バルト海に迫る新たな冷戦

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2015年08月04日 18:21  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

 NATO(北大西洋条約機構)は先月、2週間にわたりバルト海で合同軍事演習を行った。その3日目の午前10時、デンマーク海軍のラッセ・ジェンセン上級曹長は予期していたロシアのスパイ機の侵入を探知した。


 デンマーク東部の島ボルンホルムにあるレーダー基地に所属しているジェンセンはすぐに、コンピュータースクリーン3台を見詰めながらスパイ機の動きを追った。「狭い海域に多くの戦艦が集まれば、ロシア軍が何らかの偵察に来ることが予想される。それがもう普通だ」と、彼は語った。


 バルト海での軍事演習は毎年恒例だが、今年は特にNATO軍の強さを大々的に誇示する演習が展開された。バルト海に接するロシアの飛び地カリーニングラードからわずか100キロの地点に、17カ国から軍艦49隻と兵士5900人が集結して演習を行った。


 ロシアも負けじとばかりに「応戦」した。演習に参加していた米艦隊から約1.6キロの地点までロシア船が接近。演習の最中に上空を飛んできたロシア軍機を、NATOのジェット機が慌てて避ける場面も何度かあった。


 だがロシアによるこうした牽制行為も、ジェンセンが1年前に目にしたものに比べればかわいいものだ。彼は昨年6月、ロシアの爆撃機2機と戦闘機4機が戦闘隊形でレーダー基地に迫ってくるのを見た。


「おそらくこの基地を攻撃するシミュレーションだったのだろう」と、ジェンセンは言う。「あの飛行ルートで標的になり得たのは私たちだけだ」


 その後、デンマーク軍がこの事件について公表すると、大きな騒ぎになった。ロシア軍機が迫ってきたタイミングが、ちょうどボルンホルムで毎年行われている「政治フェスティバル」の開催中だったためだ。ボルンホルム島には当時、ヘレ・トーニングシュミット首相をはじめとする政治家、ジャーナリスト、市民ら約9万人が集まっていた。


真っ先に標的にされる島


 ロシア軍機の接近が意図的な脅しだったのか、単なる偶然だったのかは分からない。ただ、これに似た危ない飛行(明らかな領空侵犯もある)や軍艦の航行が増えているのは確かであり、デンマークやスウェーデンなど北欧諸国のロシアに対する警戒感は冷戦以降で最高レベルに達している。


 欧州政策分析センター(CEPA)が先月公表したバルト海の安全保障に関する報告書「迫り来る嵐」によれば、ロシアは3月、兵士3万3000人を動員して大胆な軍事演習を行ったという。


「彼らのシナリオは、ノルウェー北部、(フィンランド領)オーランド諸島、スウェーデンのゴトランド島、デンマークのボルンホルム島を迅速に掌握することだった」と、報告書は指摘している。その作戦が「成功して、これらの領土がロシアの支配下に入ったら、NATOがバルト海沿岸諸国の軍備増強を図るのはほぼ不可能になる」。


 デンマークにとってボルンホルムは、昔から前線基地の島だ。ジェンセンの上官マックス・エレガード・ハンセンによると、欧州との戦争を想定したソ連の機密計画では、この島のレーダー基地は真っ先に狙われる標的の1つにされていた。


「われわれの基地は戦術核兵器を落とされる計画になっていた。最初にすべきは敵の『目』をつぶすこと。ここは東側諸国を見張る目だったから、狙われて当然だろう」と、ハンセンは言う。わずか6年前にはロシアも軍事演習に加わっており、この島でロシア将校とウオツカを飲み交わしたというのに、大きな様変わりだと、ハンセンは笑った。


 ロシアによる3月の大規模軍事演習から間もなく、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランドは防衛協定を強化。ロシアによるクリミア併合やウクライナ介入を引き合いに、「政治的目標を達成するためなら国際法に違反してでも軍事力を使う」ロシア政府を非難する共同声明も発表した。


 しかしCEPAの報告書は、北欧諸国やバルト海沿岸諸国がロシアの脅威に対して無防備な状態だと指摘する。「地域の安全保障が改善されなければ、世界で最も成功している軍事同盟であるNATOが無力だと証明されかねない」


 北欧諸国も軍事費を増大させてはいる。スウェーデン政府は今年、16〜20年の間に軍事予算を12億ドル増やすことを決めた。ノルウェーの今年の軍事費も昨年比で3.5%の上昇だ。


 5月に発足したフィンランドの新政権は、年々減少している軍事費(今年は約30億ドル)を増大に転じさせる見込みだ。フィンランドとスウェーデンはまた、長年の中立政策を捨ててNATOに加盟することも検討している。だがCEPAが指摘するように、加盟には少なくとも18カ月かかるだろう。


膨大な軍事費が無駄に


 CEPAの報告書が最大の問題点として論じたのは、9カ国(デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、スウェーデン、エストニア、ラトビア、ポーランド)の防衛戦略がばらばらであることだ。これらの国々の軍事費を合わせると330億ドル。適切に使われればロシアの脅威を回避するのに十分な額だが、現実はそうなっていない。


 9カ国は「同じ軍事同盟に加入していない。脅威の評価、軍事計画、軍備調達、軍事演習において十分に(あるいはまったく)連携していない」と、報告書は指摘した。


 一方、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、挑発行為を始めたのは欧米の側だと反論する。「自国領土から離れた場所を偵察機でパトロールするのは、冷戦期のソ連とアメリカだけがやっていたことだ」と、プーチンはイタリア紙のインタビューで語った。


「ロシアはそうした飛行を90年代初めにやめたが、アメリカはわが国の国境近くを飛び続けてきた。だからわれわれも数年前に復活させたのだ。なのにロシアが攻撃的になっていると言うのか?」


 ボルンホルムのレーダー基地に所属するジェンセンとハンセンは、さほど脅威を感じていない。ジェンセンが同基地で働き始めたのは1975年。冷戦の真っただ中だった。ソ連の爆撃機が12機、戦闘隊形で島の近くを飛んでいた時代を今も覚えている。


 ジェンセンは言う。「心配してはいない。すべては以前に経験したことだから」




[2015.7.28号掲載]


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