悲惨な事故も 介護疲れを軽減するには

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2014年05月04日 15:10  JIJICO

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超高齢社会の日本で、介護疲れが悲惨な事故の引き金に


高齢化率が21パーセントを超え「超高齢社会」となった日本。平均寿命も女性は世界1位で、男性も世界5位という長寿社会です(いずれも2012年実績)。医療技術が発達し、平均寿命が延びることは喜ばしいことです。しかし、そのような中、親族による介護が極限に達し、介護疲れが原因となって、当事者の生命に影響を及ぼす悲惨な事故が問題となっています。


例えば、親の認知症が始まり足腰が弱くなってくると、「うちの親もついに介護が必用になったか」と思うのは自然の成り行きでしょう。ところが、具体的な介護の在り方については見解が様々にわかれます。「全く関わらない」「施設に入れるべきだ」「週に1度ならお世話ができる」「親族でローテーションを決めよう」「私が責任をもってする」など、親族間で隔たりが生じるのも現状です。また、この隔たりが埋まることなく、特定の親族だけが介護をするという実態も存在します。


介護疲れは、過剰な介護から開放されない親族の疲労が極限にいたるところから始まります。親族自身も心身の疲れを感じ、いつまで介護をすれば良いのかといった不安な気持ちや、介護に対する責任感が入り混じり、悲惨な事故の引き金となります。


遺言と同様に、介護についても元気なうちに意思表示すべき


介護される本人は、どのように感じているのでしょうか?自分の身内に介護をされたいと思っているのか。それとも施設入所やホームヘルパーによる介護などの社会的介護を望んでいるのか。


受験の失敗、友人を失う、失恋、失業、、離婚、病気。人は生きていく中で様々な障壁を経験します。場合によっては周りからのサポートがあって乗り越えることができたのかもしれません。しかし、どのようなサポートがあったとしても、これらの問題は、本人の問題です。心身の衰えが始まることによる要介護状態も人生の中での障壁の一つであるならば、介護についても本人がどうしてほしいのかが重要でしょう。


死後の財産に関しては、遺言という形で本人の意思が反映されるシステムがあります。臓器提供のように、生前からの意思表示が大きな役割を果たすケースもあります。同様に介護についても本人の元気なうちに将来どのような介護をしてほしいかの意思表示をして、それが尊重されるべきではないでしょうか。本人の意思に親族が応えられるかどうかは別にして、それを知ることによって、親族の介護に関するスタンスや、思い込みに近い考え方が変わるのであれば、介護疲れによる悲惨な事故も少しは防げるのではないかと考えます。



(中原 崇・社会福祉士)

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