平成サブカルお母さん考 〜わかるヤツだけわかればいい〜

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2013年08月26日 09:30  MAMApicks

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『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』(渋谷直角 著/扶桑社)、最近話題のこの漫画、ご存知だろうか。

一部店舗限定で、表題どおり“ボサノヴァカバー”された『今夜はブギーバック』(歌:久保ミツロウ・能町みね子・渋谷直角)が付いてくるということで、予約して発売日にヴィレッジヴァンガードに急いだ。



90年代を思春期として過ごした世代で、なおかつ、ピチカート・ファイヴ、カヒミ・カリィ、フリッパーズ・ギターなんて名前を出したらグサグサ刺さるような方であればお勧めしたいのだが、読後数日は立ち直れなくなるかもしれない。

あの、壮大なモラトリアム感が漂っていた90年代の、「ほかとは違う私でいたい」「何者かになりたい私」というハリボテの「売れたい願望」。アレはいったいなんだったのだろうか。

過去を全否定して、「いやー、そんな時期もありましたよね、今は普通のお母さんやってますけど」というのは簡単だが、それはあなたや私の紛れもない青春時代のお話であるので、以下いろいろ、きちんと背負ったまま話を進めて行きたい。

■サブカル少女と呼ばれて―― 「サブカルお母さん」とその背景
近年「サブカル」というと、アニメ方面をイメージされがちなので、ここでの定義は「90年代サブカル」とする。冒頭触れたようなギターポップ、渋谷系、もしくは後述するナゴム系など。

なぜここでこんな話題かといえば、最近ネットに増えている気がするのだ。
「サブカルお母さん」が。


●Eテレに見るサブカルお母さんホイホイ

「サブカルお母さん」なるフレーズを最初に見たのは、Eテレで放映中の『ムジカ・ピッコリーノ』(土曜朝8:25)の放送中のこと。ドイツテクノ界の王、Kraftwerkの『The Robots』がテーマだった回、Twitterのタイムラインに、

“サブカルお母さんホイホイ”

というフレーズを見た。

「サブカル少女」は、大人になったら卒業しなきゃいけないものだと思っていたのだが、その先のキャリアパスとして、「サブカルお母さん」という枠が実は存在していた、という発見。これは、非常に大きい。

昔から、「教育テレビはサブカルが注目するもの」とされてはきたが、実際に親になり、ターゲット視聴者となった今、確実に我々のような“端っこだけを歩いてきた人間”が日々暮らしやすい世界が、Eテレに出来上がろうとしていると思うのだ。


●昭和最後、または平成最初の「ナゴムギャル」

筆者の話をしよう。
音楽やサブカルチャーに衝撃を受けたのは間違いなく中高時代で、その趣味はいまだに引きずっている。

中1で「イカ天」にハマって、原宿でラバーソールを買って、ツインのおだんごヘアにボーダーのニーソックス、おもちゃのようなアクセサリー、ランドセルのようなリュックを背負って、一人でホコ天に行ってはそこで友だちを見つけた。

渋谷系と呼ばれるおしゃれポップスなども平行して聴いていたが、たまのライブも行ったし、カステラというバンドが好きだった。

その流れで「ナゴムレコード」(※1)というレーベルの存在を知り、たまたま地元のレコード屋にナゴムの品揃えが豊富だったため、傾倒していった。

とにかく、毎日が音楽とファッションできらきらしていた。

※1=「ナゴムレコード」…ミュージシャン・劇作家のケラリーノ・サンドロヴィッチ率いるインディーズレーベル。過去に筋肉少女帯、たま、人生(電気グルーヴの前身)、などが所属した。今年30周年記念で「新生ナゴム」としてレーベルを復活させる。


●池袋サブカル文化圏と「P'パルコ」

東武東上線沿線、東京都板橋区の限りなく県境に近い場所で、ファッション誌『CUTiE』を読み、フリッパーズ・ギターとピチカート・ファイヴ、電気グルーヴとスチャダラパーを聴いて育った。塾の夏期講習の帰りに、まだ路面店だった池袋のWAVEに寄っては、アナログを買いあさった。

1994年3月、そんな池袋に新たなテナントビルがオープンする。「P'パルコ」。
そのイメージキャラクターとCMテーマソングを担当したのが、小沢健二とスチャダラパー。

そう、名曲「今夜はブギーバック」の誕生である。

オープニングイベントにその4人がやってくるという情報を得て、当時電車通学だった私は、同級生の自転車を借りて学校から池袋まで疾走した。あの池袋特有の猥雑な裏路地にすごい人だかり。17歳の私は後方から大声で叫ぶ。

「小沢くーん! ボーズくーん!」

奇しくも今年、その小沢健二、BOSE両名が同時期にパパになっている。
縁を感じざるを得ない。

■そうだ、「ベタ」で行こう
その、スチャダラパーのMC BOSEが、『一億総ツッコミ時代』を上梓した槙田雄司ことマキタスポーツとの対談で、「ボケていこうと思って僕も結婚した」という趣旨の発言(※2)をしていた。

※2=音楽ニュースサイト ナタリーより

俯瞰の視点からの“他人事”なツッコミを「メタ」、結婚や子どもを持つという“自分事”な行為を「ベタ」と定義し、ベタなことはやってみるとしんどいし、大変だけど、面白い……と主張する、「一億総ツッコミ時代」。

