大学の国際化を「スーパー」にするための2つの条件とは? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

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2014年09月29日 11:41  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

 最初にお断りしておきますが、私は大学教育の改革は待ったなしの課題だと思います。


 国際化、能力別指導、機会均等など、現在の教育に欠落している部分を、制度として、また指導法のメソッドとして構築することは急がなくてはなりません。


 しかし現在の日本では、こうした問題に関して、論争が深刻な「ねじれ」の状態にあります。つまり国際協調的なリベラルの側は改革に対して抵抗勢力であって、改革に熱心な側は下手をすると日本を孤立に追い込むような保守カルチャーを背景にしているというわけです。これこそ「ねじれ」であって、大変に困った状況だと思います。


 私は国際協調主義かつ改革を志向すべきと思うので、かなり孤立した立場になります。ですが、改革がここまで遅れている以上は、とにかく実務的には改革の動きを支持し、その一方で国際協調主義は守るという立場を取りたいと思います。


 ですから、以下の提言は「安倍教育改革」なり下村大臣率いる文科省へのイデオロギー的批判ではありません。改革を肯定する立場からの実務的な提言として、受けとめていただければと思います。


 今回「スーパーグローバル大学等事業」が発表されました。これには反対はしません。まがりなりにも、全国の主要大学に国際化を促すうえで、明確に予算措置がされたことは一歩前進だからです。ネーミングについても、この際センスがどうこうと言うのは止めておきます。


 ですが、とにかく大学の国際化を進めるのであれば、そしてカタカナ日本語として強い修飾語である「スーパー」を名乗るのであれば、どうしても外せない問題が2点あることだけは指摘したいと思います。


 一つは、短期留学をさせるのであれば「留学先の単位を取って来させる」ということです。残念ではありますが、現在の文科省の諸事業、そして各大学の留学事業を見ていますと、「単位は取ってこなくていい」とか「取ってきた単位は上限までであれば随意科目として単位認定する」というような甘い運用になっているケースが大部分です。これでは、留学先での学業は真剣勝負になりません。


 とにかく基幹の科目、例えば経済原論ならマクロ、ミクロの基礎科目(101や102)、工学なら例えば「バイオ・ケミカル・エンジニアリング(生化学工学)」の101や102など、それぞれの専門分野の核になる部分の単位を留学先で取ってくる、そうでなくては国際経験を生かすことは出来ないと思います。


 例えばアメリカの名門大学の場合は、ノーベル賞受賞者などのスター教授がこうした「入門編」を担当し、週3コマのうち1つを担当、残りの2コマは助教などによる少人数の演習や討論などで授業を構成しています。


 こうした場で真剣に討論や演習に参加して単位を取ってくること、さらにそうした「最先端」のカリキュラムと、帰国後の日本のカリキュラムの「接続」を考えて行かなくては、交換留学の意味は非常に薄くなると思います。


 もう一つは、国外からの留学生の受け入れです。せっかく留学生を受け入れても、かならず「別科」に押し込んで、日本語の語学教育に加えて英語での授業を行う、ただしそこには日本人の「普通に受験して学部学科に属している」学生は出席しないという制度を取っているのが現在の日本の大学です。


 もちろん、その「別科」を担当する中で留学生に日本の文化や社会を深く理解させるような良心的な教育を行っている研究者の方々もいるでしょう。ですが、別科はあくまで別科であり、要するに「出島」なのです。つまり、本体の鎖国を続けるために、留学生を別科に押し込めているというのが、辛口な言い方になりますが実態です。


 これでは、「本体」の国際化は進みません。多くの大学が英語で授業をするコースを作っていて、将来的にはなかなか進まない国際化の突破口にする意図はあるのかもしれませんが、現時点では別科の一種であると言われてもしかたがないと思われる企画がゴロゴロしています。


 例えば、現時点では東京大学で「英語で学士号の取れる」コースというのは、「アジアの中の日本」専攻と、「環境科学」専攻と、「化学の国際コース」だけです。つまり国際化というのは、この3コースの出島に限られてしまっているわけです。その他の分野は、例えばアメリカ政治にしても、英文学にしても、英語では単位は取れません。


 とにかく、「本体」の多くで英語の授業が行われ、同時に「日本語が第二言語の学生」が幅広く日本語の専門科目を取れるような両方の努力がされ、出島だけでなく本体も国際化しなければならないと思います。


 様々な文化圏から来た学生と日本人学生が、ディスカッションを通じて相互に刺激を与える、つまり全ての教室が異文化交流、あるいは複数の価値観の交錯する「白熱教室」になることで、初めて、その大学は国際化したと言えるし、真の国際人を輩出することができるのだと思います。


 いずれにしても、留学したら自分の専門分野の基幹科目で真剣勝負をして単位を取って来させること、留学生を別科という出島に押し込めないこと、最低限この2つを方向性として持たなくては、やはり「スーパー」とは言えないのではないでしょうか。




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