
<ミラノ・コルティナオリンピック(五輪):フィギュアスケート>◇19日◇女子フリー◇ミラノ・アイススケートアリーナ
今季限りで現役引退の坂本花織(25=シスメックス)が、涙の銀メダルで五輪に別れを告げた。
ショートプログラム(SP)2位で迎えたフリーも2位の147・67点。合計224・90点で金メダルのアリサ・リュウ(米国)に1・89点届かなかった。引退後はコーチとなり、教え子と悲願の金を目指す。初出場の中井亜美(TOKIOインカラミ)が銅メダル、千葉百音(木下グループ)は4位。日本女子初複数メダルの快挙で、日本の冬季五輪通算メダルを100に乗せた。
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明るさが取りえの坂本が、リンクに背を向けた。金メダルのリュウ、銅メダルの中井が抱き合う姿さえ見られず、泣き崩れた。表彰式でも、取材エリアでも涙を止められない。悔しかった。勝って泣きたかった。
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「なんでここで(好演技を)出せなかったかな…」
頭が整理できない。演技後半、得点源となるフリップ−トーループの連続3回転ジャンプ。後半のトーループがつけられなかった。最後の3回転ループにトーループを加える形もよぎったが「確実に決めよう」と回避した。浮いた基礎点は4・62点。フリップにつけて成功していれば、金メダルだった。「なんであそこでああなってしまったのかが、本当に分からない」。1本のジャンプに泣いた。
前回銅メダルの北京五輪から4年。世界選手権は金、金、金、銀と先頭を進んだ。だから、金メダルを本気で狙った。元来は引っ込み思案。小学生のころから三原舞依ら同世代の後ろに隠れて練習した。競技会では樋口新葉に勝てず、年下の本田真凜に抜かれた。シニアに上がるとエース宮原知子は雲の上の存在。後輩の紀平梨花が台頭すると「次は負かしたる」と思えなかった。中野園子コーチから「ずっとぞれでいいの? 2番」と言われてきた。
転機があった。22年3月、世界選手権初優勝。目指してきた景色を見て、初めて本当の苦しさを知った。
「そこから落ちる自分が怖かった。負ける自分が怖かった。その時、初めて2番の楽さに気づきました」
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負けたくない。その一心で質の高いジャンプを追い求め、表現を磨き抜いた。ウクライナ侵攻の影響でロシア勢不在の国際大会。匿名のSNS社会で、心ない声に傷ついたこともある。
「“かおちゃん”“花織ちゃん”“ケオリ”は大丈夫。自分が話したことを確認するために“坂本花織”で検索したらきつかった」
高難度ジャンプは組み込んでいない。負けたくない一心で1つ1つに高い出来栄え点を生み、完成度の高い作品を追い求めた。全日本選手権5連覇。いつしか負けないエースになった。
最後の五輪は、2番を悔やんだ。4年前の個人銅メダルは銀へと色を変えた。「メダルが1つ上がっているのに悔しい。その成長は褒めたいと思います」。手元には日本フィギュア界最多に並ぶ4個のメダルが手に入った。涙を拭い、メダリスト会見でほほ笑んだ。
「コーチとして五輪に戻り、教え子をメダルに導けるように全力でサポートできたら、またふとオリンピックに現れると思います」
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怖かった負けは、人生の指標となった。【松本航】
◆坂本花織(さかもと・かおり)2000年(平12)4月9日、神戸市生まれ。03年度後期のNHK連続テレビ小説「てるてる家族」に影響を受け、4歳でスケートを始める。17年世界ジュニア選手権3位でシニア転向。1季目から18年平昌五輪代表2枠入りし、個人6位。22年北京五輪で団体銀、個人銅メダル。世界選手権は22年から3連覇。全日本選手権は5連覇中で、18年を含めて優勝6度。今季のSPは「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」、フリーは「愛の讃歌」。ミラノ五輪の日本選手団旗手代行。159センチ。
◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大阪体育大でラグビー部。13年に日刊スポーツ大阪本社へ入社。2年間はプロ野球の阪神タイガース担当、以降は五輪競技やラグビーを主に取材。21年11月に東京本社へ異動。五輪取材は18年平昌、21年東京、22年北京、24年パリに続き、ミラノ・コルティナ大会で5大会目。ラグビーW杯は19年日本、23年フランス大会で日本代表の全9試合を現地取材。185センチ、100キロ。
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