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1999年(平11)の結成から約27年、日本中から愛されたアイドルグループ「嵐」が、今月31日で活動を終了する。日刊スポーツでは、今日25日から5人とゆかりのある著名人らが「嵐」への思いを語るインタビュー連載企画「感謝の嵐」がスタート。グループ活動に区切りをつける最後の日まで、7日間連続で掲載します。初回を飾るのは、フリーアナウンサーの羽鳥慎一(55)。嵐の初の冠番組「真夜中の嵐」(日本テレビ系、01年10月〜02年6月)でタッグを組み、以来「嵐にしやがれ」「24時間テレビ」など数多くの番組で共演。約32年間のアナウンサー人生の中でも“恩人”の1人という、嵐への思いを語った。【望月千草】
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羽鳥がスマートフォンのメモアプリを開くと、画面に文字がびっしりと広がった。「話すことを考えてきました」。何度スクロールしても、なかなか途切れない。振り返れば振り返るほどに、嵐との記憶が湧き上がった。
取材日の時点で活動終了まで残り約1カ月。「5人の気持ちなので、と思いながらもやっぱり残念は残念です」と名残惜しさを明かした。存在の大きさゆえ、寂しさはぬぐえない。心残りもある。「最後一緒にテレビに出たかったなっていうのもあります。1個やると全部やらなきゃいけないし、きっと大変なんだろうな」。嵐の特集番組放送に前向きな局もあり、かなうなら司会を羽鳥に、という話もあったという。
活動の締めくくりは、長年支えてくれたファンに向けたライブツアー。「最後は平等にっていうのと、やっぱりライブに来てくれるファンのためにっていうのが嵐なんだなって改めて思いましたね」。31日のラストライブは生配信もされるが、5人がそろう最後の公の場はファンの前。最後までファンファーストを貫く姿に自然とふに落ちた。
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グループはかねて、5人で「嵐」であることに意味があると強調してきた。おのおのが多彩な個性を持つが、絆の深さと仲の良さは昔から。象徴的な姿が羽鳥の目に焼き付いている。
「『真夜中の嵐』をやっていたぐらいの時には、髭剃りもみんなで1個使ってたんですよ。それもちょっと壊れてて『ここの穴に当たると、痛くて血が出ちゃうから穴に当たらないようにね』って」。ブレイク前とはいえ、人気アイドルの一角。新調しないのかと聞くと「『1個でいいじゃん』って言うんです。言い出せなかったのかもしれないですけど、多分言い出さなかったんですよね。『良んじゃない、1個で』っていう人たちでした」。大人気グループとなっていた2020年末の活動休止前でも楽屋は「嵐」で1つ。5人で1つ。あの時の答えとつながる気がしている。
アナウンサー人生の中で「出会えて良かった」と思える恩人が3組いる。古巣日本テレビの先輩にあたる徳光和夫(85)と、お笑いコンビ・ナインティナイン、そして嵐。「徳光さんに会ってなかったら、多分『ズームイン!!』もやってないですし(番組の)やり方もよく分からなかった。ナイナイさんに会ってなかったら、バラエティーの振る舞いが何にも分かってなかったですね。嵐には、嵐が頑張ってるんだから俺も頑張ろうって思うぐらい力をもらいました」。
嵐とは「真夜中の嵐」以来、20年以上の間柄。同番組は最終電車と自転車を乗り継いで日本縦断を目指すというタフな内容に加え、進行はほぼフリートーク。当時30歳前後でスポーツ中継が主な担当だった羽鳥が、初めて演者側になった。「いっぱいいっぱいで進行してました。当時の私の能力では、どうしたら若者5人を盛り上げられるんだろうって本当に大変でした」。
