「すみません」より「ありがとう」 ―― 迷惑に過敏になりすぎていないか?

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2014年06月18日 10:01  MAMApicks

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言葉を覚えたての息子は、「ありがとう」ブームだ。
なんでも「ありがとう」。気持ちがこもっていない。たぶん、意味はわかっていない。

りんごをもらったら「ありがと」
ギャン泣きした病院の診察の後でも「ありがと」
しまいには、人におもちゃを渡しても「ありがと」これは……。
私が「蟻がいるね」といっても、「ありがと」これは空耳?

それでも、まわりの大人たちは、一気に微笑んでしまう。

かたや、大人の私。
席を譲ってもらうなど、助けてもらった時に、「すみません」とばかり言ってしまう。

ベビーカーでスーパーに行き、狭い通路を譲ってもらったら「すみません」
陳列棚を少しずらした後始末で戻してくれたら「すみません」
レジの後、店員さんに袋詰めの台までかごを運んでもらっても「すみません」

あまりに言い過ぎて、潜在意識で「育児しててすみません」という気持ちになっていく。
そして、世間では「ご心配をおかけしてすみません」という言葉が踊る。

いや、待てよ。
子どもが教えてくれた「ありがとう」の言葉の威力を思い出しながら、振り返る。

―― 席を譲ってもらった。自然と口からでた言葉は、「すみません」。
―― 席を譲った。申し訳なさそうに、「すみません」と言われた。

席を譲る心配りは、好意からの気持ちだ。でも、善意からの行為も「すみません」の言葉で迷惑にすり替わる。

迷惑をかけないように、と教えられてきた。迷惑に過敏になりすぎている?
<好意をありがたく受け入れる>のでなく、<席を譲るという迷惑を与えてしまった>という「すみません」。

迷惑をかけずに生きていくのは、子育てをしていてとくに難しく感じる。
外に出れば、迷惑のかけっぱなしだ。

でも、自分が迷惑をかけていると思っていることでも、相手にとってみれば好意なことはたくさんある。

好意に敏感でいたい。子育てを助けてくれた相手は、申し訳なさそうに「すみません」と言われるより、微笑んで「ありがとう」と言われたほうが断然気持ちがよいはずだ。

無理する必要はないが、席を変わってもらう必要がなくても、「ありがとう」と席を譲ってもらおうと思う。意を決して譲ったときに、「すぐに降りるので……」などと断られると、やはり次に譲る意欲がなくなりがちだ。もしかしたら、次に譲られたかもしれない、本当に困っている人たちの機会を摘んでいるかも?

人から助けられたときは「ありがとう」。親として見本を示していきたい。
我が子の世代には「すみません」ではなく「ありがとう」が飛び交っている世界になるといいなと願って。

福井 万里
大学卒業後、大手システムインテグレータでSEとして10年間勤務も、東日本大震災を機に、本当にやりたいこと(書くこと)を生きがいにと決意し退職。2012年に結婚&長男を出産するも2013年に離婚、シングルマザーに。ライターとして活動を開始。

このニュースに関するつぶやき

  • 人に迷惑をかけたと思っても、相手にはそうでもない事がある。勿論、逆の場合も。人は独りでは生きてゆけない!「おんぶに抱っこ」では困るけれど、受けた親切に感謝して「今度は自分も!」と前向きなれるといいね♪
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