自由にボール遊びができない今どきの小学校事情

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2013年07月29日 10:00  MAMApicks

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話は少しさかのぼるが、1学期の終了を控えて開かれた、長女が通う小学校での保護者会でのこと。担任教師の言葉にびっくりした。

「ボール遊びは他の子に当たる可能性があって危ないので、中休みと昼休みの時間は、原則としてボール遊びはできなくなりました」

え? 公園で「ボール遊び禁止」の看板はよく見かけるが(これはこれで議論があるが)、それが学校にまで及んだ?

担任教師によると、特に低学年の子は、こちらが注意していても、どこから飛び出してくるかわからず、とても危ないのだそうだ。先生自身が、子どもたちと鬼ごっこをしていて実感したという。

たしかに危ないといえば危ないだろうが、なんだか納得できない。気をつけながら遊んだり、あるいはぶつかって痛みを知ることで、成長するのでは……。そしてその場を提供することこそが、小学校なのでは……。

周囲の友人にそのことを話すと「事故でもあったんじゃないの?」と言う。そこで副校長先生に聞いてみた。


「“禁止”ではないですよ。 “ゴールを使ったサッカー”とか“枠をきちんと描いたドッヂボール”はOKですから、まったくダメ、ということではありません。要はきちんとボールを使う範囲が決まっていればいいのです。でも、ボールがどこに飛んでいくかわからない“自由なボール遊び”は、残念ながら、やめましょう、となりました」

「事故でもあったのでしょうか?」

「いや、事故が起こる前の予防策です。いわゆる危険回避です。朝の時間と放課後は校庭で遊ぶ子も少ないので、その時間帯は、“自由なボール遊び”もしていいよ、と言っています。“禁止”ではなく“制限”です」

「ケガをしてしまうのも経験のひとつでは?」という私の想いをぶつけると、副校長先生も、「集団で遊ぶのだから、転んだりケガしたりというのは当たり前。私もそうしたことは、必要だと思います」と、同調してくれたうえで、こう続けた。

「けれども学校としてはなるべくそうしたことを避けたい。小さなケガならいいですが、大きな事故につながる可能性もあります。そうしたことが極力起こらないための予防なのです」

先生の対応は非常に真摯で、しきりに「残念ながら」とのワードが飛び出し、先生自身も悩みつつ、という様子が感じ取られた。

許可した“ゴールを使ったサッカー”や“枠をきちんと描いたドッヂボール”は、準備が面倒なようで、子どもたちは自然にやらなくなっているそうだ。

副校長先生によると、「“自由にボール遊びをしていい”という小学校のほうが、区内では少ないと思います」とも言っていたので、同じ区内の別の小学校に子を通わせている友人にも聞いてみた。

「昼休みには先生がいれば、ボール遊び可。中休みは先生がいないので、不可。学童クラブでは必ず先生がいるので、ボール遊び可。つまり、見ている先生がいればよいみたい」
「サッカーは朝の時間ならやってもいいが、それ以外は禁止」
「いつでもボール遊びOK」
などなど、学校によってさまざまだった。

子どもをめぐる事件や事故はなくなることはなく、大事に至る前に守ろうというのは、学校としては当然の姿勢だろう。しかも「禁止」ではなく「制限」なのだから、それほど目くじらを立てるようなことでもないかもしれない。

だがその日の夕方。次女が通う保育園から配られたお便りを手に取り、複雑な心境になった。

そこには、「五感をフルに使って」とのタイトル。「五感をフルに使う直接体験が乳幼児期にはとても重要」という内容で、「自分から身の回りの人・物に関わり、その過程で五感を使い、関わり方を学んでいく……まさしくこの体験が大切で、成長していくときの知識の積み重ねとなります」とある。

小学校の「制限されたボール遊び」と重なった。「自由なボール遊びができない」ということは、小学生の五感を鍛えるひとつのシーンが奪われていることになるのではないか……それは極端な思考であり、また乳幼児と小学生を同じ土俵で考えることはできないし、そもそも、禁止されているのは、ある時間のボール遊びだけなのだから、「五感を鍛える」とは大げさだといえなくもないのだが。

子どもが巻き込まれた事故のニュースが流れたとき、長女がこうつぶやいていた。
「あー、またこれで、学校でしちゃダメなことが増えるなー」
事故や事件が起こると、大人たちは子どもを守るための方策を考える。当然と言えば当然のことだが、子どもにとってそれは「制限」となる。

子どもを自由に遊ばせたい。だけど大きな危険は回避したい。そのバランスは、どうしたらとれるのか。「安心して体験を積ませる」にはどうしたらいいか。学校も親も頭を悩ませている。

長女の言葉を聞いて考えた。何かにつけて大人が先回りして制限するのではなく、ある年齢になれば子ども自身に状況を判断させ、対策を考えさせ、ルールが必要であればみんなで決め、それを守る。大人は助言役に徹する。

例えば、「むやみやたらなボール遊びは低学年にとっては危ないよね? どうしたらいいと思う?」

そんな問いかけをして、小学生自身に考えさせて対応策を練らせれば、その過程は思考の訓練にもなる。そう考えると、「危険」の存在も貴重なものに思えてきた。

それにしても、今回感じたのは、いかに学校が先回りして「安全を確保しよう」という姿勢になっているか、ということだ。当然時代が違うから、私自身が小学生だった頃とは異なるのは当然ではあるが、あまりにも守りに入った学校生活は窮屈だ。

ケガをしろとはいわないが、公立校の良さのひとつは「雑多」な中でたくましく育つことだと思い込んでいた。しかし、学校を取り巻く状況は刻々と変わっていることに、改めて気づいたのであった。

【関連アーカイブ】校庭では雪遊び禁止の怪
http://mamapicks.jp/archives/51963729.html

【関連アーカイブ】公立小学校が寒すぎる件 〜「子どもは風の子」は本当か?〜
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江頭紀子
調査会社で情報誌作成に携わった後、シンクタンクにて経営・経済に関する情報収集、コーディネートを行いつつ広報誌も作成。現在は経営、人材、ISOなど産業界のトピックを中心に、子育て、食生活、町歩きなどのテーマで執筆活動。世田谷区在住、8歳2歳の二女の母。

このニュースに関するつぶやき

  • こうやって「防御力0」のダメ人間が出来上がるんですねわかります。
    • イイネ!10
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