写真 生成AIに文章を書かせる。知らない言葉を尋ねる。旅行先を決める。何を買えばいいか相談する。こうした行為が増えるほど、私たちは検索結果ではなく、AIがまとめた「答え」を受け取るようになる。では、その答えの材料を誰が選んでいるのか。もっと言えば、AIに「読ませる価値がある情報」を誰が決めるのか。
先日、日本の出版取次大手・日本出版販売(日販)が、生成AI「Claude」を開発する米アンソロピックに大量の書籍を販売していたことが判明し、大きな注目を集めた。紙の書籍をデータへ変換し、モデル学習に利用することをめぐっては、著作権上の議論が続いている。もちろん、それ自体が重要な問題だ。だが、そのさらに先には別の問題がある。
「何をAIに読ませれば、自分たちに有利な答えをさせられるか」という競争が生まれる可能性だ。
◆SEOの次に来るもの
インターネットには、検索エンジンの登場とともにSEOという巨大な産業が生まれた。自社の商品やサービスを検索結果の上位に表示させるため、企業は文章を書き換え、サイトを作り、外部からリンクを集めてきた。
生成AIでも、すでに同じ競争が始まっている。2023年に公開され、2024年の国際会議KDDで発表された、プリンストン大学などの研究者による論文は、この新しい最適化を「Generative Engine Optimization(GEO)」と名付けた。引用の追加や統計データの提示といった手法により、AI回答内での可視性を最大40%程度高められると報告している。
日本では「LLMO(Large Language Model Optimization)」という呼称も使われている。ChatGPTやClaudeなどが、自社や自社の商品、情報をどう認識し、引用し、推薦するかを最適化しようという発想だ。呼称自体はGEO・AEO・LLMOと乱立しており、業界内でもまだ統一されていないが、狙いはどれも同じ場所に集まっている。検索順位ではなく、AIが返す「答え」の中身そのものだ。
SEOが「検索結果のどこに出るか」を争い、LLMOが「AIの回答にどう取り上げられるか」を争うものだとすれば、そのさらに上流には「AIがそもそも何を知識として取り込むか」という段階がある。検索順位を取り合う時代から、回答を取り合う時代へ。その先に、その先に、AIの「知識の仕入れ」をめぐる競争まで生まれるのだろうか。
現時点で、企業が日販のような取次を通じて意図的に学習データを操作しているという証拠はない。しかし、書籍を大量に調達してAIに読み込ませる市場がすでに現実になった一方で、AIの回答に自社の情報を入り込ませようとする競争もすでに始まっている。この二つが接近したとき、何が起こるのか。
学習データのごく一部への働きかけが出力に影響しうるという原理そのものは、査読を経た研究でも確認されている。2025年に『ネイチャー・メディシン』誌に掲載された研究では、研究チームが訓練したGPT-3型のLLMについて、学習トークンのわずか0.001%をワクチンに関する誤情報へ置き換えただけで、医学的に有害な出力が有意に増えた。これは実験用のモデルでの結果であり、Claudeのような商用フロンティアモデルに同じ割合がそのまま当てはまるわけではない。だが、原理そのものは実証されている。
学習データ自体が企業間の競争対象になれば、最も厄介なのは、広告なら広告と分かるが、学習された宣伝は「知識」と区別できなくなる可能性があることだ。
◆出版取次は「人へ本を届ける会社」のままなのか
ここで日販という会社の立ち位置が重要になる。日販は国内最大級の出版取次であり、これまでそのインフラが想定していた最終地点は読者だった。出版社が本を作る。取次が運ぶ。書店で売られ、人間が読む。
ところがAI企業という新しい買い手が現れたことで、その前提が崩れ始めた。AI企業にとって一冊の本は、人間がページをめくる商品であると同時に、裁断し、データ化し、計算機へ投入できる情報資源でもある。
出版社は、自社の本が「読者に売る本」として注文されたのか、「AIに学習させるデータ」として大量購入されたのかを知る必要はないのだろうか。取次は、注文が来れば本を流すだけの物流業者であり続けられるのか。
すでに空想上の問題ではない。日販グループホールディングスの2025年度決算では、取次事業の経常損益は36億円の赤字。書店の店頭販売を経ない大口注文が、縮み続ける本業に舞い込んだ。相手がAI企業だったという一点を脇に置けば、これは縮小市場の卸が新しい顧客を見つけた、ただの商談である。
むしろ、この取引そのものは、売り手と買い手が通常の商取引をしただけにも見える。だからこそ、この仕組みは広がりうる。
ネットの世界で力を持つのは、必ずしも一番多く情報を持つ者ではない。検索では、何を上位に出すかを決める者。SNSでは、何をタイムラインに流すかを決める者。決済では、どの取引を通すかを決める者。そして生成AIには、そのさらに前段に「何を学習素材として取り込むか」という入口がある。
一見すると、これらは別々の問題に見える。クレジットカードが突然使えなくなることと、SNSの投稿が表示されなくなることと、AIがどの本を学習するかに、何の関係があるのか。
だが、同じ問いを置くと一本につながる。誰が入口を握り、誰が「通す/通さない」を決めているのか。
私は新著『「デジタル主権」戦争』で、この「決める権利」を追った。カード会社による決済停止から、SNSの情報選別、クラウドへの国家依存、AIによる認知への介入まで、別々の事件として報じられてきた問題を、この一つの軸で追っている。一見無関係な出来事の背後には、国家だけでは説明できない新しい統治の仕組みが見えてくる。
日販とアンソロピックの取引は、本書の刊行後に明らかになった事例である。だが、そこで見えてきたのは、本書で追ったのと同じ「入口を握る者」の構造だった。
AIの答えだけを見ている限り、その入口は見えない。だが入口が見えれば、なぜ自分がその答えを受け取っているのかも、少し違って見えてくる。出版取次が運んでいるものは、もう紙だけではないのかもしれない。そして、そこで選ばれた知識を受け取る側には、すでに私たちがいる。
文/昼間たかし
【昼間たかし】
ルポライター。1975年岡山県に生まれる。県立金川高等学校を卒業後、上京。立正大学文学部史学科卒業。東京大学情報学環教育部修了。ルポライターとして様々な媒体に寄稿。著書に『コミックばかり読まないで』『これでいいのか岡山』