東京電力福島第1原発事故から間もなく14年。最高裁が旧経営陣の無罪を支持する決定を出し、公判が幕を閉じることになった。「事故の責任がうやむやになってしまう」。事故に巻き込まれて死亡した被災者の遺族や古里を追われた避難者は、やり場のない怒りを口にした。
「今も思い出すんです。弟が生きていたらどうなってたのかなって」。福島県いわき市の中野キヨ子さん(84)は、無罪の1、2審判決を支持した最高裁決定が出たことを知り、そうつぶやいた。
中野さんは幼い頃、両親を亡くした。弟の田中英雄さんは3歳下で、祖父母宅で一緒に育った。原発事故が起きた当時、英雄さんは67歳。50歳を過ぎた頃から福島県大熊町の「双葉病院」に入退院を繰り返すようになっていた。
病院は原発からわずか約4・5キロの位置にあった。2011年3月に起きた原発事故の影響で、一帯には放射性物質が飛散。英雄さんは自衛隊に助け出され、バスで避難したが、100キロを超える移動を強いられた。糖尿病の治療が受けられなくなり、昏睡(こんすい)状態に陥って程なく息を引き取ったという。
東電があれだけの巨大な津波を予測できたか。「正直、分からない」と感じる。ただ、弟の悲惨な最期を思うと、旧経営陣に「もっと対策を取れなかったのか」とも考えてしまう。刑事裁判で罪に問われなかったとしても、東電には「もう二度と事故を起こさないようにしてもらいたい」と言いたい。
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原発事故当時、大熊町で学習塾を経営していた町議の木幡ますみさん(69)は「(事故の責任が)うやむやにされてしまう」と声を震わせた。
木幡さんは双葉病院で看護助手をしていた経験がある。混乱を極めた避難の末に多数の犠牲者が出た悲劇は今も頭から離れない。病院のスタッフの責任を指摘する声も聞いたことがあるが、木幡さんには「誰のせいかと言われれば、やはり東電だ」としか思えない。
旧経営陣らに対する告訴・告発状を福島地検に提出して刑事裁判のきっかけをつくった「福島原発告訴団」団長の武藤類子さん(71)は6日、東京都内で記者会見を開いた。「責任を問わないことが次の原発事故を引き起こす可能性がある。そこを裁判所が理解してくれなかったことが何よりも悔しい」【柿沼秀行、松本ゆう雅、巽賢司】
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