【世界の功績者から学ぶ・前編】「シャングリラ」を夢想する日本人

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2015年10月23日 06:00  FUTURUS

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FUTURUS(フトゥールス)

人間が人間である以上、“完璧”を実現させることはできない。人間は欠点があるからこそ価値のある動物だ。

だから、その人間が構築した国も、欠点だらけである。

残念ながらこの世に“シャングリラ(理想郷)”はなく、人は誰しも世知辛い現実の中で生きている。

しかし、日本人は長い間、「自分の知らない土地に必ず“シャングリラ”が存在する」と夢想していた。かつては旧ソ連や東ドイツや毛沢東支配下の中国、そして北朝鮮が“地上の楽園”と呼ばれていたし、反共を掲げる陣営は、アメリカの消費社会こそが人類の理想と公言していた。

東西冷戦時代が終わっても、日本人のその姿勢は変わらなかった。北欧三国を「世界で最も福祉が整備された国」と絶賛し、かと思えばコスタリカを「軍隊のない平和国家」と憧れ、ブータンを「世界で最も幸福な国」と讃えた。

だが実際は、どの国も問題だらけであることに日本人はようやく気付き始めた。

コスタリカは常備軍の代わりに強力な武装警察を有し、アメリカ軍の駐留も認めている。ブータンはネパール系住民を迫害し、多くの難民を出している。世界一教育水準が高いと言われている北欧三国も、相次いで起こる乱射事件に頭を悩ませている。

やはり、“シャングリラ”は存在しないのだ。

「Mottainai」の価値に気付かず

そういうこともあり、“外国の理想化”という姿勢は、もはや流行らないものになっている。

そうではなく、「問題だらけの国で改善に奮闘する人物」に日本人はようやく目を向けるようになった。

筆者は先日、インドネシアで“ゴミ病院”を運営するガマル・アルビンサイド医師についての記事を執筆した。

これは各方面から好評をいただいた。ガマル医師について書いた日本人ジャーナリストは筆者が初めてというわけではないのだが、あの記事をきっかけにマランへ行くことに決めたという読者も現れた。

自分の手がけた記事が、人から人への関心を繋げ、こうして人の心と足を動かしているという事実は、やはり嬉しいものだ。


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それはさておき、人々が「見ず知らずの外国を理想化すること」と「外国の功績者に関心を持つ」ということは、似ているようだがまるで違う。

そもそも発想の出発点からしてまったく別の位置にある。「この世界には必ずや理想郷があるだろう」と考えた結果が前者、「この世界は今までもこれからも不完全だ」と考えるのが後者である。

不完全だからこそ、日々修復する努力を欠かすことができない。そういう発想でいるほうがより現実的だと思うのは、筆者だけだろうか。

例えば、ケニアのワンガリ・マータイ女史は日本人に大きな影響を与えた人物だ。

マータイ女史は初来日の際、日本語の“もったいない”という言葉の意味を知り感銘を受けたという。

そして日本の文化史を調べているうちに、日本という国は西洋の大量消費社会とはまったく異なる“リサイクル社会”を構築していたことを突き止め、それをそのまま自身が主催する環境保護活動に組み入れた。


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“もったいない”が“Mottainai”になった瞬間だ。

だが、よく考えればこんなにおかしな話はない。要するにケニア人のマータイ女史に先駆けてそのようなPR運動を行う日本人が、それまで一人もいなかったということだ。

北欧はシャングリラか?

その頃、すなわちマータイ女史が来日した2005年当時の日本では、“北欧ブーム”が発生していた。

この2005年という時期には、我が国の年金制度の不透明さが盛んに叫ばれていた。

政治家の年金未納が次々に発覚し、全体の納付率低下もまるで歯止めがかからない。その改善のために厚生労働省が打ち出したCMすらも、出演俳優自身の年金未納が発覚し笑いの種になってしまった。

それに比べて、北欧三国はどうだろう。年金はおろか医療も教育も完全保証され、国民は幸せに暮らしている。しかも北欧三国は環境先進国だ。日本もこうなるべきである。

スウェーデンやノルウェーやフィンランドのように、市民誰しもが豊かな自然の中で公共サービスを受けながら暮らせる国に生まれ変わるべきだ―。

そういう理想を本気で信じていた人が、2000年代半ばにたくさんいたことを筆者ははっきり覚えている。

だからこそ、遥か彼方のケニア人女性が“Mottainai運動”を始めたことは、日本人にとって衝撃だった。

世界一の環境先進国であるはずの北欧三国ではなく、我々の国日本が“見習うべき環境先進国”と紹介されたその事実に。

さらに2007年、フィンランドでヨケラ中高等学校乱射事件が発生すると、北欧三国は日本人が最も警戒感を示す“銃規制の緩い国々”であるということが知られるようになった。

緑の木々に恵まれた白夜の“シャングリラ”は、アメリカと同様国内に氾濫する銃の規制問題に悩まされているのだ。

この辺りから日本人は、“理想化”という姿勢を改め始めるようになる。

マララが教えてくれたこと

「世界の常識は日本の非常識」という言葉がある。

確かに世界的な流行になっている事柄が、日本では殆ど知られていないということも多々発生する。

ネルソン・マンデラが収監されていた時代の南アフリカは、それでも国外からのアパルトヘイト廃止運動の圧力に囲まれていた。

だが日本人だけは「アパルトヘイトって何?」という態度で、当時の南アフリカと巨額の貿易を続けていた。これが国連で非難されたこともある。

だが、パキスタンのマララ・ユスフザイという少女のことは日本でも大きな話題になった。

マララはごく普通の女学生である。もし先進国に生まれていれば、単に“頭のいい女の子”として平和に暮らしていただろう。

しかし、彼女の生まれ育った地域は平和ではなかった。マララの自宅の外では、「女は文盲で構わない」という人間がカラシニコフ銃を持ってうろついていた。

現に彼女の母親は字の読み書きができない。そんな環境下で幼い頃からシャーロック・ホームズなどを読み、歴史書にも親しんでいたマララは“奇跡的な少女”と言う他ない。


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日本人を含めた世界の人々は、マララの言葉の一字一句に問題解決のためのヒントを求めた。

「全ての人間が等しく教育を受けられるようにする」という、人類が未だ成し得ていないプロジェクトを実現させるために。

そして日本人は、脳内のシャングリラに頼るのではなく、厳しい現実の中でそれでも葛藤する人々の言葉に“何か”を見出すようになった。

後編へつづく。

【参考・画像】

※ MOTTAINAI

※ わたしはマララ

※ lvlinglong / Shutterstock

【動画】

※ Garbage Clinical Insurance – Gamal Albinsaid – YouTube

※ Vol.4ワンガリ・マータイさん最後のインタビュー/Wangari Maathai Last Interview – YouTube

※ タリバンに銃撃されたマララさん、国連で演説 – YouTube

このニュースに関するつぶやき

  • 自由のためには、まず言葉!これ、皆意外と軽視してるんだよね。
    • イイネ!7
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