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「日本は難民の受け入れに冷淡な国だ」という議論は、これまで何度も繰り返されてきた。出入国在留管理庁による難民認定率が1%前後で推移する現状に対し、国際社会や人権団体からの批判も少なくない。
しかし、この問題には多くの日本人が知らされていない、もう一つの「事実」が存在する。
それは、年間約50人もの日本人が、自国を捨てて海外へ渡り「難民」として保護を求めているという現実だ。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の統計によると、日本を起源国とする亡命希望者(難民申請者)は、毎年約50人規模で推移している。2023年には48人、2024年には55人が海外で申請を行った。過去には年間200人を超えた年もある。
日本を「人権が守られた平和な先進国」と信じて疑わない国民からすれば、耳を疑う事態かもしれない。なぜ日本人が、海外で難民にならざるを得ないのか。
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長年にわたり日本の難民認定問題や外国人政策に携わってきた児玉晃一弁護士は、この現象の裏にある日本の人権意識と法制度の「決定的な欠陥」を指摘する。
■「私的な問題」と切り捨てられる悲鳴
日本を離れ、海外で難民申請を行う日本人について、UNHCRは、
「個別ケースの詳細については(情報を)所持していない」
と回答したが、一方で申請の背景にあるのは、家庭内暴力(DV)や性的虐待、あるいは性的マイノリティへの苛烈な差別やハラスメントだ。
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「日本国内において、これらは長らく『家庭内の問題』あるいは『個人的な不幸』として処理されがちでした。警察や社会福祉といった公的セーフティネットに助けを求めても、『家庭内のことだから』『事件性が薄い』と一蹴され、根本的な解決に至らないケースが後を絶ちません。
日本は基本的人権に関するベースラインが著しく低い。DVや性被害、ジェンダー差別に対して、社会や公的機関が適切な保護を与えられていない。その結果、被害者は国内で逃げ場を失い、自分の身を守るために『国を出る』という選択をとらざるを得なくなるのです」(児玉弁護士、以下同)
2024年5月には、日本の自治体でパートナーシップ証明を得ていた日本人女性カップルが、日本での法的な保護の欠如や日常的な差別を理由にカナダへ渡り、正式に難民として認定されことが報じられた。
カナダの当局は、日本がG7で唯一同性婚等の法的保護を認めていない点や、家父長制的な構造下での「女性かつ性的マイノリティ」に対する複合的な差別を認定。「日本国内のどの地域に引っ越しても差別や制度の不備から逃れられない(国内避難の不可能性)」と判断した。
つまり、国際社会は日本を「自国民の尊厳と安全を自力で保護できない国」とみなしたのだ。
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■欧米と日本の「難民定義」に横たわる絶望的な溝
ではなぜ、日本では救われない人々が海外で難民として認められるのか。そこには、難民条約の「解釈」をめぐる欧米と日本の巨大なギャップが存在する。
「日本も欧米も、1951年の難民条約に基づいた共通の定義を用いています。しかし、日本の出入国在留管理庁や司法の実務者は、『国家権力による直接的な政治的迫害』という極めて狭い解釈に固執し続けてきました。
これに対し、欧米諸国では『非国家主体(家族や社会など)による害悪』であっても、母国政府がそれを防ぐ意思や能力を欠いている場合、難民として保護対象にする解釈が定着。DVや性的指向による差別も『特定の社会的集団』に対する迫害として正当に認定されるのです。
同じ条約の条文を使っているにもかかわらず、日本の解釈はあまりにかけ離れている。これでは同じ条約を守っているとは言えません」
さらに深刻なのは、行政の過ちを正すべき司法の不全だ。児玉弁護士によれば、日本の裁判官は国際基準の知識や人権意識を深める機会が乏しく、行政(入管)の判断を追認するだけの「追認機関」と化しているケースが多いという。
「海外の文献や判例を提示しても、裁判官の“島国根性”とも言える意識が壁となり、国際人権基準が無視されてしまう。司法が社会の意識改革から10年、20年遅れているのが日本の現実です」
■「排外主義」と「不寛容」が自国民を追い詰める
近年、SNSやインターネット上では、外国人やマイノリティに対して「嫌なら日本から出ていけ」といった排外的な言葉が日常的に飛び交っている。
しかし、自分たちの社会が「気に入らない者を排斥する不寛容な場所」へと劣化していった結果、被害に遭った日本人自身が「出ていかざるを得ない」状況に追い込まれているとすれば、これほど皮肉で悲惨な話はない。
ネット上に蔓延するバッシングの背景について、児玉弁護士は社会的余裕のなさや生活の苦しさを指摘しつつ、日本人の「人権意識の低さ」そのものに原因があると分析する。
「学校教育などを含め、日本では『思いやり』などの道徳と、権利としての『人権』が混同されている。本来の人権の概念が社会に根付いていないため、立場の弱い人々に攻撃の矛先が向き、寛容さを失っていくのです」
■難民を受け入れる「格」があるのか
「日本は難民を救う側だ」と胸をはっていえるのだろうか……。内実を見渡せば、逃げてきた外国人を制度の壁で弾き返す「難民鎖国」であると同時に、自国の弱者すら守れずに海外へ排出し続けている「人権後進国」なのだ。
「自国民すら救えない国が、どうして他国の難民を適切に保護できるでしょうか。日本が真の意味で難民を受け入れられる寛容な国になるためには、まず国内の法制度と社会全般の人権意識を国際基準まで引き上げることが不可欠です」
年間約50人の日本人が故郷を捨てるという事実は、決して他人事でも特殊な事件でもない。それは、私たちが暮らすこの社会の「セーフティネットの崩壊」と「不寛容さ」を映し出す鏡なのかもしれない。
日本という国は、そもそも他者を、そして自国民を庇護するに値する寛容さを備えているのか──。海外に逃れた「日本人難民」たちの存在は、私たちにそう問いかけている。
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