【クルマを学ぶ】大型車両とサスペンション 「大きなクルマ」はこうして進化した

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2015年10月16日 18:10  FUTURUS

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FUTURUS(フトゥールス)

※ シリーズ前回の記事 【クルマを学ぶ】TPP大筋合意、自動車業界の未来はどうなる? http://nge.jp/2015/10/14/post-120066

同じクルマと言っても、装輪車と装軌車では構造が大きく異なる。だが、装軌車の開発と量産が大型装輪車の発達を促したという側面も否定できない。

装軌車とは、平たく言えば戦車だ。戦争に使う兵器が各国の工業力を向上させるという事実は、倫理云々はさておき確かに存在する。

第一次世界大戦で投入されたイギリスのマークI戦車は、当時の“世界の工場”が満を持して開発した装軌車両である。数十トンもの重量を持つ戦車を動かすには、頑丈な足回り、すなわちサスペンションが必要だ。

もっとも、マークIにはまだそれがなく、故にその走行性能は貧弱なものだった。

だが、戦場での実戦データを基に改良が進められ、戦車にもサスペンションが装備されるようになると性能は格段に向上した。

今現在稼働している大型トラックや各種作業車は、“世界大戦での実験結果”と言ってしまってもあながち間違いではない。

世界大戦で証明された性能

戦車や大型車のサスペンションは様々な種類があり、正直この記事の中では全て書き切れない。だからここでは、主だったものを二種類挙げよう。『トーションバー式』と『リーフスプリング式』である。

『トーションバー式』とは、ねじり棒を使ったサスペンションである。車輪が何らかの衝撃を受けた際、ねじり棒には当然力が加わる。それに対する反発力を利用して足回りへの衝撃を和らげるというものだ。

一方で『リーフスプリング式』は、棒状ではなく板状のバネを使った機構だ。詳しく書くと長くなるが、小学生の時によく使った下敷きは、弾力性に富んでいることはご存知だろう。あれを何枚も重ねればそれなりの強さの板バネができる。『リーフスプリング』を身近なことで例えると、早い話がそういうことだ。

戦車にしろトラックにしろ、その歴史を語るのにこの二種類のサスペンションは欠かせない。そしてこれらの機構の信頼性を世間に知らしめたきっかけは、第二次世界大戦である。

第一次と第二次、この両世界大戦の最大の違いは何かと言えば、行軍速度である。

第一次大戦は“守りの戦争”で、対立する両軍は塹壕の外から出られなかった。だが第二次大戦は『攻めの戦争』だ。

優れた走行性能を持った戦車は、塹壕をも容易に乗り越えてしまう。サスペンションが戦争の在り方を変えてしまったのだ。

世界大戦は、もう二度と繰り返してはいけない惨劇だ。だが物事には必ず光と影、プラスとマイナスがある。

『トーションバー式』と『リーフスプリング式』という、社会発展を担う大型車両にとって最適なサスペンションを確立させたことは誰しも認めるべきではないのか。

恐怖のT34戦車

だが実は、この二つのサスペンションとはまったく異なる機構のものが戦時中に大活躍していた。

『クリスティー式』である。

これはアメリカのジョン・ウォルター・クリスティーという発明家が開発した機構で、言わば独立懸架方式サスペンションの一種類である。

接地ストロークの大きい大型転輪(というより、それを支える架脚)に、コイルバネをそれぞれ取り付けたものだ。クリスティーはこれを搭載した独自の戦車を開発した。

そしてこの戦車は、当時の常識では考えられない高速を発揮し軍関係者を驚かせた。

クリスティーはこの結果に満足し、意気揚々とアメリカ陸軍に売り込んだ。だが、陸軍はクリスティー戦車をごく少数購入しただけに留まり、その後も戦車技師としてのクリスティーを、重用しようとは考えなかった。落胆したクリスティーに声をかけたのは、ロシア人だった。

「ソ連はあなたの発明を必要としている。この戦車をぜひ売ってほしい。砲塔は外した状態でも構わない」

そう言われたクリスティーは、砲塔を取り外してただのトラクターと化した戦車をソ連に売却した。ソ連の兵器技師たちは、このクリスティー戦車を隅から隅まで研究し、改良に着手した。

そうして生み出されたのが、T34戦車である。

ソ連は、シベリアの大草原を走破できる戦車を欲していた。不整地での走行性能と速力を兼ね備えた戦車こそが戦場の王に君臨すると、赤軍所属の技師たちは確信していたのだ。

そしてその確信は現実のものとなる。

1941年6月、世界一の装甲師団を有するドイツ軍は、ソ連領内に突如侵入した。ここに、第二次大戦で最も熾烈を極めた独ソ戦が始まる。

だがヒトラーが手塩にかけて育てた装甲師団は、すぐさまソ連軍のT34戦車に悩まされることとなる。

被弾してもその貫通を許さない形状の車体、強力な主砲、火災の危険性が少ないディーゼルエンジン。そして何よりも、あらゆる地形での行動を可能にする『クリスティー式サスペンション』がドイツ軍の脅威として立ちはだかった。

ソ連軍戦車兵は誰しもT34を“戦場の王”と讃え、改良設計を担当する技師たちに「もっと弾薬と燃料を詰めるようにしろ」と気炎を上げた。

そしてついに、T34はドイツ軍を駆逐してしまうのだ。

戦争がもたらすもの、サスペンションの「光と影」

ヒトラーの野望を打ち砕き、戦場に燦然と輝いたT34。だが『クリスティー式サスペンション』は、終戦後にその役割を終えることになる。

素材の良質化に伴う『トーションバー式』機構の改良は、『クリスティー式』のそれを次第に越えていった。

戦後に開発された戦車はこぞって『トーションバー式』を採用し、民間向けの装軌作業車両もそれに倣った。

「戦争は技術を進歩させる」というのは確かに事実だが、同時に「戦争でしか輝けなかった技術」というのも存在する。

残念ながら、『クリスティー式』はその後の大型車両史に爪痕を刻むことはできなかった。

そういった面でも、“光と影”はやはり存在するのだ。

【参考・画像】

※ サスペンションとは? – Craft

※ 第3回 戦車史を変えた画期的な戦車「クリスティ戦車」 – 歴史人

※ Nejron Photo / Shutterstock

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