
新潟地震(1964年)や中越地震(2004年)、中越沖地震(07年)、能登半島地震(24年)――。多くの地震や雪害、豪雨などの災害を経験した新潟から新しい防災教育の考え方が広がりつつある。その名も「防災ワクチン」。新型コロナウイルスワクチンをヒントに開発された、災害対応の免疫力を高めるための取り組みとは。
9月初旬、新潟市内であった「防災推進国民大会(通称・ぼうさいこくたい)」で防災ワクチンのワークショップが開かれた。
この日は、13年3月に北海道東部で車に乗っていた親子を含む9人が亡くなった暴風雪が題材になった。
各グループに配られた3枚の写真には、こんもりとした雪の塊や雪に埋まったものをかき出そうとしている人たち、雪の中から姿を見せた車が写っている。
「運転中にエンジンが止まって動けなくなってしまった?」「数日間雪が降り続いてしまったのか?」「積もっている雪はパウダースノー」――。
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参加者は写真から読み取れることや、気が付いたこと、想像できることを付箋に書きとめていく。
一通りグループ内で付箋の内容を共有すると、当時報じられた400字程度の新聞記事が紹介された。今度は記事を基に、この災害に関係のある人たちの思いを想像して発表していく。
ある参加者は亡くなった女性の友人を挙げ、「直前までやりとりしていたが途中で途切れてしまった」と語った。現場近くに住む人になりきり「あの時に声を掛けていればと後悔している」という発言もあった。
参加した仙台市の女性会社員(55)は「同じ写真を見ても、人によって危ないと思うことが違って面白い。経験したことがない災害について考え、気付かされたこともあった」と話す。
最後の最後は人の意思
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ワークショップを考案したのは長岡技術科学大の上村靖司教授と吉沢厚文客員教授(東京電力ホールディングスフェロー)。2人は狙いについて「最初はあえて限られた写真しか見せない。人は限られた情報で見えないところを推測する能力がある。『そこで起きたことは何か』で終わらせずに物語化して心を揺さぶらないと我が事にならない」と語る。
これまでの防災教育では、どう行動すればいいのかをまとめたマニュアルを使って学習するものや、ゲーム形式で想定された災害時の対応を選択するトレーニングなど「答え」が用意されているものが多かった。
上村教授は「何となく選んだのでは肝心なときに間違う。主体的に行動するためには正解がない問題と向き合い、普段から考え抜いて行動する訓練をしておかないと、いざという時にすくんでしまって何もできない」と話す。
過去の災害でも住民たちの状況に応じた判断が被害拡大を防いだケースがあった。最大震度7を観測した04年の中越地震では、孤立した集落で住民同士が協力し、発生から数日で仮設の復旧道路を作り抜け出した。
上村教授は「『堤防があるから大丈夫』『行政が避難指示を出してくれるから大丈夫』というように、行政の対策が進むと人の意識はしぼみがちになる。どんなに安全で快適な社会を作っても100%はあり得ない。最後の最後は人が意思を持って判断して行動しないとどうにもならない」と強調する。
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ストレスをかけて学習
ところでなぜ防災「ワクチン」なのか?
2人は20年から共同研究を始めた。ちょうどそのころ新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、弱毒・不活化したウイルスを体に入れて元々持っている免疫を引き出すワクチンの仕組みが注目されていた。
「感染症のワクチンのように、災害が起きる前に一度ストレスをかけて学習すれば、いざという時にパニックにならないのでは」。考え方や手法をまとめ、22年からはワークショップや防災教育の取り組みなどを防災ワクチンとして発信している。
中越地震から23日で21年になるのに合わせ、10月には「ブラックアウト大作戦2025」と名付けた防災ワクチンを実施した。
参加者には中越地震が発生した午後5時56分以降に自宅のブレーカーを1、2時間程度落とし、電気が使えなくなった家の中でスマートフォンやパソコン、バッテリーなどを使わずに食事をしたり、防災について話し合ったりしてもらった。
「本物が来たら大きなストレスになる。考え方を理解してもらい、後で振り返ったときに今回の経験がワクチンになっていたという事例が出てきたら面白い」と上村教授。吉沢客員教授も「発災時にうまく対応できた事例にはワクチンのヒントがある。考え方を広めて社会的な現象にしたい」と意気込みを語った。【戸田紗友莉】
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