飢えや病、地獄の敗走路=インパール、補給なき作戦―105歳元兵士「戦争絶対だめ」・戦後80年

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2025年05月03日 07:31  時事通信社

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参加したインパール作戦について説明する105歳の元陸軍兵士、佐藤哲雄さん=3月30日、新潟県村上市
 太平洋戦争中の「インパール作戦」は、旧日本軍による最も無謀な戦いの一つとして知られる。食料や弾薬の補給は途絶え、飢えや病で兵士が次々に倒れた敗走路は「白骨街道」と呼ばれた。生還した105歳の元兵士佐藤哲雄さん=新潟県村上市=は戦後80年を前に「戦争は絶対にだめだ」と静かに語る。

 同県出身の佐藤さんは1940年4月、陸軍に入った。英領インド北東部のインパール攻略を狙う作戦には第31師団歩兵第58連隊の伍長として参加し、後に曹長一等となった。

 44年3月、北の要衝コヒマを目指してビルマ(現ミャンマー)のチンドウィン川を渡った。幅200メートルほどの渦巻く河川。川の先にある山岳地帯を越えるため、生きた牛やヤギが食料として配給されたが、小さい船の上で暴れたため手放した。

 コヒマ攻略を目指す中、戦闘で左膝に砲弾の破片が突き刺さった時は、麻酔なしで手術を受けた。コヒマでは部隊は次々に壊滅した。「軽機関銃を撃っても英軍の戦車はびくともしなかった」。戦力差を痛感した。

 7月に撤退を始め、平地や密林の中を逃げた。昼は偵察機が空を旋回するため夜に移動。地図やコンパスもなく、星の位置や勘を頼りに動いた。

 苦しかったのは飢えだ。「バナナの根を帯剣で堀り、汚れを落として小さくし飯ごうで煮た。うまくもないがそれしかなかった」。パイナップルの根は堅く、煮ても焼いても食べられなかった。

 追撃する英軍の戦車は兵士の群れを狙う。一人ひとりばらばらに逃げるべきだが、「人間は怖いときは2〜3人と固まる。私が『離れろ』と怒鳴っても離れず、次々に撃たれた」と振り返る。

 敵は人間に限らない。ハゲタカは負傷兵や、マラリアで衰弱した兵を襲った。「羽を広げてぶつかり、兵が転ぶと空から2、3羽が重なるように襲ってくる。生きたまま食べられ、早ければ2〜3日で白骨になった」。

 つらい敗走路を支えた言葉がある。「死ぬばかりが国のためじゃない。必ず生きて帰って国のために働け」。駆け出しの頃に聞いた上官の訓示だ。当時21歳。日本が負けるとは思わず意味が分からなかったが、この言葉を胸に生き延びた。

 終戦後はビルマで捕虜になり、47年に帰国。林業などで生計を立てた。「負けたことは恥」として戦争のことは誰にも話さなかったが、10年ほど前からは取材に応じ始めた。「生きて帰ったことは運命。戦争を語り過ちを後世に残すのは自分の役割であり使命」と考えたからだ。

 耳は少し遠いが記憶は鮮明な佐藤さん。子孫は子ども5人、孫13人、ひ孫13人、やしゃご2人。「じいちゃん」と呼ばれる穏やかな毎日で、「今は幸せ」と笑う。

 ただ戦争を語るときに笑顔はない。「戦争は人と人の殺し合いで何も解決しない。一度始まると止められず、弱い人ほど被害を受ける。二度と戦争はしてはならない。とにかく、絶対にだめだ」。 

陸軍兵士時代の佐藤哲雄さん(本人提供)
陸軍兵士時代の佐藤哲雄さん(本人提供)

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  • 戦争は絶対駄目だ。ならば戦争をせずに国の主権を守るにはどうするかと考えを前進させなければ只のお題目で有る。戦を避けたくば戦に備えよの名言も有るが、
    • イイネ!2
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