ISが引き裂くエジプトと湾岸諸国 - 酒井啓子 中東徒然日記

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2015年02月27日 13:11  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

 ヨルダンは、人質にされたパイロットを「イスラーム国」組織(以下ISと略)に焼き殺されて以降、怒り心頭で積極的に対IS攻撃に取り組み始めた、と前回のコラムで指摘した。それに続いて先週は、エジプトがブチ切れた。


 2月15日、キリスト教徒のエジプト人21人がリビアで、ISに拉致され殺害された。ネットにアップされた同胞の無残な姿はエジプト人の国民感情を刺激、翌日16日にはエジプト軍が、ベンガジ東部の海岸の街ダルナに拠点を置く武装集団に空爆を行った。リビアには数十万人のエジプト人が出稼ぎなどで滞在しており、自国民の保護のためには単独でも報復が必要と考えたからだ。


 このことが、今大きな波紋を呼んでいる。まず第一に、欧米諸国やアルジェリア、チュニジアなどの近隣国が、リビアの混乱状態に必要なことはまず政治解決、と考えてきたのに、エジプトが後先考えなしに攻撃したこと。第二に、攻撃を巡ってアラブ諸国が真っ二つに、というよりエジプトが他のアラブ諸国から孤立して、対IS戦線が混乱をきたしていることだ。


 2011年にカダフィ政権が崩壊して以降、リビアでは各派入り乱れての内戦状態となってきたが、シリアほどに国際社会の注目を浴びてこなかった。ただ、シリア同様に、域内諸国は何らかの形でリビア内戦に関与しており、代理戦争化していた。トルコとカタールがイスラーム系の諸組織を支援し、エジプトとUAEは非イスラーム主義系を支援していた、と言われる。よって、エジプト軍によるリビア空爆には、カタールが賛成しなかった。


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 そこにエジプトが、カチンときた。カタールといえば、ムバーラク政権転覆以降、2012年から一年間、エジプトの政権を担ったムスリム同胞団を支援していたことがよく知られている。現在のエジプトのスィースィー政権は、その同胞団政権を2013年に打倒して成立した政権だ。以来、カタールとスィースィー政権下のエジプトは冷戦状態にあり、昨年秋にカタールが自国に亡命していた同胞団員を追放し、年末にはサウディアラビアの仲介でようやく関係改善にこぎつけたところだった。にもかかわらず、カタールは再びエジプトの行動にいちゃもんをつけた。対してエジプト政府は、「カタールはテロリストを支援している」と糾弾、今度はカタールがエジプトから大使を引き揚げるまでに発展した。


 カタールとの不協和音程度であれば、さほど深刻ではない。だが、今回エジプトが衝撃を受けたのは、同じくカタールの同胞団支援を嫌い、エジプトの軍事政権を支えてきたはずのサウディアラビアなど、他のGCC(湾岸協力機構)諸国の姿勢だ。GCC諸国はカタールを擁護して、エジプトの行動を諌める態度を取った。GCCはその後改めて「エジプトを全面的に支持する」と表明したが、亀裂は根深い。サウディアラビアやUAEからの財政支援でもっているエジプト経済だが、昨年後半の半年間、湾岸産油国からの支援は一昨年から比べてわずか2%に減ってしまったと、エジプト財務省は指摘している。


 アメリカに対するエジプトの不満も大きい。ヨルダン人パイロットの殺害事件に比べれば、欧米諸国からのエジプトへの同情は少なく、むしろエジプトの報復攻撃に対して、米国防総省は「事前に聞いていない」と突き放した。米政府は同胞団政権を事実上のクーデタで倒したスィースィー政権に最初から懐疑的だったし、同政権がジャズィーラ衛星放送の記者など、報道関係者を逮捕、拘束したことも、表現、報道の自由の侵害だとして批判的だったのだ。


 アメリカに頼れないと考えたエジプトはロシアとの関係を強め、2月10日にはプーチン大統領がカイロを訪れた。ロシアだけではない、フランスからも戦闘機の購入を決めている。イスラエルの現地紙は、エジプトを疑心暗鬼にさせるこの周辺国動向を、「アメリカと西欧諸国、カタールとトルコが、ムスリム同胞団を支持することで一致するシュールな同盟」と表現した。


 ところで、このエジプトと湾岸産油国との不協和音をどう理解すべきなのだろうか。対米同盟国間の不和なのか、スンナ派諸国間の亀裂なのか。パトロンに見捨てられかけた援助依存国のあがきなのか、それともかつての「アラブの盟主」、アラブの「心臓」部にあたる国による産油国へのリベンジなのか。


 シリア政治の専門家、青山弘之氏は、近著でシリアやイラク、エジプトなど歴史的にアラブ地域の思想的、文化的中心だった国々を「アラブの心臓」と呼び、その心臓が今戦争と混乱と破綻に見舞われている、と指摘している(「アラブの心臓に何が起きているのか」(岩波書店))。60年代まで知的繁栄を享受してきた「アラブの心臓」諸国が衰退するなかで、アラブ諸国の政治経済の中心は、サウディアラビアなどの湾岸産油国に移っていった。


 現在ISが刃を突きつけているのは、その「心臓」部である。なのに、「心臓」に代わってアラブのリーダーシップを担った湾岸産油国は、「心臓」部の混乱に中途半端に介入したり不用意に反政府運動を煽ったり、はた迷惑なことばかりしてくれる。


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 「カネ」づるの縁で産油国に従属してきた没落「心臓」部が、産油国に振り回されることの危険を自覚したのが、今のエジプトと湾岸諸国の不協和音なのかもしれない。湾岸諸国に財政的に依存することが、ひいては自国にイスラーム主義の浸透を招く。同胞団政権を徹底的に嫌うスィースィー政権は、まずはカタールとトルコを目の敵にしたが、リビアへの対応を巡ってその対象は湾岸諸国全体に広がりつつある。


 かつては世俗的アラブ・ナショナリズムの雄として、アラブの盟主を誇ったエジプト。半世紀前、アラビア半島の保守的君主国は、エジプトから流れ込んでくる最先端の思想に常にびくびくしてきた。なのに今や、湾岸諸国の支援するイスラーム主義によってエジプトが危険にさらされている。再びエジプトは、「心臓」の中枢たるべく自らのプライドをかけた戦いを単独でも遂行する国になりえるのか。それとも、ただの自分勝手な行動と、アラブ諸国の足並みを乱すだけに終わるのだろうか。


 ISの存在は、アラブ諸国の域内同盟関係自体を、根幹から揺るがしている。




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