ロンドンのとあるスタジオでの撮影風景。
シャッターの連続音の向こうには、黒のスリムパンツに毛皮のポンチョをはおっただけのスタイル抜群の女性モデル。
一見ごく普通のファッション雑誌の撮影風景だが、ひとつ違うのは、素肌に直接はおったポンチョの下に見える、ぽっこりと前に出たモデルのむきだしのお腹。
このモデル、2ヵ月後に出産を控えた妊婦なのだ。
テレビの情報番組の中で放送された「妊娠とダイエット」というタイトルのルポルタージュの冒頭部分である。
この撮影を行った妊婦服デザイナーのフランス人女性は言う。
「このモデルは妊婦の理想的な体形を持っているわ。前に出たお腹以外に無駄なものが全くない。それでいて妊娠している、つまり完全な自然体なのよ。こんなすばらしいことってないわ。」
現在では妊娠中の体重管理に気をつける、というのは常識であるが、それはあくまで妊婦や胎児の健康のため、あるいはスムーズな出産のため、であって妊婦の美しい体型を保つことが目的ではない。
「妊娠していても、女性らしさ、セクシーさ、体の細さを保たなければならない」
このルポルタージュによると、最近は妊娠中、出産後も美しい体型を保つため、妊娠中からダイエットに励む女性が多い、というのだ。
現在二人目を妊娠中という30歳の女性は、最低限必要とされている体重以上は増やさないよう、気をつけているという。
甘いものや油脂分を避け、その日の昼食は、茹でた白身魚に茹でたズッキーニと白米。
少々味気なく、寂しい食事ではあるが、極端に量が少ないわけでもなく、日本人の筆者からすると、ダイエットというほどでもないように見えたが、フランス人から見ると、ダイエット食、ということなのだろうか。
ワードローブの中からお気に入りのワンピースを並べ、「今は着れないけど、出産後はこれが全部着られるようにしたいの。そして、夏はコンプレックスなく水着を着たい。」
ファッション誌のお腹の出た妊婦モデルの写真を見て、「妊婦として必要な体にはならなければならないけど、必要以上に太ってはだめ、細くなくてはならないの。このモデルたちの体は完璧。この人たちにできて、私にできないってことはないんじゃないかしら。」
この程度ならば、女性の一般的願望として、驚くほどでもない気もする。
だが実際、ここ数年、妊婦服の売れ行きに大きな変化が起きているという。
妊婦服なのにXS、つまり5号サイズの売れ行きが毎年20%ずつ伸びているというのだ。
自分が妊娠した時にかわいい妊婦服がなかったから、と自分のブランドを立ち上げたフランス人女性がデザインする妊婦服は、お腹まわりのゆとり部分以外はすべてほっそりとしたライン。
ロンドンを拠点に全世界で販売しているが、特にフランス人に人気があるという。
自慢は細身のジーンズで、「足の形がそのままでる細身のジーンズは、自分が細いということを見せるのに一番効果的」だから。
今年の夏の新作は、「妊婦さん、体冷やしますよ!」と言いたくなるような超ミニスカート、超ミニパンツ。「今の妊婦は妊婦らしくない服を着たがる」そうだ。
このような傾向に、栄養士は警笛を鳴らす。
妊娠前に細ければ細いほど、体重を増やす必要があるのだ、と。もともと5号サイズを着ていたような人であれば、最低10キロ、最高25キロまで(!!)増えても大丈夫、と言う。
十分体重が増えていないと、胎児への影響はもちろん、自分自身も出産後、体の回復がうまくいかなかったり、逆に太ってしまったりするそうだ。
実際に体重が増えないまま出産に至ってしまった女性も、自分の体験を語っていた。
2年前に拒食症のまま妊娠してしまった彼女は、妊娠後も食生活を変えることができず、食べるのは野菜、低脂肪の乳製品のみ、炭水化物はほとんど取らない、という生活。
さらに、毎日自宅のトレーニングマシンで1時間半のハードな運動を欠かさなかった。
医者からはやめるように言われたが、食べたことによって太る恐怖から逃れるために、どうしてもやめることができなかったという。運動しなければすべて吐いてしまうのだ。
「太る恐怖」は「妊娠している」という事実よりも大きかった。
妊娠5ヵ月の時、切迫早産で入院し、結局、予定日の3ヵ月前に体重1.3キロの双子の赤ちゃんを出産した。体中チューブにつながれた我が子を見て恐ろしいと感じ、何か体に問題があるのではないか、生き延びれないのではないか、と怖かったという。
その双子も現在は1歳半、今のところ二人とも何の問題もなく元気に育っている。しかしそんな体験をした後でも、彼女の拒食症は治らず、同じような食生活を続けている。
出産後も妊娠前の体型を維持したい、と思うのは誰でも同じだろう。そのために努力するのも必ずしも悪いことではないと思う。
―― 自分ではないひとつの命が自分の手の中にあるという責任を忘れなければ。
妊娠という期間は、一生のうちのほんの短い期間であるし、誰もが経験するということでもない。
赤ちゃんが生まれてからの幸せももちろん大きいが、お腹の中に赤ちゃんがいるという感覚もまた、少なくとも筆者にとっては、幸せな時間だった。
後半までつわりが続いたせいか、あまり体重が増えず、最後までお腹が目立たなかったので、周りにもあまり気づいてもらえず、産院でお腹の大きい妊婦を見るとうらやましかったのを覚えている。
幸せの感じ方は人それぞれではあるが、ダイエットに気を取られる妊婦にも、外見の美しさから得られる幸せとはまったく別の、この時しか味わえない幸せもぜひ謳歌してほしい、と、そんなに遠い過去でもないはずの妊婦時代を懐かしく思い出した。
フォルク 津森 陽子食品メーカーにて営業を経験後、一念発起してパティシエに転身。半年のパティシエ修行で来たはずのパリ滞在が伸び、いつの間にかパリで一児の母に。妊娠後はパティスリーを退職、現在はフランス人の夫の仕事を手伝いながらパリで2011年生まれの息子の子育て奮闘中。