シベリア抑留犠牲者への追悼の集いで、献花に並ぶ参列者=23日午後、東京都千代田区 第2次世界大戦後、旧ソ連によってシベリアなどに抑留され犠牲となった人たちを追悼する集いが23日午後、千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)で開かれた。元抑留者や遺族ら約180人が参列し、祭壇に花を手向けた。同日夜からは、都内の会場やオンラインで犠牲者名簿が読み上げられた。
集いは、80年前の8月23日にソ連の指導者スターリンが抑留に関する秘密指令を出したことに合わせ、市民団体「シベリア抑留者支援センター」が主催した。今年で23回目。同墓苑には現地で収集された身元不明の抑留者らの遺骨約1万7000柱が納められているが、未収集の遺骨も多いとされる。
元抑留者の西倉勝さん(100)=相模原市=は主催者代表のあいさつで、犠牲者について「戦闘ではなく、栄養失調、病気、過酷な労働で大部分の方が最初の冬を越せずに亡くなった」と強調。「生きて帰ることができた私たちはこの悲惨な抑留を語り継ぎ、伝える責任がある」と力を込めた。
遺族代表の江副芳徳さん(81)=福岡市=は、父鷲崎芳雄さんが抑留中に犠牲になったが、遺骨は戻らず「行方不明」のまま。追悼の言葉で「母や叔母からは子煩悩だったと聞いていた。どんな思いで亡くなったのかを思うだけで胸が締め付けられる」と思いを吐露し、「戦争のない世の中を目指し、平和の尊さを後世に伝えていく」と述べた。
23日夜からは元抑留者の故村山常雄さんが作成した約4万6300人分の犠牲者名簿を読み上げるイベントも実施。全国の遺族ら約100人が4日間にわたり交代で参加し、犠牲者の冥福を祈る。
知人に誘われて参加した東京都東大和市の無職畑口佳代子さん(72)は約20分かけて、322人の名前を丁寧に一人ずつ読み上げた。「犠牲者の名前を声に出すことで、単なる数字ではなく、一人一人が亡くなったと分かり、思いが込み上げる。大切な取り組みで多くの人に知ってほしい」と語った。

シベリア抑留の犠牲者名簿を読み上げる畑口佳代子さん(左)=23日午後、東京都新宿区

シベリア抑留犠牲者への追悼の集いで、献花する元抑留者の西倉勝さん(手前)=23日午後、東京都千代田区