その「母親像」は目指さなくていい

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2014年04月11日 12:01  MAMApicks

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年度が変わった。小2になった息子の黄色い帽子は役割を終え、上級生と同じ色の帽子になった。ランドセルの黄色いカバーを外し、真新しい帽子をかぶった姿はなんだか立派になった気がする。

しかし、やっぱり日常は相変わらずだ。新学期が始まって間もない今朝も、「ほら、早くご飯食べ終わって!」「急げー!」……などいつも通り。代わり映えしないなぁ。



■絶対に埋まらない距離
私が小1だった頃、上級生がとても格好良く見えた。4年生の女子はなんだかおしゃれで別世界、6年生なんて大人みたいだ。あぁ、4年生になったら私もあんな感じになるんだなぁ……!

しかし、2年生になる頃、気付いてしまったのだ。あれ?そうか、このメンバーのまま2年生になるのか。もしかして、私はいつまでたってもあの格好いい4年生と同級生になれないの? 永遠に「あの4年生」にはなれないってわけ?

じゃぁ6年生になってもこのメンバーのまま? もしかして、ハタチになっても? なんだこれ、一緒じゃん、「大きくならない」んじゃん。

絶対的な年齢が上がっても、決して追いつかず埋まらない相対的な関係……あぁショック。気付いた瞬間に渡り廊下から見た風景を妙にはっきり覚えている。

■自分の母親=「母親像」を強く意識する
私が7年前に母親になった時、「母親像」としてイメージしたのは、やっぱり自分の母親だ。子どもの頃うれしかったこと、楽しかったことのいくつかは、自然と同じようにやっている。

一方で、自分が作った夕食を見ると、母はこうじゃなかったなぁ、私はかなり手抜きだよなぁと思うし、家の中でやたらイライラしていると、母はこんなにイラついていなかったなぁと思ったりもする。

本気で悩んだりはしないけれど、それでもふと、比較する瞬間がある。ささやかな劣等感を持つ。

それは、自分の母親の「仲間入り」をした、と思うからなのかもしれない。だから、「同じようにできなきゃ」と当然のように思い、強く意識する。

■「仲間入り」なんてしてない
ここに大きな間違いがある。
私は本当は、「仲間入り」なんてしていないのだ。

私が4年生になった時、やっぱりあのかっこいい4年生とは同級生になれなかった。現実は、同じ顔ぶれのまま、「相変わらずの私」が4年生にスライドしただけ。2年生になった息子も、帽子の色が変わっただけで「相変わらずのあなた」。

多くのことは、それまでの生活となだらかに続く延長線上にしかない。

「できた母」に見えたとしても、それは母親になる前からの彼女の生活の延長線上で、彼女なりの文脈で「普通のこと」をやっていただけ。

私も、私のそれまでの生活とひと続きの流れの中でしか母親にはなれない。子どもを産んだ途端に時空を超えて仲間入りするわけではない。

その「母親像」は「追いつく」種のものではないのだ。

それまでの人生も社会的背景もまったく違うのだから、自分の母とは違うスタイルでしか、「母である私」は成立しえない。そんなこと、すごく当たり前なようだけれど、意外と気付きにくい。

■勝手に「レジェンド化」しないこと
大正生まれの私の祖母が、生前、90を過ぎてからぽろりと話したことを時々思い出す。「○○ちゃんはね、蓄音機をかけておけばもう本当におとなしくしていてね……。そんなのであれしてちゃいけないかと思うんだけどもね……。」

後半のごにょごにょとした部分に、当時の「便利なもの」に子守りをさせて家事をする自分への迷いが見えた。

聞いた時、「え?」と思った。祖母の生きて来た時代の重さに対してそれはあまりにも些細なことに思えたからだ。

だって、祖母の子育て期は今の時代の私から見れば正に「レジェンド」的なのだ。子どもが幼いうちに戦争が始まり、戦時下の東京で子どもたちを育て、東京大空襲を子連れ・身重で生き延び、その数日後に母を産み、戦後の混乱期を迎え……。

そんなすごい人が、そんな小さなことを気にしていたの? そのギャップに、拍子抜けして不思議な気分だった。

でも、今はちょっとわかる。どんな子育ても「レジェンド」なんかじゃなく、その人がその人の置かれた状況のなかで、普通にやっているだけ。今の時代の母たちが、「テレビに頼るって……」と迷うのと同じことを祖母だって感じていたことに、むしろほっとする。

同世代でも「すごい母」の記事を読めば、かっこいいなー、私にはできないだろうなぁー、と遠く感じる。でも、その人が特別に「レジェンド」的存在なのではなく、その人の文脈で普通に生きていたらそうなっただけ、なはずだ。

私は私で、現在進行形の自分の延長で「母親」になるしかない。というより、もうすでに、「母親」になっちゃっているんだなぁ。少なくとも子どもからみれば、「まだまだだなぁ……」なんて思っている私そのものが、すでに「母親像」なわけだ。

子どもにしてみれば、「もっとましな母」を目指して自分にイライラしているよりは、できる範囲でこなしてケラケラ笑っている方がよっぽどいいよね。

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50年後の親たちも、やっぱり子育てを上の世代と比べて悩んだりするのかもしれない。きっと、「やっぱり子守りロボットに頼りすぎちゃまずいんだろうな……」とか思っている頃?

狩野さやか
ウェブデザイナー、イラストレーター。企業や個人のサイト制作を幅広く手がける。子育てがきっかけで、子どもの発達や技能の獲得について強い興味を持ち、活動の場を広げつつある。2006年生まれの息子と夫の3人家族で東京に暮らす。リトミック研究センター認定指導者。

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