カナダのトロント大学に所属する研究者らが2011年に発表した論文「Longitudinal detection of dementia through lexical and syntactic changes in writing: a case study of three British novelists」は、小説家の文章におけるアルツハイマー病の言語学的な兆候を分析した研究報告である。
アルツハイマー病は、症状が出る何年も前から脳内で病理学的な変化が始まっているとされる。そのため、早期発見のための新たな診断方法の開発が求められている。そこで研究チームは、著名な作家の作品に残された言語的な変化を分析することで、アルツハイマー病の早期発見の可能性を探った。
研究対象となったのは、アルツハイマー病で亡くなったアイリス・マードック(20冊分)、同病の疑いが指摘されていたアガサ・クリスティ(16冊分)、健康に年を重ねたP・D・ジェイムズ(15冊分)の3人である。研究チームは、各作家の複数の長編小説を対象に、語彙(ごい)の豊かさ、単語の繰り返し、品詞の使用傾向、構文の複雑さなど、さまざまな言語特徴を詳細に分析した。
マードックの場合、語彙数は50歳ごろに一時的な低下を示し、その後上昇したが最後の小説「ジャクソンのジレンマ」で急激な低下を示した。また同じ単語や表現の繰り返しの増加、名詞の使用減少と動詞での補完、フェラーの増加といった特徴を確認できた。
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注目すべき発見として、マードックは40代後半から50代の早い段階にかけても同様の言語的衰退を示す時期があり、これがアルツハイマー病の前臨床期の可能性を示唆している。一方、最終的なアルツハイマー病になる前に言語能力が一時的に回復した理由については説明がつかないとしている。
クリスティの場合、60歳以前は語彙数が一定の範囲内で安定していたが、その後低下し始め、最後から2作目の「象は忘れない」で最低値を記録した。単語の繰り返しは作家活動全体を通して増加傾向を示し、特に最後の2作品では内容語の繰り返し率が初期の作品と比べて2倍以上に増加した。
さらに名詞の使用が減少し、動詞の使用が増加する傾向が統計的に有意に示された。これは認知症患者に見られるパターンと類似している。名詞の減少は代名詞の使用増加によって補われ、動詞については特定的な動詞が減少して代わりに一般的な動詞の使用が増えた。
また副詞の使用も増えており、これは非特定的な動詞の使用を補う役割を果たした可能性がある。さらに、フィラーやつなぎ言葉の使用も全期間を通じて増加し、特に最後の2作品では初期の作品と比べて大幅な増加が見られた。
対照的に、ジェイムズの作品では、健康な高齢者に見られる典型的な言語パターンが維持されていた。語彙の豊かさ、表現の繰り返し、単語の具体性といった指標は安定しており、顕著な能力低下は認められなかった。
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Source and Image Credits: Xuan Le, Ian Lancashire, Graeme Hirst, Regina Jokel, Longitudinal detection of dementia through lexical and syntactic changes in writing: a case study of three British novelists, Literary and Linguistic Computing, Volume 26, Issue 4, December 2011, Pages 435-461, https://doi.org/10.1093/llc/fqr013
※ちょっと昔のInnovative Tech:このコーナーでは、2014年から先端テクノロジーの研究を論文単位で記事にしているWebメディア「Seamless」(シームレス)を主宰する山下裕毅氏が執筆。通常は新規性の高い科学論文を解説しているが、ここでは番外編として“ちょっと昔”に発表された個性的な科学論文を取り上げる。X: @shiropen2
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