自身も初めてだらけの連続だったが、5人も同じ。自転車で日本のあちこちを駆けた日もあれば、小さなロケバスにぎゅうぎゅうに乗って、真夜中の街へ繰り出した日もある。夜中に民家を訪ねて怒られたり、酔っぱらいに絡まれた大野智(45)がバーに連行されたり、全てが体当たり。「嵐が頑張ってんだから、おじさんも頑張んなきゃって思いはありました」。がむしゃらに番組と向き合う5人の姿から感じた刺激の風は、気付けば大きな追い風となって背中を押してくれていた。活力源は間違いなく、嵐だった。
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番組最終回の02年6月、ロケ先の北海道・宗谷岬で約束を交わし合った。当時嵐はデビューから3年がたち、羽鳥は入社9年目。タイプカプセルに次のキャリアを思い、手紙を入れた。嵐はNHK紅白歌合戦出場と国民的なアイドルになることを、羽鳥は日本テレビ(当時)を代表するアナウンサーになることを誓い合った。
答え合わせは7年後の09年。特番の放送内でタイムカプセルが開封された。その年に嵐は紅白初出場を決め、羽鳥もすでに「ズームイン!!SUPER」の総合司会として朝の顔に定着。その後も引き合うように「24時間テレビ」「嵐にしやがれ」でタッグを組み、一緒に日本のお茶の間を明るく照らす存在になっていた。「本当に嵐と一緒にスタートできて、出会えてよかったです。嵐からは何事も一生懸命やる姿勢と、一生懸命やったら夢じゃなくて目標になって、その目標はかなうっていう姿をずっと見せてもらっていたなって思います」。嵐と磨いた何事にも真摯(しんし)に向き合うひたむきさと、タフなメンタリティ。自身の血肉となり、今も息づいている。
国内外で愛されるスターへと成長していく姿を間近で見守ってきた。嵐が多くの人に愛された理由を問うと、迷いなく「人柄かな」と答えた。「基本的に仲良くつながってるっていうところが、ファンではない人にも画面を通して伝わる。最初から最後まで変わらずに5人で活動を終えるっていうのは5人の人柄で、そういうところがあったから多くの人に愛されるグループになったのかなと思います」。テレビ画面でもどこにでも、嵐がいると不思議とその場が明るく、温かさに包まれる。太陽のような存在だった。
31日のラストライブは生配信を視聴する予定だ。「これまでの嵐を感じながら見ます。事務所の方と話す機会があった時に、『大野が体を戻してきまして』とすごいうれしそうに言っていたんです」と声が弾む。大野といえばダンス、歌ともに高いパフォーマンス力。「どれだけ動けてるのかをちょっと確認します(笑い)」。アイドルとして戻ってくることが、たまらなくうれしい。
4月末、二宮和也(42)は出演したバラエティー番組内で「嵐はなくならないよ」と言葉にした。この言葉に羽鳥も大きく、強くうなずく。自身も1人のファン。最後の楽曲「Five」も毎日のように聴いている。「聴きながら毎朝走ってますよ。これからはジムで走るのがつらい時、嵐の楽曲に寄り添っていきたいです(笑い)。嵐に走らせてもらいたいなと思います」。嵐に支えてもらう日常は、この先も変わらない。
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全員と会ったのは、20年末の「嵐にしやがれ」最終回の収録時。もし5人と再会がかなうなら、昔話に花を咲かせたい。「夜中にロケした番組を振り返って『あの時お互いあんな感じだったね』『でも、なったね、国民的スターに』と伝えたいですね。あの時はお酒を飲めない年齢のメンバーもいたので、おじさん6人で話したいです」。“同窓会”が待ち遠しい。
◆羽鳥慎一(はとり・しんいち)1971年(昭46)3月24日、埼玉県生まれ。1994年(平6)早大卒業後、日本テレビ入社。03年2月から11年3月末まで「ズームイン!!SUPER」総合司会を務める。11年3月末に日本テレビを退社後、フリーに転身。現在は日本テレビ系「ぐるぐるナインティナイン」、テレビ朝日系「羽鳥慎一 モーニングショー」メインキャスターとして出演中。
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