日本を訪れる外国人観光客が、目に見えて増えている。
我が国の政権与党が民主党から自民党に戻ると、円安が一気に進んだ。もちろんそれが外国人観光客を日本に引き寄せる要因として存在する。
だが、つまるところ、日本人が官民合わせて観光PRに取り組んだ結果ではないかと筆者は見ている。
かつては“観光後進国”と言われていた日本。両替所がない、外国人を受け入れる宿がない、イスラム教徒への理解がないなど、観光に関してはとにかく散々な評価を浴びてきた。
だが、それも昔の話になりつつある。インバウンド、アウトバウンド共に充実させた結果、日本国内の観光整備状況がより改善された。
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それに伴い、外国人観光客の行く先も多彩化しつつある。今や東京と大阪と京都だけではなく、日本人でも「どうしてそんな所に?」と言ってしまうような穴場観光地にも海外からの旅客がいる。
そしてここにも、観光業成長の影響が波及していた。
広島平和記念資料館である。
増える外国人、減る修学旅行生
広島市を訪れる外国人は、増加傾向にあるという。
アメリカ軍による広島と長崎への原爆投下というのは、はっきり言って「日本人だけの関心事」に過ぎなかった。
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例えば、広島市と姉妹都市提携を結んでいるベルギーのイーペル市は、第一次世界大戦で膨大な数の毒ガス砲弾を浴びた。その砲弾は、今も不発弾として地中に埋まっている。だがそうしたことを知識として知っている日本人は、決して多くはないだろう。それと一緒だ。
ましてや「原爆投下時の放射線による被害が70年経った今でも続いている」ということなど、放射能の有害性を学んでいない人間にはまったく理解できない。
「昔、ヒロシマという町に原爆が落ちてたくさんの建物が倒壊した」。世界の大半の人々は、そのくらいの意識しか持ち合わせていない。
だがそのような現状は、今後変わるかもしれない。
『nippon.com』が配信した記事に、このようなものがあった。タイトルは『「軍都」から平和の象徴へ—「外交ツール」としての広島』。その中の一文を、ここで紹介しよう。
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<広島と言えば、日本国内のイメージでは、被爆者の証言を聞く修学旅行生の集団が、最初に思い浮かぶものかもしれない。しかし修学旅行で広島訪問をする者の数は、激減し続けている。
(中略)
それに代わって同じ期間に、毎年数十パーセントの高い増加率で増え続け、毎年過去最高を記録し続けてきているのが、外国人訪問者数である。2014年には約23万人の外国人が広島平和記念資料館を訪れ、来館者全体の約18%を占めるに至っている。>
何と、国内の修学旅行生数に対し、海外からの旅客が数で追いつきつつあるというのだ。
確かに、昨今の修学旅行はその行き先が多岐に渡る。高校が海外のリゾート地を旅行先として選ぶことも珍しくなくなった。学校生活の中でただ一度の集団旅行なのだから、みんなで楽しめる場所をセレクトしたい。
そう考えるのは、誰にも非難される筋合いのない人情というものだ。
だが皮肉にも、それが現代日本人と外国人との“意識格差”を浮き彫りにしてしまった。
広島を見学する戦士たち
実は筆者の高校時代、修学旅行先は広島だった。もちろん平和記念資料館や平和公園にも訪れたが、そこで思いもしない人物に出会った。
格闘家のセミー・シュルトである。この前日、セミーはK-1広島大会で武蔵を破り、余暇を利用して広島市を見学していたのだ。
何しろ彼は、2メートル12センチの“人間摩天楼”である。しかもプロレスラーの高山善廣を一方的に殴りまくってKOした試合から、まだあまり日が経っていなかった頃だ。“世界最強の男”が、プロのリングに憧れていた筆者の目の前にいるのである。
だが、声をかけることはできなかった。そういう雰囲気ではなかった。セミーは我々の視線など気にせず、展示物を熱心に見つめている。この日ばかりは堂々とした巨体を縮めるかのように、ただただ惨劇の遺物に息を飲んでいた。
のちにセミーは格闘技雑誌の取材で、「平和記念資料館を見学し、人類がいかに愚かな行為をしてしまったのかを知ることができた」と語っている。幼い頃から極真空手に打ち込み、常に日本へのリスペクトを胸に戦ってきたロッテルダム出身の戦士が「日本を知るために」と考え、行き着いた先が広島だったのだ。
そういえば、“鉄の爪”と呼ばれたプロレスラーのフリッツ・フォン・エリックにもそのようなエピソードがある。まだ幼かった息子たちを連れ、「いいか、よく聞きなさい。戦争など決して繰り返してはいけないものだ」と語っていたそうだ。
格闘家やプロレスラーは、日本以外の国ではストリッパーやポルノ俳優と同じレベルの扱いである。だが、日本では一流アスリートとして誰しもが尊敬の眼差しを向けてくれる。だからセミーもエリックも親日家になった。そして真面目な彼らは、そうした“日本人の精神”の源泉を探ろうとする。
広島で彼らを目撃することは、決して偶然ではないのだ。
広島への誤解
広島は“左翼運動家の巣窟”というイメージを持っている人がいる。それに嫌気が差し、広島に足を向けなくなったということも否定できない。
日本人は“オンブズマン”や“市民ネットワーク”という概念を理解しないまま、市民運動を始めてしまったきらいがある。一言で言えば、日本人はこれらを“隣組”だと思っている。だからメンバーの脱退を考慮に入れていないし、そもそも「誰しも意志は同じで一蓮托生」と考えている。
自分たちは公的機関を監視するが、自分たちが監視されることを嫌がる。“オンブズマン”とは、誰かが暴走しないように互いが互いを監視する制度なのだが。
そしてそんな息詰まるような隣組の集会所に、好んで行きたがる人間などあまりいない。だが“広島は左翼運動家の巣窟”という考え方は、実は単なる誤解に過ぎない。大体、小選挙区の広島1区は長い間自民党の岸田文雄氏を当選させているではないか。ここは日本有数の保守王国である。
さらに言えば、「広島の過去を知る」ことと「市民運動に参加する」というのはまったく次元の違う話である。どうして歴史を学ぶのに、個々の政治思想が必要なのだろうか?
ここに、日本人と外国人との差が見える。我々日本人は、仲間同士の「目に見える共通点」がないと互いを尊重できない。だから自分自身との共通点を見出だせない(と感じてしまっている)広島という地に、足が遠のいている。
だが、日本以外の国の人々はそうではない。政治思想には流行り廃りがあるということ、そしてそれにこだわるとロクなことがないということを、骨の髄までよく知っているのだ。
【参考・画像】
※ 「軍都」から平和の象徴へ—「外交ツール」としての広島 – nippon.com
※ Skylight / PIXTA
※ s_fukumura / PIXTA