
セイカ食品(鹿児島市)が製造・販売する「ボンタンアメ」が発売100周年を迎えた。
餅のような、ソフトキャンディのような食感が楽しく、アメの周りのオブラートが口の中で溶ける感触も独特。最近では「ライブや映画の前に食べると尿意が遠のく」と突然話題になったボンタンアメ。このクオリティの商品が1925年(大正14年)から発売されていたとは驚きだ。セイカ食品の広報担当、時任智恵子さんに聞いた。
ーー製造開始当初について。
時任:元々弊社は水飴の製造が生業でした。しかし思うように売れず、餅米と水飴と砂糖で作る朝鮮飴(求肥)と、文旦漬を製造、販売し何とか凌いでいました。ある時、工場の従業員がハサミで朝鮮飴を切り遊んでいるのを初代社長の玉川壮次郎が見て、一口サイズの飴に文旦の色と香りをつけ、キャラメル箱に詰めて商品化するアイデアをひらめいたんです。箱の図案は大阪の専門家に依頼。田舎っぽいという批判もありましたが、かえって南国らしい色彩が人気だったそうです。以来、主要なレシピや味はほとんど変わっておりません。
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ーーオブラートで包まれているのは?
時任:餅米を使用しているので、オブラートで包むことで、ひっつき防止、形状を保っています。発売当初は手作業で包装していたそうですが、現在はオブラート包装機という専用の包装機を使用しています。
ーー長い歴史の中でエピソードは?
時任:1928年(昭和3年)に払い下げの軍用機で空からボンタンアメを撒こうと計画を立て、飛行士の準備も完了。宣伝課長と総務課長が飛行機を受領するために上京する際には盛大に壮行会も行い、新聞にも写真入りで書きたてられて大変な前評判でしたが、実現しませんでした。後から飛行機代の五千円を送金するはずが、不景気で都合がつかず「スグカヘレ」の電報を打って二人を呼び戻さなければならなくなったそう。ただ、この時も初代社長は「あれだけ世間が騒いでくれたんだから飛んだのも同じだ」と言ったそうです。
ーー100年愛されてきました。
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時任:ボンタンアメは「ときどき、ずっと」のキャッチフレーズとともに歩んできました。例えば人によって、カレーは1か月に1回、お寿司は半年に1回などそれぞれ食のサイクルがあると思いますが、願わくばお客様の食のサイクルのひとつにボンタンアメを入れていただき、5年に一度、10年に一度でも「ときどき、ずっと」食べていただける存在になりたいと思っております。
◇ ◇
なおSNSで話題の「食べると尿意が遠ざかる」という説については「弊社では科学的知見を持ち合わせておらず不明確なご返答はできませんこと何卒ご理解賜りたい」とのことだった。
(まいどなニュース特約・米田 ゆきほ)
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