【今週はこれを読め! SF編】宇宙的ヴィジョンと地上の欲動----両極がときに相克し、ときに併存する

0

2014年03月25日 10:41  BOOK STAND

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

BOOK STAND

『胸の火は消えず (創元推理文庫)』メイ・シンクレア 東京創元社
今週はこれを読め! SF編

 SFと類縁の怪奇小説といえば、スティーヴン・キングをはじめとするモダン・ホラーや〈ウィアード・テールズ〉を本拠に活躍したパルプ作家群がまず思い浮かぶ。しかし、ぼくはむしろそれ以前の時代に書かれた作品に惹かれる。たとえば、十九世紀末から二十世紀前期にかけてのイギリスの怪奇小説。この時期はSFもまだジャンルとして成立せずにさまざまな文芸・思潮と交錯しており、それと同じ未分化の魅力が怪奇小説にも横溢しているように思える。具体的に名前をあげるなら、ロード・ダンセイニ、アーサー・マッケン、アルジャーノン・ブラックウッドといったあたりだ。



 このリストにぜひメイ・シンクレアの名も加えたい。日本で一冊の本として紹介されるのは『胸の火は消えず』が初めてで、本国での知名度も先に名をあげた大御所連とは比ぶべくもないが、透明な思弁性と濃密な情念とを併せもった作品は一読忘れがたい。



「絶対者の発見」は、形而上学に没頭するあまり人生を棒にふったスポールディング氏の物語。若妻エリザベスは間男ポールと出奔するわ、家庭を犠牲にして取りくんだ理論には致命的な欠陥が見つかるわ、踏んだり蹴ったり。スポールディング氏は失意の底で死を迎えるのだが、気づくと目の前にエリザベスとポールが立っている。不倫カップルが来てるってことは地獄なのだなと思うのだが、あに図らんや、そこは天国だった。妻と間男は「あなたの狭苦しい道徳はここでは通用しない」と悪びれもしない。エリザベスは安寧な生活よりもポールとの「愛」を選んだため、ポールは借金・酒・麻薬・好色まみれの人生だったが「美」を愛しつづけたため、天国に入る権利を得たというのだ。このふたりに導かれ、スポールディング氏はカントとの面談が叶う。そして、意識をどんどん拡大・深化させていく。時間と空間を超越した視野を獲得する一方、あらゆる生命の脈動とひとつになる。オラフ・ステープルドン『最後にして最初の人類』(1930年)は哲学SFと讃えられたが、この作品はそれに先立つ(執筆は1922年頃)哲学幻想小説だ。短い作品ながらヴィジョンはきわめて壮大だ。



 この「絶対者の発見」は、もともと雑誌〈クライテリオン〉の創刊準備を進めていたT・S・エリオットの求めに応じて書かれたが、同誌には採用されなかったという経緯がある。そのかわりに載ったのが「被害者」である。読み心地はまったく対照的だ。「絶対者の発見」が宇宙的スペクタクルに逢着するのに対し、「被害者」は地上的懊悩や愛の機微が綴られる。ただ死後の意識というアイデアだけが共通する。運転手スティーヴンは粗暴さゆえに周囲から疎まれている。恋人のドーシーも彼のことを恐れ、スティーヴンの雇い主グレイトヘッド氏に相談を持ちかけるほどだ。やがてドーシーはスティーヴンの前から姿を消す。グレイトヘッド氏が唆したのだと思ったスティーヴンは激昂して氏を殺害し、死体を解体のうえ山中に遺棄する。証拠隠滅はうまくいったかに思えたが、スティーヴンの前にグレイトヘッド氏の幽霊があらわれる。そこで判明した意外な事実とは......。怨念や復讐とかゴーストストーリーの常套にはおさまらない、深い余韻が尾を引く。



「水晶の瑕」も不思議な展開の作品だ。主人公は若い娘アガサ・ヴェラル。彼女はロドニーという男と恋仲になる。彼にはベラという妻があったが、ベラはすでに悪意の塊になっていた。アガサはこう考える。ベラがロドニーを失おうとしているのは、ベラが持っている独特の力ゆえだ。ベラはその力でロドニーをつかまえよう(それはいったんは成功して結婚に至ったのだが)とするが、それがかえってロドニーを逃げだす気にさせるのだ。自分にも力はあるが、それをロドニーに行使してはならない----とアガサは胸に誓う。



 最初この「力」とは譬喩的なものにも思えるのだが、読み進むうちに実効的な作用があることがわかってくる。アガサにはポウエル夫妻という隣人がいた。夫のハーディング・ポウエルは精神を病んでいたが、アガサが彼の心に干渉して快癒へと導く。しかし、それによってハーディングはアガサに執着するようになる。ハーディングの夫人ミリーは、夫の精神状態を正常にとどめるため、アガサに力を使いつづけるように懇願するが、アガサはしだいに恐怖が募ってくる。自分は完璧な水晶のようでいなければならないのだが、そこに瑕がつこうとしている。それは自分とロドニーとの関係も醜悪なものへと変えてしまう。このあたりの叙述が凄絶だ。暴力的な欲望がアガサの外から内から押し寄せ、ときにハーディングとロドニーとが二重写しになってしまう。



 以上紹介した以外にも、哀切な恋愛怪奇譚「形見の品」や、芸術家の精神/身体を独自の視点であつかった意識交換テーマの「ジョーンズのカルマ」など、都合11篇を収録。



(牧眞司)




『胸の火は消えず (創元推理文庫)』
著者:メイ・シンクレア
出版社:東京創元社
>>元の記事を見る



    前日のランキングへ

    ニュース設定