トロント・ブルージェイズ(写真=Getty Images) 「初めから、この移籍は必然的なものだと感じていた」。7年総額2億1000万ドル、球団史上最大のFA契約を結んだディラン・シースは現地時間9日に行われた入団会見でそう語った。
カナダ唯一のMLB球団であるブルージェイズはかつて、選手から避けられる存在だった。大型契約を結んだ選手が持つトレード拒否権において、対象球団に含まれることは通例。スター選手の争奪戦では他球団を上回るオファーを提示しながらも、獲得を逃すことが少なくなかった。
特に米国で生まれ育ち、念願叶ってアメリカのプロ野球で名声を得た選手が、どうして自ら進んでカナダに移籍するだろうか。ブルージェイズに所属していれば、毎回のアウェイ遠征でパスポートが必要となる。フロリダ州やテキサス州に比べてカナダ・オンタリオ州の税率は高く、その多額の税金を“他国”に納めなければならない。
それでも、ブルージェイズの歴史は多くの米国出身選手によって築き上げられてきた。オクラホマ州出身のジョー・カーターは1991年から加入し、トロントで英雄的打者となった。1993年のワールドシリーズ第6戦では優勝決定サヨナラ満塁弾を放ち、1992年からの世界一連覇に貢献。引退後はカナダ野球殿堂入りを成し遂げた。
1995年のドラフト1巡目投手であるロイ・ハラデイは2003年のサイ・ヤング賞を獲得するなど、トロントで通算148勝をマーク。2015年にトレード加入したジョシュ・ドナルドソンは2000年代の低迷が続いていたチームを地区優勝に導き、球団史上2人目のア・リーグMVPに輝いた。しかしながら、自身で環境を選ぶことのできるFA選手の獲得レースにおいては、ことごとく縁が無かった。
そんな不遇の時代から抜け出すべく、ブルージェイズは2010年代後半から総額5億ドル以上を費やし、本拠地ロジャース・センターと、春季キャンプを行うフロリダ州ダニーデンの練習施設を大幅改修。選手とその家族のため、球界最高峰の施設とサポート体制を整えた。そして2020年オフ、当時の球団史上最高額でジョージ・スプリンガーを迎え入れた。
「トロントを選ぶことは、キャリアの中で最も簡単な決断の一つだった」と、スプリンガーは当時を振り返る。強豪ひしめくア・リーグ東地区を戦いながら、加入後の5年間でポストシーズンに3度進出。今季は36歳にしてシルバースラッガー賞に返り咲き、球団32年ぶりとなるワールドシリーズ進出の立役者となった。
2022年からはケビン・ゴーズマンが加入。複数球団による争奪戦の末、かつて対戦相手としてMLBキャリアの第一歩を踏み出したトロントという地を、新しい住処に選んだ。“勝てるチーム”を望んだ右腕は入団以来、一度も負傷者リストに入ることなく4年連続2桁勝利を達成。カナダを背負うエースとして、キャリア初のワールドシリーズを戦った。
元サイ・ヤング賞右腕シェーン・ビーバーはワールドシリーズ第7戦で無念の黒星を喫した直後、トロントでの再挑戦を志した。FA市場に出れば大型契約を狙えたにもかかわらず、単年1600万ドルと決して高額ではない選手オプションを行使。トロントでプレーすることを「絶対的な幸せ」と言い表したように、わずか3ヶ月の在籍で唯一無二の価値を見出した。
ブルージェイズは今季、トロントに惹きつけられた選手たちと共に“アメリカン・リーグ王者”の称号を手に入れ、ディラン・シースという市場の大物を射止めてみせた。シーズン閉幕から1ヶ月足らずという異例の早さで、米国南部ジョージア州出身の右腕にトロント行きを決断させた。
「優勝チームの一員になれるというのが一番大きな要因だった。今季の彼らは優勝に値するチームであり、優れたプロセスを持っていることを証明した」と、シースは話した。球団一丸となって勝利を目指す体制や、彼に対する投手コーチの的確な分析も強い後押しとなった。
「(ブルージェイズとトロントについて)ゴーズマンやその他の知人に尋ねて回ったが、誰一人として否定的なことを言わなかった。あの街と球団を愛することになるだろう、というのが総意だった」。数多の人種や文化が入り交じる国際都市トロントは、誰もが望む目的地へと変わりつつある。
文=山下拓人