「ありがたかった」、解散惜しむ=視力低下、検診通い20年―出勤時に被害の北野さん・地下鉄サリン30年

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2025年03月01日 00:31  時事通信社

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地下鉄サリン事件当日を振り返る北野秀和さん=2月26日、東京都中央区
 リカバリー・サポート・センターは20年以上にわたりサリン被害者のケアに当たってきた。通勤中に被害に遭った北野秀和さん(65)=埼玉県=も視力低下に見舞われ、検診を受けてきた1人だ。「安心でき、ありがたかった」と解散を惜しんでいる。

 1995年3月20日朝。東京・築地の勤務先に向かうため営団地下鉄上野駅から日比谷線に乗った北野さんは、事件の影響で停車した小伝馬町駅で電車から降ろされた。サリンが入った袋が車両からホームに移された後とみられ、「すごく嫌な臭い」を感じた。

 人だかりの中を進もうとすると、ホームで倒れた女性を介護する男性と目が合った。「奥に移動させたいので、足を持ってくれませんか」。そう声を掛けられ、2人がかりで女性を運び、出勤のためその場を離れた。

 小伝馬町駅ではサリン被害に遭った男女4人が死亡した。事件から約1カ月後、「亡くなったのは、北野さんが運んだ女性と、一緒にいた男性だったかもしれない」と警察から聞かされた。「もう少しあの場に長くいたら」。今でも怖さを覚えるという。

 地上に出ると、朝なのに辺りは暗かった。瞳が収縮し暗くなる縮瞳の症状で、頭痛も激しい。勤務先に顔を出した後、近くの聖路加国際病院で点滴を受けた。床や廊下は簡易ベッドやうずくまる人などであふれ、「野戦病院のようだった」。夕方、サリンの被害に遭ったと知った。

 事件後、1.5あった視力は0.7に落ち、縮瞳も1〜2カ月続いた。日がたつにつれ視力は徐々に回復したが、「元の視力に戻るのか」との不安は残った。そんな中始まったのがセンターによる検診だった。専門医による眼科検査などが毎年行われ、北野さんは約20年間ほぼ毎回参加した。

 「いつでも相談できる窓口があることは安心感があった。ありがたかった」。北野さんはそう感謝している。 

消防車、救急車が集まった地下鉄日比谷線築地駅前=1995年3月20日、東京都中央区
消防車、救急車が集まった地下鉄日比谷線築地駅前=1995年3月20日、東京都中央区

このニュースに関するつぶやき

  • まぁ30年間ずっと間違って報道してるけどwまるごと死刑になることはやる前に簡単に想像できるやろwそれが狙い
    • イイネ!0
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