』が開催され、上皇ご夫妻も出席されました。しかし沖縄県民からすれば、その’52年4月28日は、日本から見捨てられた“屈辱の日”でもあったのです。沖縄の人々が戦後直面した苦難に思いを寄せるご夫妻は、開催の趣意には賛同しかねていらしたそうです。
ご出席の前提としては“お祝い事にはしない”という政府の方針があったのですが、一部の議員が万歳を唱え始め、安倍総理やほかの議員たちも唱和したのです。上皇さまは式典後に『私はなぜこの式典に出ることになったのか』と、側近に漏らされたそうです」
そして最近、その苦い記憶がよみがえるような出来事があった。
「4月29日に開催された『昭和100年記念式典』です。天皇皇后両陛下が臨席されたにもかかわらず、高市首相は天皇陛下がお言葉を述べる機会を設けませんでした。さらに自衛隊の音楽隊が演奏した曲に合わせ、首相がノリノリで体を動かしている様子も批判を集めました。
高市首相は“安倍政治の継承者”を自任しています。この春の式典での顛末もあり、上皇ご夫妻は不信感を募らせていらっしゃるのです」(前出・皇室担当記者)
“もう政治家には利用されない”、そんな思いもあって10年ぶりにお気持ちを表明された上皇さま。そのご希望がかなうことを切に願いたい。
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