【1950年代の日本と韓国】赤裸々な日常をカラーで見ると…

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2014年12月27日 12:52  gooランキング

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【1950年代の日本と韓国】赤裸々な日常をカラーで見ると…

どうも、服部です。今回もまた昭和前半の貴重なカラー映像(一部モノクロ)を見つけたので紹介していきたいと思います。この動画を公開しているcecilcountyさんによると、アメリカ合衆国メリーランド州セシル郡の朝鮮戦争復員軍人の所蔵8ミリビデオをデジタル化したものだそうです。ナレーションや現地の音声はなく、BGMが挿入されています。

1950年代ということで、昭和でいうと昭和25年から34年までのことですが、映像内容からして昭和20年代かと思われます。

この記事の完全版 (画像23点、動画1点)はこちら

まずはモノクロ映像です。韓国と思われる光景が映し出されています。通り過ぎていく女性の後ろには、すべては読めないですが、英語で書かれている看板があります(SECURITYと書いてある部分はわかります)。

凍った川の上で板に乗って遊ぶ子供たち。寒そうですが、楽しそうです。

韓国の民族衣装であるチマチョゴリを着た女性が風呂敷包みのようなものを持って足早に通り過ぎていきます。



場面は変わって、ここからカラー映像になります。和服を着た女性が映っているので日本のようです。

車が走ってきます。結構鮮明な映像です。

傘をさして歩く和服の女性。カメラの存在に気付いたのか、とっさに傘で顔を隠します。

若い女性が映し出されています。何やら言っているようですが、残念ながら音声はありません。撮影者を手招きしている女性。口の動きから「カモーン」と言っているようです。アサヒビール(ASAHI BEER)の看板も見えます。どうやら外国人向けの飲み屋街で撮影していたようです。朝鮮戦争での米軍の主な出撃地は、地理的に朝鮮半島に近い佐世保港や博多港、門司港など九州に多かったので、その辺りでしょうか。



再びチマチョゴリ姿が登場。韓国に戻ってきたようです。スカート姿の女の子2人が激しく踊っています。伴奏する子供たちもいるようです。そして、米軍兵と記念撮影。動画の公開者によると、この子供たちはアメリカ軍に保護された朝鮮戦争による孤児のようで、米軍が孤児院を改装してくれたことへの感謝として踊りを披露したのだそうです。いいお話です。ちなみに朝鮮戦争は1950年(昭和25年)6月に始まり、1953年の7月に休戦協定が結ばれています。

丘で遊ぶ子供たち。以前も書きましたが、昔の子供は弟や妹たちの面倒をよく見ていますよね。最近では見ることはほとんどありませんが、こうしておんぶしている場面が何度も登場します。



再び日本のようです。リヤカーを押した男性が映し出されています。背後には軍用ジープのような車も見えます。さらにその後ろには路面電車が走っています。

映画館らしき前の人混みです。これだけの情報では、どこなのかわかりかねます。背丈ほどもありそうな大荷物を背負っている男性がいます。

大きい鳥居の手前で道路工事が施されています。その工事で出たと思われる土砂を天秤で運んでいます。現代の工事作業と比較すると、気が遠くなるような手間です。

道路を走るオート三輪とその後ろの「ミルク コーヒー」の看板が、とてもノスタルジックです。(※冒頭の画像)

看板を持って周回している人たち。何かの宣伝でしょうか。交通量が多い通りを、なんと荷馬車が移動しています。こんな都市部を荷馬車が通っていたとは衝撃的です。

店頭にミカンやリンゴが積まれた果物屋さん。ここだけ見ると、現在のお店とさほど変わらないような気もします。



最後に再び激しく踊る女の子たちが映し出されます。ダンスの内容から、前半に出てきた韓国の孤児院のように思われます。そして、この動画は終了します。

【動画】South Korea and Japan in the 1950's - 8mm Home Videos

いかがでしたか? アメリカ軍兵士を通して見た1950年代の日本と韓国。韓国については、ほぼ孤児たちの生活の映像だけとなりますが、朝鮮戦争の特需もあり復興を着々とこなしている日本と、朝鮮戦争の犠牲になった韓国の子供たちとの対比が、歴史の残酷さを物語っているように思えました。また歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)



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