再生する命の物語を、復興に歩む東松島の森から日本の未来へ。

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2015年11月12日 06:00  FUTURUS

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FUTURUS

FUTURUS(フトゥールス)

東日本大震災で甚大な被害を受けた東松島市。

復興の兆しはなかなか見えないが、野蒜地区では高台移転計画が進み、宮戸地区と野蒜地区の小学校が統合される宮野森小学校を『森の学校』にするプロジェクトが進められている。

その学校に隣接する森を再生しながら、人の心や命のつながりも再生するプロジェクトがここから始まっている。

トラウマを癒すには、美しい自然とよい人と対話すること。

世界中の森を知り尽くしたC・W・ニコル氏。

故郷のウェールズにある炭坑採掘で荒廃した森が奇跡のように美しく蘇った『アファン森林公園』にインスパイアされ、高度経済成長期に生態系バランスが崩れた長野県黒姫の『幽霊森』を1986年から再生し始めた。

その森を永遠の森にするために『C・W・ニコル アファンの森財団』を創設。29年たった今では多様な命が宿っている。

『アファンの森財団』では、東日本大震災で心に大きな傷を受けた子供たちを何度も『アファンの森』で受け入れている。森遊びや自然観察などを通じて、笑顔を取り戻し生きる希望を育むサポートをしてきた。

ここでは子供達だけでなく、同行してきた市の職員や教育関係者も「この森のように、いつか東松島も蘇ることはできるはず」という希望を得ることができた。

そのような信頼関係が築かれる中、東松島市からの要請を受けて、2012年から『復興の森づくりとニコルの森の学校プロジェクト』がスタートした。

森も人もあるがままの姿を活かしてこそ強くなる。

2013年には、ニコル氏の提案による「校舎がなくても森の学校はできる」との想いで、『森の学校』のシンボルであるツリーハウスが製作された。

2年が経った今では、すっかり屋根は苔むし草花に覆われ、背面の山と一体化している。よく見ると、このツリーハウスに使われている木材には、枝ぶりそのままが使われている。

ニコル氏は言う。「自然界に直線はない。無理に枠にはめてしまい、まっすぐに伸ばしたり削るから弱くなる」。

木のありのままの曲線を生かしたツリーハウスは、教育のあり方そのものを示してもいるのだ。

このツリーハウスを拠点に、子供たちは遊びや田んぼ作りや自然観察などを通じて、多様な生き物との付き合い方や、人も含めた自然界の大いなる命の営みを肌で感じている。

森から命を考える「学びのモデル」を全国へ。

2014年は森から海を臨める『馬のひづめの展望デッキ』を制作し、2015年は森と対話する『サウンドシェルター』が完成した。

東松島市の要請を受けたとはいえ、NGOなので予算が潤沢ではなく、スポンサー探しや様々な設備を作る上での材料集めなど課題は山積している。

製作には、このプロジェクトに賛同する早稲田大学古谷誠章研究室の学生が、構想から設計、施工とすべてを手がけ、仮設住宅に泊まり込みながら、子供たちや地域の方々とともに汗を流し造り上げている。

『森の学校』のカリキュラムや森のメンテナンスなどを総括し、いずれは地元の人々に手渡すまでが財団の役割だ。

東松島市で成功させれば、全国の森の再生、そして人と街の復興モデルとなるだろう。

海の過去と新しい街の未来が見渡せる東松島市の『森の学校』から、子どもたちの明るい笑い声が響く日が、1日も早く来ることを祈りたい。

【参考・画像】

※ 一般財団法人 C・W・ニコルのアファンの森財団

※ アファンの森震災復興プロジェクト

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