【フィギュア】同郷の先輩・羽生結弦さんを追いかけた日々「夢なのかな」佐藤駿が涙の銅メダル

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2026年02月14日 19:46  日刊スポーツ

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笑顔を見せる銀メダルの鍵山(左)と銅メダルの佐藤(撮影・パオロ ヌッチ)

<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):フィギュアスケート>◇男子フリー◇13日◇ミラノ・アイススケートアリーナ


初出場の佐藤駿(22=エームサービス/明治大)はショートプログラム(SP)9位から追い上げ、銅メダルを獲得した。フリー3位の186・20点とし、合計274・90点。4位のチャ・ジュンファン(韓国)を0・98点上回った。


 ◇   ◇   ◇


熱い涙が頬をつたう。顔を覆いながら、肩を震わせた。佐藤は銅メダルが決まると、込み上げる感情をさらけ出した。


「信じられない。夢なのかな」


SP9位からフリー3位と追い上げ、合計274・90点で目標のメダルをつかんだ。同じ仙台出身で五輪2連覇の羽生結弦さんを追いかけてきた22歳。物静かで芯の強い青年が、初五輪で光を放った。


アイスリンク仙台で競技を始めた5歳の頃から「ジャンプ、ジャンプ…と。ずっとやっていた」と淡々と跳び続けた。レッスンがない日も、ほぼ毎日自主練習へ。小学校低学年になると、同じリンクで練習していた羽生さんの跳び方をまねながら2回転トーループを練習した。


「ずっと憧れて、追いかけて、目標だった」


羽生さんは14年ソチ五輪で4回転2種類を組み込み、日本男子初の金メダルを獲得。当時師事していた浪岡秀コーチからは「駿も4回転を2つ跳べるようになれば金メダルだよ」と背中を押された。


あれから12年。ルッツとトーループの4回転を武器に初の五輪に立ち、フリーを任された団体では銀メダルを獲得。ただ、中1日で迎えた個人SPは9位と出遅れた。


表彰台ラインまで13・85点差。フリー前夜は「寝れなかった」と悩んだが、自問自答の末に決心がついた。


「自分は何しに来たのか? メダルを取りに来たんだ」


模索していた高難度の4回転フリップ投入は、当日に回避を決断。いつも通りの構成で完成度を求めた。


会場の更衣室には羽生さんからもらった宝物のペンダントを持参。出番の直前にはこれも羽生さんの代表作「SEIMEI」の映像を目に焼き付けた。昨季世界選手権から始めたルーティンで「気持ちを高めた」。


勝負のフリーへ臨み、得意の4回転は2種3本を全て決めた。幼少期から磨いてきた技は、大舞台で自分を救った。諦めなかった先に、メダルが巡ってきた。


22年北京五輪シーズンは左肩の脱臼を繰り返し、男子フリー当日に手術。全身麻酔で眠り、目覚めると同い年の鍵山が銀メダルをつかんでいた。


4年の月日を経て、この日は鍵山とともに表彰台に立った。


「言葉がない。表彰台に上れるとは思っていなかった。頑張ってきて良かった」


銅メダルを掲げる瞳は、憧れの羽生さんを追いかけた少年の日のように、キラキラと輝いていた。【藤塚大輔】


◆佐藤駿(さとう・しゅん)2004年(平16)2月6日、仙台市生まれ。7歳で東日本大震災を経験。18年に父の転勤に伴い埼玉に転居し、震災避難時に約4カ月指導を受けた日下匡力、浅野敬子両コーチに師事。19年ジュニアGPファイナル優勝。GPファイナルで24年から2年連続銅。25年世界選手権6位。埼玉栄高−明大。162センチ。

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