【今週はこれを読め! エンタメ編】殺人犯をめぐる三人の女の物語〜窪美澄『さよなら、ニルヴァーナ』

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2015年07月01日 19:22  BOOK STAND

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『さよなら、ニルヴァーナ』窪 美澄 文藝春秋
今月一冊の本が出版された。著者は元少年A。神戸連続児童殺傷事件の犯人である「酒鬼薔薇聖斗」によって書かれたものだ。出版直後からたいへんな話題となっており、売り上げも好調だという。一般的な見解としては、被害者家族の感情を逆撫でするものとしてこの本の内容や出版されたことそのものに対して不快感を示す意見と、いかなる場合でも言論の自由は守られるべきであるからどのような内容であっても出版自体を責めるべきではないという意見の、二種類の主張が概ね主流だと思われる。言論の自由が侵害されてはならないという意見には私も異論はない。だが、もし元少年Aがほんとうに反省していて遺族の方々に心から謝罪したいという気持ちがあるのなら、こんな形で本を出版する必要はなかったと思う。売名あるいはお金のためにやったことと思われてもしかたのない行為だろう。正直な話、私もあのような事件を起こした人間の心理にまったく興味がないわけではないのだが、彼の行動を容認したり売り上げに貢献したりしたくないので、本を手に取ることもましてや買うこともしないつもりだ。

 元少年Aの手記に先んじること10日ほど、窪美澄が新刊を出した。いわゆる「酒鬼薔薇聖斗」にインスパイアされたと思われるキャラクターを生み出し、彼と彼を取り巻く3人の女性を語り手とした作品である。女性のひとりは、作家になる夢をあきらめ実家に戻ってきた30半ばの女。もうひとりは、幼女殺人犯を神のように崇めストーカーのように彼の生い立ちや足取りを追う女子大生。最後のひとりは、幼女殺人犯に娘を殺された母親だ。

 凶悪犯やカルトに傾倒する気持ちを全否定するつもりはない。本で読んだり映画で観たりする分にはほとんど抵抗もないというのが、実際のところだ。だがそれはあくまでも架空の物語に関してであり、現実の社会で犯人を英雄視する気持ちはわからない。特に理解に苦しむのが凶悪犯と獄中結婚をするような人だ。冤罪の可能性がある相手とならともかく、例えば対外的にはほぼまったく反省の色を見せることのなかった附属池田小事件の犯人・宅間守と獄中結婚した女性などは「自分の愛情でこの人を立ち直らせたい」と思っての行動だったのだろうか。

 幼女殺人犯に対してストーカー的行動をとる女子大生・莢、さらには作家になる夢破れた女・今日子のふたりは宅間の獄中結婚相手に近いタイプかと思う。15年前に7歳の少女の首を絞めて殺害した後切断し教会の門の前に置いた理由を「神さまにそうしろと言われたから」と語った殺人犯は、「ハルノブ様」と呼ばれいまだに根強い崇拝者を魅了する存在だ。阪神淡路大震災で父親を亡くした後母親とふたり暮らしだった莢は「ハルノブ様」のファンサイト管理人で、彼を信奉し続けている。一方、今日子は「最後に一回だけ」と心に決めて応募した文学賞が最終選考止まりだったのを最後に実家に戻ったが、体調を崩した母と第2子妊娠中のつわりに苦しむ妹にいいように使われる生活に倦み、急速に「ハルノブ様」に傾倒していく。衝撃的なのは、莢と「ハルノブ様」に娘を殺された母親・なっちゃんが出会ってしまうことだ。お互いの立場を知りながらも、交流を深めていくふたり。温かいものであるはずの心の結びつきがかえって人を傷つけることがあるのだと思い知らされる。

 おそらくこの小説は、神戸連続児童殺傷事件ならびに同じような事件の関係者一同に歓迎されはしないだろう。特に被害者家族にとって、加害者を美化(が言い過ぎだとすれば正当化)しているともとれる描写には拒否反応があるのではないか。これについては著者の窪さんご本人もインタビューで答えておられるし(小学館のPR誌「きらら」7月号)、作中で今日子の口から同様のことを語らせてもいるのだが、被害者家族のつらさを「わかっていても書きたい気持ちが勝ってしまったのは、自分の中にも悪魔がいる」からで「重い荷物を背負っているような」お気持ちだったそうだ。

 想像したくもないことだが、もし自分の息子が誰かの手にかけられるようなことがあったらと思えば、私は決して「酒鬼薔薇聖斗」や類似の犯罪を犯した加害者たちを擁護する気にはなれない。だがしかし、自分が加害側に回る可能性を考えた瞬間、状況は一変するだろう。もし自分の息子が彼らと同じように残忍な方法で他人を殺めてしまったとしたら。被害者が亡くなっているにもかかわらず、自分の息子の命は助かってほしいと願ってしまうのではないか。「ハルノブ様」の場合は精神的にもろい母親の元でカルト教団に身を寄せたりしながら暮らしていたことが人格形成の際の大きな欠陥につながったと示唆されているし、「酒鬼薔薇聖斗」の場合は「勉強しろ」という親からの激しいプレッシャーがあったことが取り沙汰されたと記憶している。しかし、「ハルノブ様」の母親だって子どものためによかれと思って行動していたと思うし、「酒鬼薔薇聖斗」の親ほど極端ではないにしろ「勉強しろ」とプレッシャーをかける保護者は現実にもたくさんいるだろう。どれだけ考えてみたところで、"こうすれば子どもはまっすぐ育つ"という正解はきっとないのだ。だとすれば。結局のところ、我が子が殺人犯になるかならないかは運なのだろうか。自分の子どもが人を殺したり人から殺されたりしないようにするために、親はただ祈ることしかできないのか。その祈りを聞いてくれるのは、「ハルノブ様」に語りかけたのと同じ神さまだろうか。

(松井ゆかり)


『さよなら、ニルヴァーナ』
著者:窪 美澄
出版社:文藝春秋
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