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米コロラド大学ボルダー校などに所属する研究者が2023年に発表した論文「For Want of a Cup: The Rise of Tea in England and the Impact of Water Quality on Mortality」は、18世紀の英国において紅茶の普及が公衆衛生に予期せぬ形で大きな貢献を果たしたことが明らかになった研究報告だ。
結論から言うと、産業革命期の英国では、紅茶を入れるために水を沸騰させる習慣が広まったことで、結果的に水系感染症が減少。死亡率の大幅な低下につながっていたという。
当時の英国では、人間の排せつ物の処理方法が極めて原始的で、下水設備も不十分だった。都市部では人口密度の上昇とともに、飲料水源の汚染が深刻な問題となっていた。
しかし、水の汚染が病気の原因となることはまだ理解されておらず、病気は瘴気(しょうき)と呼ばれる有害な気体によって広まると考えられていた。細菌説が広く受け入れられるようになるのは19世紀半ば以降のことだ。
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紅茶が英国に輸入された当初は上流階級のぜいたく品だった。しかし1784年の茶窓税法により、茶税が119%から12.5%へと大幅に引き下げられると、紅茶は急速に大衆化した。18世紀末には、最も貧しい農民でさえ1日2回は茶を飲むようになったという記録が残っている。
紅茶が国民的飲料となった背景には、東インド会社による独占的な茶貿易と、茶の再利用が可能という経済的利点があった。少量の茶葉で何度も茶を入れることができたため、貧困層でも日常的に茶を飲めるようになった。ビールやコーヒーなど他の飲料と比較して、茶は安価で入手しやすく、1日中飲んでも害のない穏やかな飲み物であった。
この研究は、紅茶の普及が死亡率に与えた影響を実証的に分析している。404の教区のデータを用いて、水質の悪い地域ほど紅茶の普及による死亡率低下効果が大きかったことを明らかにした。
水質の指標として、各教区から3km以内の水源の数と標高を用いている。水源が少ない地域や標高の低い地域は水質が悪いと考えられ、これらの地域では紅茶の普及後により大きな死亡率の低下を観察できた。
分析の結果、水質の悪い地域では茶の普及により年間死亡率が約25%低下したのに対し、水質の良い地域では7%程度の低下にとどまった。
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さらに、紅茶の輸入量が増加した時期には、赤痢などの水系感染症による死亡が減少したが、結核などの空気感染症による死亡には変化が見られなかった。また紅茶を飲む習慣のない乳幼児の死亡率への影響は限定的だったことも、沸騰水による水質改善が主要なメカニズムであることを裏付けている。
Source and Image Credits: Francisca M. Antman; For Want of a Cup: The Rise of Tea in England and the Impact of Water Quality on Mortality. The Review of Economics and Statistics 2023; 105(6): 1352-1365. doi: https://doi.org/10.1162/rest_a_01158
※ちょっと昔のInnovative Tech:このコーナーでは、2014年から先端テクノロジーの研究を論文単位で記事にしているWebメディア「Seamless」(シームレス)を主宰する山下裕毅氏が執筆。通常は新規性の高い科学論文を解説しているが、ここでは番外編として“ちょっと昔”に発表された個性的な科学論文を取り上げる。X: @shiropen2
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