被災地から、自ら光となり、笑顔を取り戻す

1

2015年11月20日 22:00  FUTURUS

  • 限定公開( 1 )

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

FUTURUS

FUTURUS(フトゥールス)

2020年の東京オリンピックが東日本大震災復興のシンボルとされ、確かに現在の被災地は悲惨な景色は薄くなったが、いまだ復興とはほど遠い。

被災地で再び立ち上がるためには何が原動力になり、今後は何を目指していくのか。

自然災害の多い日本において、誰もが自分の問題として考えたい。

「壊滅的な被害の中で見えたもの」

石巻漁港で明治38年の創業以来、水産加工品製造・販売に携わる株式会社マルト 高橋徳治商店(代表取締役社長 高橋英雄氏)も、大津波や地盤沈下の被害で全3工場が全壊し、営業停止を余儀なくされた。

地震後すぐに避難し津波を回避したことで従業員79名全てが助かったが、ほっとする間もなく従業員や家族は避難生活に追われた。高橋氏はたった一人泥とがれきに埋もれた社屋で途方にくれたという。

当初家族も事業再建には反対したが、全国から多くの取引先やボランティアの支援を受けるうちに、つながりの中で生きていけることを実感し、再開の意味を深く問いながら事業再建を決心した。

2011年10月1日、本社工場で取引先や協力者を招いての火入れ式が執り行われ、揚げ物ラインが再稼働できた。やっと仕事ができる、希望の火が灯った、と誰もが感無量だっただろう。

「魂が震える心に届く練り物づくりを目指す」

式典後、高橋氏は社員に告げた。「これまでと同じではダメだ」。

皆が怪訝な顔をしたに違いない。これまでも高品質の練り物や揚げ物を無添加で35年間生産し学校給食や生協等に販売し、評価されていたからだ。

「1,500名ものボランティアが来てくれたんだ。彼らの時間や思いに応えるには、我々は変わらねばならない。たかが練り物でも、心に届き魂が震えるような練り物を作ろう!」。

それから納得できるまで、1週間試作を重ね約1トンもの商品を無駄にした。

「素材が喜び、妥協を許さない、命の鼓動が聞こえる練り物をつくる」という信条を貫くために、毎日違う魚や素材を生で食べ、製造も原料や気候により微妙に調整される。

すべての製品は、高橋氏はじめスタッフが試食し許可されないと稼働できない。時には昼までラインがとまることもある。

毎日製造作業は14時に終え、17時までは清掃や殺菌作業に費やし、細菌検査を実施。大手流通のQCチェックにも合格した、高レベルの衛生管理を地道に続けている。

放射性物質も規制以上に厳しい自己基準を設定し、再稼働以来4年間食を提供する者の責任を自らに課している。

「傷ついた人の心のケアと、共働(協働)の場を」

震災後、高橋氏は事業だけでなく生き方そのものを自問自答し続けた。2013年東松島の高台に新工場を建設。

1,280枚のソーラーパネルを設置し200kw/hの自家発電をし、時に半分近い電気を自社で使用。また、周辺の仮設住宅で暮らす1,900人の被災者の避難所にもなるように、市と災害支援協定を結んだ。

今、高橋氏には新たなビジョンがある。水産加工業から一歩踏み出して農業へ。土に触れ野菜を育てることで、地震や津波がきっかけで心に傷を負い、社会に適応しにくくなった多くの人たちの心のケアや雇用、仲間づくりにつなげ、笑顔を取り戻したいという思いからだ。

人は常に強いわけではない。高橋氏も、これまで何度も凄まじい現実から逃げたくなっただろう。しかし、震災を経て何日も何時間も考えてきた。

高橋氏は、自分に言い聞かせるように繰り返し問いかける。「震災後を人としてどう生きるのか」と。

【参考・画像】

※ マルト 高橋徳治商店

※ William Perugini / Shutterstock

    前日のランキングへ

    ニュース設定