槙田氏が提唱していたのは、
<子どもという理不尽な存在に対しては「受け入れる」。大人が「子どもカメラ」を装着して世界をともに見ると非日常が見える。面倒なものも一旦自分の中に取り込んで面白がる>

ああ、年に数回はこれを思うのだ。でもそのたびに忘れて、ラクな方に流れてしまう。

育児なんて、面白がれなかったらほぼ苦行だ。
大変だけど、付き合い方を覚えておくことで子育てはもっと楽しく豊かなものになるのだろう。

私は今まで勝手に苦しんでいたのだ。自分で自分に無茶振りをして。

■こじらせたって結婚できる
ひとつ気になることがある。
ここまで「我々」という言い方をしてきた「こじらせた系」の元・サブカル少女たちは、その後結婚したり子どもを持ったりしているのだろうか。

まわりを見ても、既婚者はそんなに多くない。

我が家はたまたま、私より若干サブカルをこじらせている男性(と言ったら怒られるかな)と出会う機会があり、その後結婚。

家でノーマルを装うストレスも特にないまま気楽に生活している。子どもが寝た後にしょうもない話で盛り上がる時間は楽しい。40も近い中年が二人、どす黒い話ではしゃぎすぎて深夜になってあわてて寝る。

ほかのサブカルな皆さんは夫婦生活をどう過ごしているのだろう。

■生きづらいサブカルお母さんは世を忍ぶ仮の姿を身に纏う
インターネット上には日々、「面白いお母さんたち」というのを散見する。
それなのに、日中、現実世界でそういうオモシロ母さんたちはどこかに潜伏してしまっているのだ。ずっと思っていたことをツイートしていた方を見かけて、その後引きずっている個人研究テーマである。

―― 私にはママ友がいない。

同じように保育園に預けているワーキングマザーの皆さんにききたい。
「ママ友って、います?」

決してサブカルではない旧友などは、ママサークルを作って活動もしている。
彼女らを見て思うに、その「ママ界」に足を踏み入れることができないまま、水際で足だけちゃぷちゃぷしているのが今の筆者だ。


きっと素直にママ友の輪に入るのが前述「ベタ」なのだとは思うけど、ママ友とリアルでどうこうするならば、インターネットで素性を隠し、ガチガチの個人情報と「◯◯ちゃんのママ」からちょっと自由になって、自分の身に起きた面白エピソードを書き残したりしたい。

子育てにおけるトラブルというのは、たいていあとで思い返すと笑い話だ。

「書き残したい」の根底には自己顕示欲もあるけど、備忘録と誰かの役に立てたらという思いがある。

自分自身、子を産みたてでつらかった時期に、インターネットにあふれる「オモシロ母さん」たちに救われた経験があったからだ。

普段の生活で顔を合わせるママさんたちを見て、ファッションや雑談の中身などで、「この人、同類なのでは」と思うこともある。
気になる。

……気になるけど、踏み込まれた結果が地雷だったらイヤだから、静観している。

そんな私に友人は言った。
「もし、トークが弾むようなママさんと出会えたら、そのときは『ママ友』じゃなくて『友だち』になればいいのよ。」

なんだ、それだけのことか。急にすっと晴れた気分になった。
「ママ友」、こわくない。

■ブギーバック20周年を前に
もはや90年代の「あのころ」の象徴とも言える、『今夜はブギーバック』。
来年で発売から20周年を迎えるとのこと。

20年経った私は遅ればせながら母親になり、いわば“サブカル・サラブレッド”であるところのわが息子がどう育っているかといえば、くどいものにくどいものを足すとピュアになるのだろうか、カルチャーだけで言えば完全にメインストリームの人になっている。
※ちなみに、息子(2歳)の今一番好きなものはEXILEである。

ベタなことをベタに楽しめたほうが人生は楽しいのかもしれない。

わかってはいるけれど、人生のうち“斜に構えた時間”が長すぎて、どうしても「メタ」から「ベタ」におりられない。

いや、無理して取り繕うこともない。
陰と陽を両手に抱え、「メタ」と「ベタ」を自由自在に行き来したらいい。
そして、「サブカルお母さん」たちに大事なことは、「サブカルは40で鬱になる」(吉田豪・談)といわれている40代を無事にやり過ごし、余生を気ままに過ごすことであろう。

世の中に潜伏しているすべての「サブカルお母さん」の未来に光あれ!

ワシノ ミカ
1976年東京生まれ、都立北園高校出身。19歳の時にインディーズブランドを立ち上げ、以降フリーのデザイナーに。並行してWEBデザイナーとしてテレビ局等に勤務、2010年に長男を出産後は電子書籍サイトのデザイン業務を経て現在は日本テレビグループ・LIFE VIDEO株式会社のデジタルコンテンツ全般を担当。

このニュースに関するつぶやき

  • 90年代はそうかもだけど今でも黒縁メガネにカメラぶら下げてカフェやヴィレヴァン(笑)に入り浸ってる女子なんて、未だに溢れかえってる。そして奴らは奴らなりのコミュニティを持っていて、きちんと男とも遊んでるという時代の変化…
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