オーケストラ公演中の「抗議行動」が成功した理由とは? - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

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2014年10月07日 14:51  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

 ミズーリ州セントルイス郊外のファーガソン市では、8月9日にマイケル・ブラウン氏という18歳の黒人青年が、武装していなかったにも関わらず警官に射殺されて以来、その事件の処理をめぐってある種の「人種間対立」のような状況が発生していました。市民は何度も抗議行動をおこない、警察は当初デモに対して強硬姿勢でのぞんだために大きな批判を浴びました。


 そんな中、オバマ政権はホルダー司法長官を現地に派遣したり、様々な努力をしたりしていますが、そのホルダー司法長官は最近になって辞任を表明しています。その背景にはこの事件の処理を「黒人司法長官」が担当することで問題が「こじれる」ことへの懸念があるとか、だから、ここで辞めて最高裁判事に横滑りするのではないかとか、色々なことが言われています。


 ブラウン氏を射殺した警官は、当初は全く捜査対象にならず身を隠していましたが、ここへ来て捜査に協力したり、家族に謝罪したりと低姿勢になってきています。警官の起訴をどうするかは大陪審に委ねられていますが、その大陪審は決定に苦慮しているので、時間がどんどん経過して難しい事態になっています。


 そんな中、10月4日の土曜日にそのセントルイスが誇るオーケストラ「セントルイス交響楽団」の公演で、ちょっとした、いやかなり大掛かりなハプニングが起きました。


 この日のプログラムは、ブラームスの声楽曲特集で、前半が『四つの厳粛な歌』(デトレフ・グラナート編曲のオーケストラ版)で、指揮はドイツのマークース・ステンツでした。このプログラムの目玉は、休憩後の『ドイツ・レクイエム』で、クラシックの世界では俗に「四大レクイエム(他にモーツァルト、フォーレ、ベルディ)」の一つと言われる人気曲です。


 通常は、ラテン語の歌詞で歌われる「死者のためのミサ曲」ですが、このブラームスの作品はドイツ語であるだけでなく、非常にロマンチックな歌謡性がたっぷり入った曲であり、身近な人の死を経験した人間には、特に心にしみる傑作であるのは間違いありません。


 その『ドイツ・レクイエム』の演奏を開始しようとマエストロのステンツが指揮棒を振り下ろそうとしたまさに瞬間に、観客の一人が立ち上がって別の「レクイエム」を歌い始めました。やがて、二階席の人間も、そして歌が進行するにつれて、どんどん人が立ち上がっていき、総勢50名弱の人がこの「別のレクイエム」に参加したのです。


 歌詞は「あなたは、一体どちらの側に立つのか?」で始まる、人種差別への抗議の歌であり、何よりも射殺されたマイケル・ブラウン氏への「レクイエム」になっていました。やがて、二階席からは「マイケル・ブラウン(1996−2014)」であるとか、セントルイスの遠景のイラストに「ここにはまだ人種差別がある」と書かれたものなど、4つの幕が掲げられました。


 さらに参加者たちは、二階席から一階席へと「ビラ」を撒いたのです。そのビラは激しい政治的な言葉ではなく、単純に「マイケル・ブラウンへのレクイエム」として、ブラウン氏の生年月日と死去した日が書かれていました。それは、ハートの形をしており、ビラというより、カードと言った方が良いのかもしれません。


 パフォーマンスは、ものすごく上手であったわけではありませんが、参加者によれば全体のリハーサルを三回やったというだけあって、私が動画サイトで確認した範囲では、まずまずのものだったようです。


 中には怒って退場した人もいたようですが、多くの観客は戸惑いながらも、このハプニングを見届け、パフォーマンスが終わると拍手している人もいました。またマエストロをはじめとするオーケストラの楽員たちも、弦楽器の奏者などは慣例に従って弓を叩いて拍手し、このパフォーマンスへの賛同を表明していました。


 50人前後という参加者は全員がちゃんとチケットを購入しており、臨時のパフォーマンスを終えると整然と退場していったそうです。オーケストラは、その公式ブログで「この事件には戸惑った人も怒った人もいるかもしれないが、ブラームスがこの曲に託した人類愛の精神に沿うもの」だとして、理解を示しています。


 オーケストラの広報は「ただ、参加者がそのまま会場に残って、ブラームスの『ドイツ・レクイエム』を聞いてくれれば良かったです。この作品は、親しい人間の死を経験した人を慰めてくれるからです」というコメントを発表していますが、とにかくマエストロも楽員も「公認」した以上、そして全てが整然と行われた以上、この「ハプニング的な抗議行動」は成功したと言えるでしょう。結果的に大変に例外的な行動ではありますが、警察沙汰にはなっていません。


 知的なクラシック音楽の世界の、あるいは「例外的な事態」が好きなアメリカ人らしい特別なエピソード、そのような特別な話に聞こえるかもしれません。ですが、この時期にセントルイスで「レクイエム」の公演があるということを聞きつけて、「今、自分たちが悼むべき死者は、ブラウン氏ではないのか」と思いついた、この人々の発想は、私は自然なものだと思います。この行動を成功に導いたのは、その発想の自然さであったのではないでしょうか。




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  • 指揮者やオケ、聴衆は大人の対応をしただけ。しかもパフォーマンスを行った者達はこのオケの公演そのものに価値を認めてないじゃないか。
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