11歳、「あやめた」母と妹=旧満州、引き揚げさなか―「戦争のむなしさ」語り継ぐ

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2025年08月22日 07:32  時事通信社

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 1946年夏の旧満州(中国東北部)で、11歳だった村上敏明さん(90)=京都市=は衰弱した母こまさんと1歳の妹芙美子ちゃんを失った。日本へ引き揚げる際、大人から手渡された「毒」を村上さんが飲ませた。「戦争のむなしさと悲惨さを伝えていきたい」。脳裏に焼き付いた残酷な記憶を語り続けている。

 村上さんは34年、現在の京都府亀岡市に生まれた。父が南満州鉄道(満鉄)の関連会社に転職し、38年に中国大陸へ移住。父は戦中に召集されたまま戻らず、家族は旧満州の四平で終戦を迎えた。

 ソ連侵攻を経て、46年からの国共内戦では四平の街に砲弾が飛び交う中、母と弟2人、妹の5人で耐え続けた。

 ようやく日本への引き揚げが決まった46年7月ごろ。自宅に日本人の男性5、6人が訪れ、村上さんに「水薬」を手渡した。男性たちにぐるりと取り囲まれ、村上さんは言われるがまま、こまさんに抱かれた芙美子ちゃんに水薬を飲ませた。瞬間、芙美子ちゃんはぎょろっと目を見開き息絶えた。

 その後のことはよく覚えていない。国民学校の友人によると、泣きながら「妹を殺した」と話していたという。

 娘を失ったショックからか、こまさんは衰弱した。すし詰めの引き揚げ列車では、皆が床に腰掛ける中こまさんは横たわり、「芙美子、芙美子」とうなされた。

 引き揚げ船の港がある葫蘆島に着くと、こまさんは入院した。8月、村上さんは病院の人から「白い粉薬」を手渡され、畳で眠るこまさんに飲ませた。こまさんは口から泡を吹き、亡くなった。34歳だった。

 こまさんは港近くの丘に埋葬した。生前好きだった青い着物をリュックから取り出し、体にかぶせ土を掛けた。

 船には幼い2人の弟と3人で乗った。長崎・佐世保に着いた後は、列車を乗り継いで母の実家のある亀岡市に向かった。祖母から「敏明か」と声を掛けられ初めて、ほっとした。

 大人たちは、母と妹に「薬」を飲ませた理由を何も語らなかったが、長旅に耐えられないとの判断から毒物を渡されたと、今では推測している。「むごいことをさせた大人たちですよね」。村上さんはぽつりとつぶやいた。

 「お母さんと妹の声は僕しか世に出せない」と、壮絶な体験と反戦を発信してきた。昨年8月に病に倒れ、入院。体はつらいが「警鐘を鳴らし続けたい」との思いは強い。

 イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの侵攻など、「戦争の足音が鳴り響きつつある」と感じる。「二度と戦争は起こしてはいけないと伝えたい」と力を込めた。 

幼少期の村上敏明さん(左)と母こまさん(村上さん提供)
幼少期の村上敏明さん(左)と母こまさん(村上さん提供)


インタビューに答える村上敏明さん=5月8日、京都市伏見区
インタビューに答える村上敏明さん=5月8日、京都市伏見区


自宅があるマンションの中庭で休憩する村上敏明さん=5月8日、京都市伏見区
自宅があるマンションの中庭で休憩する村上敏明さん=5月8日、京都市伏見区

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