先端技術ガジェットを梃子にして、切実な人生や欲望の問題へアプローチする

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2014年03月18日 16:11  BOOK STAND

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『My Humanity (ハヤカワ文庫 JA ハ 6-2)』長谷 敏司 早川書房

 21世紀開幕とともに作家活動をはじめた長谷敏司だが、本格SFで頭角をあらわしたのは2009年発表の長篇『あなたのための物語』からだ。それに続く『BEATLESS』で、ぼくは度肝を抜かれた。ヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』をはじめSFはさまざまな人造美女を描いてきたが、この作品はその系譜の最先端に位置する。新しい時代の小説というだけではない。テーマへ数段深く切りこみ独自の認識に到達している。そのテーマとは、文学的には「人形(ひとがた)との恋」であり、思弁の命題ならば「哲学的ゾンビとの相思は可能か?」だ。



 作品のたたずまいに即してみれば、『BEATLESS』は『セイバーマリオネット』から『機巧少女(マシンドール)は傷つかない』に至るアニメ/ラノベの流れのなかにある。このカテゴリの多くの作品は----"ことごとくが"と言いたいところだが、ぼくこの分野は不案内なので----、人造美少女はデフォルトで心(内面性・感情)を備えているか、周囲とのかかわりにおいて心を獲得していく。それに対して『BEATLESS』のヒロインたちは徹頭徹尾、心を持たないのだ。そして、物語が進むうち読者はいやおうなく気づく。生身の自分たちだって、恋する相手の内面性などに触れられないことを。しかし、長谷敏司が圧倒的なのはその先だ。人間は相手の内面性を(確認できずとも)仮想して恋愛しているのであり、だとすれば相手が人間でなくても同様の思いこみは可能だろう----その前提すら、『BEATLESS』はあっけなく覆してしまう。ヒロインたちに内面を備えていないことが、そう言葉で説明されるだけではなく、衝撃の情景として(そう、画像的鮮烈をもって)示される。それでもなお恋愛は可能かと、この作品は問っていくのだ。



 こうしたテーマに対するぎりぎりのアプローチ----そこに先端テクノロジーを梃子にしたSFの設定が用いられる----は、最新短篇集『My Humanity』収録諸作にも共通する。そのタイトルが示すように、長谷敏司が向きあっているのは人間性のありか/ありようであり、それを客観的な視座で扱うのではなく自身(My)の切実な問題として引き受けるのだ。もちろん、この"自身"とは作者個人のみならず、読者一人ひとりに通じる普遍だ。



『BEATLESS』愛読者にとって見逃せないのは、まず、同作品のスピンオフ短篇「Hollow Vision」だろう。地球軌道上で発展した社会を舞台に、永遠の寿命を求める人間の妄執が主題化される。つくりこまれた背景(技術爆発による宇宙時代の格差社会)、テンポの良い物語を彩るガジェット(液体コンピュータ!)なども見所だ。『BEATLESS』を彩っていたケレンのきいたイメージ(読者の脳内で瞬時に画像へ変換される)も健在。



 ぼくが『BEATLESS』と対照させて読んだのは、むしろ設定的なつながりがない「父たちの時間」のほうだ。この短篇集のために書き下ろされた一篇で、放射線を吸収するナノロボット《クラウズ》の実用化により核分裂炉が世界に普及された近未来が舞台。



《クラウズ》は放射線をエネルギーとして発電し、窒素と炭素を固定して増殖するのだが、その過程で空気中の塵や水分をくっつけて霧を発生させる。《クラウズ》自体も霧も人体には直接の害はないが、環境に及ぼす影響は未知数だ。しかし、差し迫るエネルギー需要をまかなうため、《クラウズ》管理技術の確立を未来へ託して、人類はこれを使いつづける。多少のリスクには目をつぶって豊かさを享受する生きかただ。



 主人公の持田祥一はナノロボットを研究している専門家で、環境へ漏洩した《クラウズ》の対策に駆りだされる。当初は、世界中で増えつづける霧をどうにかできないか程度の深刻度だったのが、《クラウズ》が生物なみの適者生存のシステムを獲得したことで事態は急変する。それはもう人類の存亡どころのさわぎじゃない。地球生命史を画する大異変だ。しかも進行があまりに速い。



 そのかたわら、この作品ではもうひとすじの物語が併走する。祥一は離婚した妻とのあいだに小学生の息子、直樹がいた。祥一が研究の性質上、外部との隔離を余儀なくされているとき、直樹は喘息が重篤化して入院してしまう。元妻からの連絡によれば、この子は霧を恐れているという。祥一は元来「人間もまた統計的に見た場合は、資源と条件に合った機械のように振る舞う」という考えかたをする、冷静な人間だ。しかし、父親としての感情がないわけではない。



《クラウズ》が資源と条件を得て変貌し、生物としての勢力を増していくいっぽうで、祥一は自分が持てる資源(割り当てられる時間)と条件(霧対策プロジェクトのなかでの立場や家族のつながり)で、いかに父親であることを全うしうるかを自問する。この作品では、いっけんまったく次元が異なる大状況と私的事情とを、環境内生物のふるまいとしてひとつ視野のなかに収めてみせる。



 長谷敏司が巧みなのは、両項を自然科学的ロジックでのみでつながず、個体/群れの行動という社会学のロジックも援用している点だ。それも付け足しではなく、ストーリーの必然として(霧対策プロジェクトの一環として社会工学の専門家が加わる)織りこんでいる。それが成功しているため、SF的アイデアとしての強度を保ちながら、なお人生の切実な局面がくっきりと主題化される。『BEATLESS』の恋愛に対して、「父たちの時間」では父性。前者はカタルシスへと駆けのぼったが、後者は逃れようのない憂苦が待ちうける。



 これ以外の二篇も簡単には片づかないテーマを扱っている。「地には豊穣」では文化的アイデンティティの維持、「allo, toi, toi」は小児性愛者の矯正。どちらの作品も問題の核心を剔出するうえで、疑似精神制御言語ITP(Image Transfer Protocol)というアイデアを用いている。カタチのない(哲学的な)事象を考えるうえで、明確な輪郭のある情報技術や認知科学を足がかりにする姿勢は、グレッグ・イーガンを彷彿とさせる。説得力を持たせるディテールの組み立ても隙がない。



(牧眞司)




『My Humanity (ハヤカワ文庫 JA ハ 6-2)』
著者:長谷 敏司
出版社:早川書房
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